感謝って、どういうことを言うのでしょうか? 感謝って意外に難しい?
私たちは、人さまから何かの親切をしていただいたときなど、「有り難うございます」と感謝の言葉を出します。
死にそうなところを危うく助けていただいた人に対しても、「有り難うございました」と、同じような言葉を述べます。
当然、その言葉を発するときの自分の心の思いは、全く違うのかも知れませんが、言葉はほとんど変わりません。
お辞儀の深さが違うという人がいらっしゃるかも知れませんが、お辞儀の深さで感謝の深さが測れるものでしょうか? その時その時の立場で、「今は深くお辞儀をしておこう」と思って深いお辞儀をすることもあるでしょう。
本当にお世話になったと思う方に対しては、「心から、感謝いたします。本当に、有り難うございます」と、当然、お辞儀も深く深くされることでしょうし、「本当に」という言葉や「心から」という言葉を使うこともあるでしょう。
でも、「本当に」とか「心から」ということは、どういうことなんでしょうか?
「心から」という言葉の反対の言葉は調べても出てこないようですが、恐らく「心ない」とか、「形だけの」ということになるのだと思います。
そして「心ない感謝」とか、「形だけの感謝」ということに繋がっていくのでしょうから、「心から」ということは、「心が伴った感謝」「形だけではない本当の感謝」ということになるのでしょうが、そんな風に言葉を変えてみても、感謝ということの真実にはなかなか迫れないようですね?
貴方が一番感謝をしておられる方はどなたですか?
貴方が結婚をしておられるなら、奥様か旦那様を挙げることが出来たら、幸せなご夫婦なんだろうなあと思ってしまいますね?
当然、ご自分の両親を挙げる方もいらっしゃるかも知れませんし、結婚をしておられない方であれば、そうであっていただきたいなと思います。もし、そうでなかったら、ひょっとしてかなり辛い人生を歩んで居られるのではないかなあと思ってしまいます。
だって、自分を生んで下さった両親に感謝しないで、誰に感謝が出来るでしょうか? 出来たと思っておられても、それこそ形だけの感謝で、心が伴ったものとはなっていないのではないでしょうか?
『この地上界は、お互いに、助けたり、補い合うことによって成り立っているのですから感謝の心というものは、人間にとって非常に大事なものになるのです。
感謝は謙虚な心をつくり、やがて、愛の心をも育てるものです』と、感謝の大切なことを、高橋信次先生からお導きをいただいております。
結婚しておられる方で伴侶を挙げられた方も間違いなく、ご両親に感謝を深く持っておられると思います。そうでなかったら、伴侶への感謝も、いつかその色が褪せてしまうのではないかと心配せざるを得ません。
だってご両親は、この世に自分が出てきた根源ですよ、ね。その根源に感謝の思いがなかったら、少なかったら、貴方さまの人生は、自分でその幸せを、ヒョッとすると人生そのものを否定していることに繋がってしまうのではありませんか?
「ひどい仕打ちを受けた。誰があんな親に感謝が出来るか!」という風に思っておられる方もいらっしゃるかも知れません。
いつかその内、このようなテーマを取り上げることもあるかと思いますが、ここでは、「自分の存在の根源を否定することは、自分を否定すること、明るく楽しい幸せな人生を否定することに繋がることになってしまう」と、書くことだけに止めたいと思います。
反論したい方もいらっしゃるかも知れませんが、そのような方がこのブログに来られることは期待できないでしょう。むしろ来られて反論して下さったら、嬉しく思うかも知れませんね?
貴方は、どんなことに感謝をしておられますか?
さて、話を本題に戻します。
先ず、奥様、ご主人様は当然、その伴侶に、感謝をしておられますよ、ね?
お子様は、お父さん、お母さんに感謝をしておられますよ、ね?
どんなことに感謝をしておられますか? どんな時に感謝をしておられますか?
感謝していることを20個挙げてみて下さい。
なかなか出てこないかも知れません。
スラスラと20個出てきたら先ず、及第点でしょうか?
10個以下の方、完全に落第ですね。きっと、辛いというか、苦しい、悲しい、悦びの少ない家庭生活を送っておられませんか?
10個~20個以下の方は、もう一息です。
及第点をとれなかった方は日を改めて、もう一度チャレンジしてみられませんか?
でも今のままでは進歩はありません。一週間、二週間、自分と奥さんや旦那様との日々のやりとり、お父さんやお母さんとの毎日の出来事に注目してみて下さい。
どんな会話をしているか、感謝の言葉を発しているか。
つっけんどんな言葉を発していないか、相手の話を十分に聞いてあげているか、自分の行動が相手に対してどんな風に映っているか、頼み事を気持ちよくしてくれるか、頼まれ事を気持ちよくやって上げているか、小さなことも一つひとつ、つぶさに見つめてみて下さい。
「ウワー、これはまずい」という思いも出てくることでしょう。特に10個以下の方は、そういう出来事がわんさかと出てくるかも知れません。そうしたら、自分の思い、行動を反省し、いけないと思ったことは素直に修正していきましょう。
そうして修正をされた方はきっと、自分の思いが変化していることにも気づかれると思いますよ。そうなればしめたもの、もう一度、感謝していることを20個上げることにチャレンジしてみて下さい。
貴方さまが幸せを望むなら、暖かい家庭の平和と調和を望むなら、是非、チャレンジしてみて下さい。
感謝したら、言葉を発しただけで、それだけで良いのか?
貴方がもし、20個の感謝を挙げることが出来たとしましたら、恐らく貴方の感謝は、心からのもの、本物の感謝なんだと言えるかもしれません。
これだけでも十分と言えば十分なのかも知れませんが、髙橋信次先生は、それだけではダメだとお教え下さっています。
『感謝の心は、行為によって人びとに尽くすこと、社会に還元することです。感謝は報恩という輪廻によって、はじめてその意義が見出され、実証されてくるものです。
世の中には感謝、感謝と言いながら、行為という勇気に欠けている場合が多いですが、報恩は、行為という勇気なしには実を結ぶことはないのです』
感謝の心は、報恩という行為に結びつかないと、実を結ばないとお教え下さっています。
実を結ぶとはどういうことか。
樹木はいつかその内に枯れてしまいます。その樹木が実を結ぶことによって、その実の種が次の世代に繋げていくのです。報恩という行為の実が種となって、自分に循環してくるということです。感謝の言葉だけでは一方通行で、実を結ばない枯れ木のように、いつかその感謝の言葉も消え失せてしまうのでしょう。
さて、報恩とはどのようなことを言うのでしょうか?
奥さん、旦那さんの悦ぶことを考えましょう。そしてそれを実行してあげましょう。伴侶の方は悦ばれることでしょう。その悦びが自分の悦びであることにも気がつかれることでしょう。これも感謝・報恩の輪廻の一つでありましょう。
お子様は、お父さん、お母さんの悦ばれることを考えましょう。お金ではありません、物でもありません、心です。
自分が幼い頃、お父さんやお母さん、お祖父さんやお祖母さんに、お金で買ったものではなく、絵や、折り紙や、自分が作ったもの、今から考えると下手な絵などを上げたことがあるでしょう。
お父さん・お母さん、お祖父さん・お祖母さんはどれだけ悦ばれたでしょうか? 貴方の心が一途で、真実のものだったからでありましょう。
それが嬉しくて、何年も何十年も大事に大事に仕舞っておられるお母さんやお祖母さんも居られるようですね。
そういうほんの一寸した気配り、それがされる側は嬉しいのであり、それが報恩の行為なのです。
そういうことを心がけていけば、貴方さまの周囲は、感謝と悦びで満ち溢れてくることでしょう。
そういう家庭を、そして自分の周囲環境を目指されませんか?
20個の感謝を、数えてみませんか?
20個の感謝は、あなたを、そして相手の方を、家庭全体を幸せに導く、魔法の扉です。