自分の伴侶との人間関係を、本当に修復したいと思っておられる方のための、その原因と修復方法-その2・・・気づいた貴方が先ず、第一歩を踏み出しましょう

前回の投稿

 前回の投稿に於いては、特に夫婦間の人間関係がうまく行かないその原因は、夫婦お互いの生まれ育った、恐らく会話の少ない家庭環境にあり、そういう環境で育った夫婦は、結婚後も同じような家庭になってしまうだろうと書きました。

 そして、「20年も30年も、明るい家庭や笑いのある家庭にする努力を一つもせずに、そんな意識を持つこともなかった人が、いざ結婚したからと言って、そんな家庭が築けるはずがないではありませんか?」とも書きました。

 然り、でありましょう。

 じゃあ、どうすればいいのでしょうか?

 実践的努力を積み重ねるしか、方法はありません。

 今回もまだ、実践的努力を始める前の前段です。十分に理解してからスタートを切りましょう。

何事も、上手になるには練習が必要です

 幼いときに会話が少なかった人は、そのお父さん、お母さんが、会話のある温かい家庭に育ってきていないということが非常に多いようです。

 恐らくそのお父さん、お母さんも、そしてまたそのお父さん、お母さんも、ずっとずっと、会話の少ない家庭、それが美徳とされていた時代もあったようですが、そんな家庭に育ってきたのではないのでしょうか?

 だからみんながみんなして、温かい、会話のある家庭が作れなかったのです。

 こういう会話のない家庭は連綿として受け継がれてきたようです。そして誰一人それが問題だと気がつかないのですから、修正をしようとしません。修正をしないものですから、何代にもわたって受け継がれてきてしまっているのです。

 こういう家庭に育ったということは、言うなれば温かい会話の練習が出来ていないということになります。

 会話に練習なんかが要るのか?と言われるかも知れませんが、両親が明るくお互いを思いやり合い、何の憂いもないような家庭で育った子供は、無意識のうちに会話術を身につけています

 努力とかそういうことなしに、そういう家庭で育つことで勝手に身についてしまっているのです。門前の小僧、習わぬ経を読む、であります。

 一方、怒りん坊のお母さんやお父さんがいるお家とか、夫婦の会話のない家では、子供たちは両親の様子を覗うようになります。「今、話しかけても良いのかな?」と。

 今、お母さんはテレビを見てのんびりしているから、良いタイミングだろうと思って話しかけても、「いまテレビを見ているでしょう!」と怒られる場合や、拒否されてしまう場合がありますと、子供は話しかけることに逡巡してしまいます。

 そして自分の心の寝袋の中に入って、一人遊びをするようになってしまいます。実際にオモチャや道具を使って一人で遊ぶ子供、オモチャでなくても自分一人の思いの中で遊ぶ子供、どちらにしても、両親との会話の楽しさよりも一人で居ることを選択してしまいました。

 その方が楽だからです。その選択が将来に禍根を残すことなど、幼い子供に分かるはずがありません。

 こうなりますと会話は、自分の意志で始まることは極端に少なくなってしまいます。両親から話しかけられてから会話が始まりますが、寝袋に入る癖が出来てしまっていますので、自分の寝袋に入ったり出たりして聞いたり聞かなかったり、どちらにしても正常な会話ではなくなってしまいます。

 しかし親は、普段はおとなしくしているし、話しているときもチャンと顔だけは向き合っているものですから、「手のかからない子供だ」などと勘違いをしてしまい、自分たちがこのような世界に追い込んでしまったことなどに気づくはずもなく、こういう性格の子供だ、などと納得してしまいます。

 でも実際は違うのです。お母さんと色んな話がしたい、お父さんに一緒に遊ぼうと話しかけたい、でも、でも、いっつも怒られてしまう、仕方なしに、怒られるよりはマシだと、一人遊びの世界に入り込んでしまっているのです。

 しかし、その世界は、何となく居心地が良いのです。独りぼっちだけど、怒る人もいないし、寝袋の中に入っているように温かいし、空想とかイメージの世界は終わることがないファンタジーの世界なんです。人とつきあわなくてもいい世界なんです。

人は二つのことに意識を向けることは出来ません

 大人になっても、パソコンをしながら、テレビを見ながら、人の話を上の空で聞いている人が沢山います。そして色んな言い訳をしています。もう少しでパソコン作業が一段落するんだだとか、テレビのクライマックスで話しかけられても・・・等と。

 でも、そんな時でも、キチンと意識を切り替えることが出来る人も居られます。自分の娯楽より人とのコミュニケーションを大事にしようと心がけておられるような人です。また、こんな大事(自分にとって大事なだけ)な時に話しかける方が悪いと切り捨てる人も居られます。

 実は、人は二つのことに意識を向けることは出来ないんだそうです。だから、テレビを見ながら会話をする人よりも、会話をシャットアウトして、テレビが終わってから会話を始める人の方が、会話としてはより良く成り立っているということが出来るのかも知れません。話しかけた人の気分は別にしまして。

 テレビを見ながら話も出来ると仰る方もおられるでしょう。でもそれは、両方ともが100%ではないんです。自分の意識を細切れにしてある瞬間はテレビ、ある瞬間は人の話に意識を向けているため、両方が出来ていると勘違いをしているだけで、両方ともが少しずつお留守になってしまっているのです。

 テレビなどを見ながら聞く癖のある人はまだ救いがあります。相手の人に怒られながらでも大事な話はテレビを消して聞けばいいのです。そうすればキチンと話を聞くことが出来ます。

 でも、一人遊びで自分の寝袋の中で、意識の世界で遊ぶ癖を、幼い時につけてしまった人は、ちょっとやっかいです。

 人と話をしていても、ある時は寝袋からちょこんと顔を出して話を聞き、ある時は自分は次に何を話そうか、どこかで自分の話すチャンスがあるだろうかと、こんな話題の話だったらこんなことを話そうかなどと、寝袋の中から頭を出したり隠したりして、自分の思いの中に入り込んでしまっているのです。

 当然、人の話は途切れ途切れにしか聞くことは出来ていませんが、他のことに意識を向けている訳ではありませんから、話しかけている人は、良く話を聞いてくれていると思い込んでしまいます。

 しかし特徴もあります。相づちがなかったり、少なかったり。こういう人に、その話した内容を聞いてみると、ものの見事に要点の違うことを話してくれます。よくもこんなにトンチンカンな受け取り方をしてくれるものだ、と。

 会話の基礎は聞くことです。聞くことがキチンと出来ていないと、会話は成り立ちません。その聞くことを両親、家庭で育てることが出来なかった子供は、青年になっても、成人になっても、老人になっても、会話の出来ない、単語でしか会話の成り立たない人間として過ごさざるを得ない人も出てくることでしょう。

 三つ子の魂百までと言われる所以は、こんなところにもあると言うことが出来るのでしょう。

片方が精神的に優位で片方が劣位の立場にいる場合は・・・

 今までは、単に会話の少ない家庭の有り様を書いてきました。

 しかし、ご家庭によっては、既に何らかの問題が発生し、問題を引き起こした当事者は弱い立場に、被害者は強い立場になっている場合もあることでしょう。

 例えばご主人が浮気をしてしまい、それが発覚して、離婚に至らないまでも、完全に上下関係が出来てしまったとか、奥さんが贅沢三昧をして、借金で首が回らなくなり、ご主人がその尻ぬぐいをして、ご主人が奥さんを自分の言いなりに扱っている例もあるかも知れません。

 でも、どちらが被害者で、どちらが加害者ということは本来無いのです。

 夫婦は合わせ鏡、家族は合わせ鏡、原因があるから結果があるのです。

 原因もないのに、ご主人の浮気はありません。奥さんの贅沢三昧もありません。

 そこに至ってしまった原因は、夫婦二人が創ってしまったものであります。

 しかし現代人は結果を見ます。経過を無視します。だから直接手を下した人を悪者にしてしまいます。

 当然、離婚も、浮気も、贅沢三昧も、前世に於ける自分たちの計画の中には一切ありません。全て全て、この世に生まれてきてから自分たちが創り上げてしまったものであります。

 しかしこのような出来事を因とした不調和であったとしましても、このような不調和を乗り越える、相手の人を許す、更に愛の思いで包んで上げる、このようなことはきっと、今生のひとつの大きな目的として計画してきたはずであります。

 この困難を乗り越えることが出来ましたら、貴方はもっともっと大きな自分になれるということはお分かりいただけますよね。今後、色んな問題が出てきたとしても、不動の心でそれを受け止めることが出来ることでしょう。

 逆に、このわだかまりを乗り越えることが出来なかったとしましたら、その問題の解決は先送りということで、この先の人生でまた似たような状況に出会ってしまうか、この人生で解決できなかったら、来世に持ち越してしまうということになってしまいます。

 来世に持ち越すということは、それが夫婦間の問題であるならば、来世も同じ夫婦となって、この問題を克服することを計画して生まれてくるということであります。

 私達は、魂を磨くために生まれてきました。愛の心を大きく大きくするために生まれてきました。そのもっとも大事な修行場が、家庭なんです。そうだとしましたら、今生で、解決を図ることが得策だと思われませんか?

 だから、今ある苦しい状況にも感謝ということが言えるんですね。自分は今、この困難を乗り越える、愛の学修をするチャンスを与えていただいているんだな、と。

 立場の強い人は愛一杯に、大らかな心で、全てを許し、夫婦として、家族としての縁を大切に大切に、温かい家庭を目指しませんか?

 上下関係のある間柄では、立場の上の方が、恨みを持っている人が、憎しみを持っている人が、それを放棄して許して歩み寄らないと、立場の下の方は歩み寄ることが出来ないんです。貴方が会話をすら拒否しているからです。

気づいた人が始めましょう

 さて、会話がうまく出来ない、会話が進まない、聞くことがキチンとできないレベルは、人様々で、それこそ千差万別でありましょう。

 不調和、家庭の暗い雰囲気、冷たい空気は当然、親である夫婦二人が作り出したものではありますが、人間としての心の調和度のレベル、魂のレベルは千差万別で、夫婦、親子だからといって同じレベルということはありません。

 だからその不調和に気づく人、気づかない人、その不調和を不自然に感じる人、感じない人、その不調和を是正したいと思う人、思わない人、その不調和を是正しようと取りかかる人、取りかからない人、それもまたひと様々でありましょう。

 だから、気づいた人がスタートを切りましょう。

 それと同時に、一つの心構えが大事であります。

 それは相手に求めないということです。人は往々にして、自分がこれだけやっているんだから、貴方もこれぐらいやって欲しいと求めてしまいますが、この思いは失敗の元です。

 心の世界、心ある会話を目指す人は、相手ではなく、自分なんです。

 目に映ずる全ての人は気付きの触媒でしかありません。心美人を目指す人にとって、それは影のようなものです。

 伴侶であろうと、子供であろうと、両親であろうと、それは映画の映像のようなものです。その映像によって、自分の心の在り方を振り返り、こうしよう、あゝしようと自分の心の向きを決めるためのものです。

 影や映画の映像に、貴方もこうして欲しいと求めても、変わるはずがないでしょう?

 奥様や旦那様、子供たち、或いはお父様、お母様に求めても、人は変わらないんです。変えれるのは自分だけなんです。

 それを、私も変わるから貴方も変わってね、という思いを抱くから、苦しくなるんです。自分が変わったときに初めて、自ずと人も変わっていくのです。

 だから気づいた貴方が第一歩を進めていきましょう。

 貴方が変わった分だけ、貴方の周囲の人も変わっていきます。

 そして特に夫婦は合わせ鏡のようなもの、片方が態度を変えれば、もう片方も必然的に変わってくるものであります。そういう二人が引き合って夫婦になっているとも言えるのです。

 多くの問題は、夫婦の会話のなさに集約されます。

 今あなたが感じている不調和、冷たい空気、そんなものが家庭に流れているとしましたら、夫婦二人がお互いを思いやり合い、助け合い、許し合い、いたわり合い、その心で楽しい会話が出来たとしたら、その不調和はきっと解消されていくことでしょう。

 簡単に出来ることではありません。それ相応の期間の、それ相応の努力が必要です。でも、それなくして、その不調和が解消されることはあり得ないのではないのでしょうか?

この世の中で、この人生で、一番大事なことって一体、何でしょう?

 そういう努力をすることによって不調和が解消されるのであれば、やってみる価値があるんじゃないでしょうか? 否! やるべきでしょう? 何を逡巡することがあるんですか?! これより大事なことがあると言うんですか?

 そんなものは実は、ないんです。

 この大宇宙はそれ自体、宇宙全体の大調和を目指しているとお教えいただいています。

 この大宇宙の全ての調和の最小単位は、人類にとっては夫婦であり、そこに子供を加えた家庭です。この夫婦・家庭の調和が根本なのです。

 言うなれば夫婦は陽子と中性子です。原子核です。子供はその周囲を飛び回る電子です。陽子と中性子が調和され、更に電子と調和することによって原子という最小単位の物質、即ち家庭が構成されています。

 無限に広がる大宇宙も、この小さな小さな原子の一大集合体であります。物質宇宙の調和は、一つ一つの原子の調和の上に成り立っているということが出来ます。

 原子が分子を作り、物質を作り、地球を作り、太陽系を作り、銀河系宇宙を作り、大宇宙を形成しているのです。

 人間も同じです。その原子という家庭の調和の延長線上に、地域の調和があり、人々の仕事場の調和があり、政治の調和があり、国の調和があり、地球人類の調和があり、将来的には宇宙人類の調和があるのです。

 その根本の家庭の調和なくして、どうして近所付き合いが出来るでしょうか? キチンとした仕事が出来るでしょうか? どうしてキチンとした政治が出来るでしょうか?

 家庭の調和すら実現できない人に本来、仕事も政治も任せるべきではないということに気づく日が、きっとその内に来ることでしょう。

 家庭は社会の原型であり出発点であり、調和の基礎であります。そういう意味合いからしまして、この地球上で一番大事なものと言うことが出来ます。逆に言いますと、これより大事なものなんか、どこを探してもあり得ないでしょう?

 大事な仕事がある、でも、その根本は家庭の調和です。家庭の調和すら図れない人に、人付き合い、人と人の調和を根底にした仕事が出来ようはずがありません。

 日本を、世界を動かす大事な政治がある。でも、家庭の調和すら図れない人に、国の調和、世界の調和が図れるはずなど無いではありませんか?

 この地球は、人生学校のようなものです。一番大事なものは心、そして調和です。仕事や政治なんかは、地球学校の学修がしやすいように机を並べたり、掃除をするようなものです。無駄とは言いません、大事なものではありますが、それを第一として囚われるのは、本末転倒ということになるでしょう。

 その、根本であるべき家庭の不調和を是正したいと気づかれた貴方、さあ、先ず、貴方から第一歩を踏み出しましょう。

 1000歩の道も、一万歩の道も、一歩を踏み出せばそれだけで、目標に確実に近づいたことになります。一歩の道であっても、その一歩を踏み出さなかったら、永遠に辿り着くことは出来ません。

 勇気を持って、第一歩を!

 でも、何から始めればいいのでしょうか?

 次回はそこからですよ、ね。

 でも、心配しないで下さい。「こんな簡単なこと? こんなことぐらい知っているよ」というレベルの内容かも知れません。

 難しいのは、実践するかしないかという一点だけです。

 次回投稿をお楽しみに。と言っても、ほんの少しの読者様にとってですが。








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