近所のお花畑
私の家の近くには川(運河)が流れており、その川の土手で何人かの人が畑を作って、野菜や花や果物を植えておられます。お役所の人は時々、公共地なので畑にしてはいけませんというような張り紙をしているようですが、それ以上のことをしてこない(言ってこない)ので、皆さんは、自分の所有地のようにして作物を作っておられます。
ある日、そこで農作業をしておられる方に「どうしたらここが使えるんですか?」と聞いたら、『早い者勝ちや』と返事が返ってきました。現在は空白地はないようなので、ここを使いたいと思っておられる方は、誰かがやめるのを待つしかないようです。
その中の一つの畑は、作物を作る畑と言うよりは、お花畑と言った方がぴったり来るような、花ばかりを植えているところがありました。しかし、あまり手入れがなされていないようで、畑の畝でない部分や畑に入る通路にも四季折々のたくさんの花が咲いていました。
ここに咲いている花は、切り花にでもしようと思って植えておられるようで、何年も経つ内に、種や球根が増え、畝だけでなく、畑全面や畑でない通路にまで広がって、足の踏み場もないほどに咲いているのでした。
花は間引きされたり、植え替えられたりして大事に育てられることも良いのかもしれませんが、大自然そのままに放ったらかしで育てられるここは、ひょっとすると花にとっては天国同然なのかもしれませんね。
花を少しだけ分けていただく
ちょうどケイトウ(鶏頭)が真っ盛りで、菊の花がつぼみをつける頃に私は、その畑の世話主を捜し出し、咲いている花を少し分けて貰えないかとお願いをしました。世話主のおばさんは、快く、「お好きなだけ持って行って下さい」と言って下さいました。
何本かのケイトウと菊の苗をスコップで掘り上げ、私の家の庭に植え替えさせていただきました。庭が結構広いものですから、花屋さんなどで花苗を買うと、結構な金額になってしまうので、この野生に近い花苗をいただけたことに大きな幸せを感じていました。
数日後にその畑を訪れてよくよく見てみますと、畝に植わっているのはつい最近植えた苗のようで、今を盛りと咲いている花々は、全て溝や通路に咲いていましたし、通行の邪魔になるということで、おばさんが無造作に引っこ抜いたり切り倒した花もありました。
私はこのお花畑に手を入れて、綺麗な畑にしてあげよう、それがせめてものお礼の印と思い、3本ほどある畝の溝を深くして、その土を畝に持っていき、畝と溝を明確にして、更に雑草よけと思われるマルチ(畑に被せてある黒いビニール)が、ボロボロになっているので、我が家で使っているマルチの余りがあったので、それを雑草よけとして、溝のところに敷き詰めました。
お礼のお返しって、また、嬉しいですね
そして数日後に、その畑の近くを散歩しましたところ、その世話をしているおばさんにばったり出会いました。そしてこの畑を綺麗にしてくれたのは貴方かと聞いてこられたので、「ほんのお礼のつもりです」とお答えしました。
そのおばさんは、こういう手入れがなかなか出来ないので有り難いと言われました。そして、唐突に「柿を食べるか」と聞いてこられました。その畑の脇には大きな柿の木が成っており、沢山の実をつけていましたが、欲しいというのが何となく厚かましく思えたので、口ごもっていると、「ちょっと待ってや、ハサミを持ってくる」と言って家に戻り、大きなビニール袋に沢山の柿を入れて下さいました。私はお礼を言って、またまたウキウキしながら帰途につきました。
お礼のつもりがお返しをいただくことになりました。私はまた、そのお礼をさせていただきたいなと思っています。その畑の奥には、引っこ抜いた草花が山のように積まれているので、その内、大きなビニール袋に入れて、燃えるゴミとして出そうと思っています。
昔の『仇討ちは不調和を助長し、作用反作用の振り子は、いつまでたっても止まることがない』と、高橋信次先生からお教えいただいておりますが、儀礼でないこのようなお礼とお返しの振り子は、何となく心温まるものがあるような気がしています。
今度のお返しも、そのおばさんの目に留まらないように、こっそりとやり遂げようと思っています。綺麗になった姿を見られたら、私の仕業と思われるかもしれませんが、少なくとも、これ見よがしの姿だけは見せないでお返しをさせていただこうと思っています。
そして、このような繋がりを持たせていただける人も、過去世でどんな繋がりがあったのか、思いを馳せてみるのも、一興かもしれませんね。