今、失業して経済的苦しみの最中にいる、我が友へ

私も失業の苦しみを味わったことがある

 私の友人が今、経済的に苦しみ、悩んでおられます。高齢で失業し、再就職の口が見つからず、経済的に逼迫しておられるそうです。年金を貰えるのは数年先だそうです。

 状況は違いますが、以前の私もそんな経験をしたことがあります。

 私は、かなり高齢になってから、長年勤めた大企業を退職しました。自分ではどんな仕事でもこなせると自信を持って、自営の仕事を始めたのですが、なかなか上手く軌道に乗らず、最後は「自分の実力は、会社の看板があったからこそ、だったのか!」と気づき、再度、就職口を探しました。

 しかし、それなりの高齢ということもあり、面接を受けれど、なかなか採用となることはありませんでした。

 そんなときに、髙橋信次先生に繋がる方からの指導を頂きました。『自分の思いを見つめ、正しい中道の道から外れている思いと行いを修正しなさい。中道から外れた分だけ、人生が思うように進まず、苦しまなければならなくなる』と。

 私は自分の生き方を見つめ、反省し、悪いと思ったことは真剣に改めました。それしか道がなかったからです。
経済が順調な普通の状態では改めることは不可能と思えることを、苦しさから脱却するために実行をしました。そしてその実行のさなかに、降って湧いたように仕事が決まりました。

 そして、あの苦しみがあったからこそ、自分の人生の後半生を、真っ当に正しく生きようと思え、そして正しく生きることこそが、苦しみからの脱却であり、この人生の本当の目的でもあったのだと思えました。

我が友へ

 我が友よ、いま苦しみのさなかにいる友よ、苦しみは決して苦しみだけをもたらすものではありません。その裏に、本当の救いというか、善いことのための苦しみであるということに、それを乗り越えたときに気がつくことでしょう。

でも本当は今、それに気がついて欲しいと願っています。そのことに気づけたとき、どれ程心が楽になるか、どれ程心が豊かになるか、どれ程苦しみからの脱却が近づくことか、体験されることと思います。

 我が友よ、真の神は、この宇宙を創られ、我々人類を神の似姿として創られました。その神が最愛の我が子に、苦しみ・痛みを与えられることはありません。全ての人類が救われるように、全て善いことをお与え下さっています。悪いことを与えられるはずがありません。

 高橋信次先生は、『神はすでに、すべてのものに、平等の慈愛と光りを与えてくれている……、それを受けないのは、私達一人一人の、自分の心と行ないが拒絶しているということなのである』とお教え下さっています。

 神は常に、善きことを準備して下さっています。私の場合もチャンと就職先を準備して下さっていたようです。でも、私の心が曇っている間、即ち私が苦しみ、悩みに心が縛られ、自己中心、自分本意の思いでがんじがらめになっているときは、『この会社を受ければ採用が決まるよ』という天からのメッセージを、心で受け取ることが出来なかったようです。あらぬ会社の面接を受け、不採用となっていたようです。

 でも、自分の思いを見つめ、自分を守ろうという自己中心の思いを放棄し、正しい方向に走り始めたときに、天のメッセージが受け取れたのでしょう。面接を受けた会社に採用が決まりました。

 我が友よ、苦しみに焦点を合わせると、苦しみが倍加します。この世の人々は、苦しいが故に、その苦しみに心の焦点を合わせ、苦しみ、悲しみ、痛みを何倍にも大きくしてしまうようであります。

自分を見つめること

 我が友よ、先ず自分の心の中の思いを見つめて下さい。自分の思いを見つめることは苦しく感じるかもしれません。でも、それが、第一歩なのです。この苦しみは、この人生を正しく生きるための、そして今の苦境から脱却するためのハードルでしか有りません。その第一のハードルが自分の思いを見つめることなのです。

 自分が苦しいことを理由に、自分を卑下したりしていませんか? お金に関する些細なことで、卑屈になったりしていませんか? 自分を情けなく思ったりしていませんか?

 食事をおごって貰っても、素直に、「有り難う、仕事がうまく行ったら、今度はおごるよ」と、明るく捉えればいいんです。卑屈になったり、情けなく思うということは、自分の本来明るい心を縛ることに繋がります。心に曇りを創ってしまいます。

当然、神の「ここに甘い水があるよ」「こっちの方向に歩みを進めたらいいんだよ」というメッセージを受け取ることは出来ません。あらぬ方向を探すことになってしまうでしょう。心が暗いので、行き先が見えないんですから。

 人から、「いま何をしている?」と聞かれるような所に顔を出したくないと思ったりしていませんか? 自分を良く見せたい、困っていると思われたくない、仕事がなくて苦しんでいると見られたくないという思いもまた、自己保存、自分を守ろうという自己中心の思いです。

 わざわざ言わずもがなのことを言いふらす必要はありませんが、自分のいまの姿を、ありのまま自分が認識し、必然性があるときは、そのままの姿を見せればいいんです。神は総てをお見通しです。人間に隠しても、何の意味もないでしょう。自分の心に曇りを創り、天の導きのメッセージが受け取れなくなるだけです。

 我が友よ、私も苦しみを目の当たりにしてきましたから、簡単でないであろうことは理解しています。でも、心素直に、心明るく、無理をしてでも笑顔を作り、自分の心を卑屈にしない、そんな毎日を心がけて下さい。

我が友よ

 心の思いが全てです。昨日のあなたの思いが今日のあなたを創り上げました。今のあなたの思いこそが、明日のあなたを創り上げるんです。

 今、今しかないんです。今、自分の心を縛っている思いを解放しましょう。誰に何を思われてもいい、そんな小さな、自分を縛る思いから脱却しましょう。そして神に意識を向けましょう。神に感謝の思いを伝えましょう。

 今日、住む家があったら感謝しましょう。今日、食べる食事があったら感謝しましょう。今日、寝る布団があったら感謝しましょう。あなたを取り巻く全てのものに感謝しましょう。

 明日の準備は必要でしょうが、取り越し苦労で心配することはやめましょう。感謝の思いはあなたを明るくし、心の曇りを晴らします。

 今、感謝できる事柄に焦点を合わせ、それらに感謝しましょう。不足の思いに焦点を合わせると、不足の事柄を引きつけます。感謝の思いに焦点を合わせると、感謝すべき事柄が引きつけられてきます。感謝の思いに焦点を合わせるということは、感謝できる事柄に感謝するということです。

我が友よ、あなた様だけでなく、総ての方々に神のみ光が注がれています。そのみ光を、あなた様が赤子のように素直に受け取ることが出来ますように。

 赤子のように素直な心になったときに神のみ光が受け取れることを、あなた様が素直に受け入れられますように。

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