ネット購入は心磨きの宝庫・・・でも、心美人はなかなかに難しい?

オークションやネット通販での物品購入

 私は日常品の購入は、ホームセンターや100均で買えるもの以外は、ほとんどがネット通販かオークションで買っております。

 ネット通販にしてもオークションにしても、対面での売買ではないために、やはり行き違いが発生することは否めないようです。

 私も何度も痛い目というか、行き違いに遭遇し、自分の正しいと思える意見が全く通用しないだとか、一寸した手違いで、要らないものを購入してしまったりということも何度かありました。

 でも、そういう失敗も、自分が心美人を目指そうという思いが根底にあれば、段々と、対応が変わってくるものだと実感しております。

 例えば、最初から悪意があると感じられるオークション出品者に出会ってしまったとき、最初の頃はけんか腰で連絡し合っていましたが、最近はやっと、諦める、自分の心を汚さないということを覚えました。

 けんか腰でものを言い合って、もし結果が変わるなら、それも又若干の意味があるのかもしれませんが、結果が変わらないなら、言い合いをした後の後味の悪さ、心のざわめき、まさしく自分の心を汚していること以外の何者でもないですよね。心美人とは、遠く遠く離れた心の状態でしょうね。

ネット通販で小物を購入

 先日、風呂用品の小物をネット通販で購入しました。1000円にも満たない小物です。

 ショップの画面を見ていると、風呂用と洗面台用の2種類があることは分かっていましたので、風呂用ということを確認して、購入手続きをしました。

 2~3日して、商品が届きました。開封してみると、洗面台用が送られてきていました。

 メーカーが間違えたのだろうと、メールで、『「風呂用」を発注したが、「洗面台用」が送られてきました。どう対処すればいいですか?』という連絡をしました。

 ところがメーカーからの返事は、『あなたが注文したのは「洗面台用」です。だから「洗面台用」を送りました。しかし、変更は可能ですので、送料はお客様持ちで、返送していただけましたら、「風呂用」をお送りいたします』との返事が返ってきました。

 若干の憤りを覚えながら、私の勘違いもあり得ると思い返し、発注時の注文確認メールを再度確認し、「風呂用」を発注したことに間違いはないという確信を持ちました。

 更に私のメーカーに打ったメールは、メーカーから来た注文確認メールに返信したものでしたので、そのメールにも「商品:風呂用」と明記してありました。

 再度メーカーにメールを打ちました。『私が注文したのは「風呂用」で、お宅の注文確認メールにもそう書かれているでしょう? このメールの最下段はあなた様からの注文確認メールですが、そこにも「風呂用」と明記されているでしょう?』と。

電話でやりとりをして解決したが、心が落ち着かない

 夕食を頂いてゆっくりとくつろいでいるときに、そのメーカーから電話がかかってきました。

 まだゴチャゴチャ言っています。「洗面台用の注文ページにも風呂用の商品が掲載されています。その洗面台用のページから注文されたので、洗面台用と勘違いしました」と。

 『おかしいでしょう? それなら何故、注文確認メールに「風呂用」と書いてあるのですか?』と、若干、声を荒げてしまったかもしれません。

 何度か私の正しさを主張していると、相手は理屈では勝てないと思ったのか、やりこめることは出来ないと思ったのか、自分の非を認めないままに、結果として返送してくれれば代品と送料はメーカーが負担するということになりました。

 夕食後のくつろぎの時間がこんなやりとりになってしまい、早々に、自分の部屋に戻ってきました。

 少額とはいえ、メーカーが間違えた商品を、一応は無償で取り替えると言ってくれました。表面上は何も問題はありません。明日間違えた商品を送り返し、正規の商品の到着を待つだけです。

 でも、心が穏やかではないのです。落ち着かないのです。何かしら騒いでいるのです。
 何故だろうと考える必要など微塵もありません。理由は分かりきっています。
 メーカーの人の回答を批判し、非難し、恐らく怒りの心を若干といえど持ったのが原因です。

 髙橋信次先生は、次のようにお教え下さっています。
 『相手の言葉や行動を見て、自らの心と行ないに不調和を起こしてはならない。それは相手の毒を食べることになるからだ。毒を食べれば苦しみや悲しみの因をつくることになろう。
 どんなことをいわれても、怒りの心、そしりの心、恨みの心、愚痴の心、情欲の心、虚栄の心、増上慢の心などをつくらないことです。つくったときは心の中に毒を飲んだことになり、また新たな苦悩の種を蒔いていることになります』

 どんなに理不尽な相手であろうと、どんなに間違ったことを主張する人であったとしても、その人に対して怒りや非難の思いを持ってしまうということは、毒を食べるということであり、結局は自分を毒する、自分の心を汚す、心が騒いでしまうということになるとお教え下さっています。

 話しても分からない相手だと分かれば、係わり合わないことが大事なんでしょうね? 相手の間違いを糾弾しようとする、それが毒を食べるということになってしまうんでしょう。

 「でも、そんなことをしていると、世の中が良くならない。悪いことはダメと、キチンと伝えないと!」という声も聞こえてきそうですが、そんなことをして世の中が良くなるなら、遠くの昔に素晴らしい世の中になっています。

 みんながみんなと言っていいほど、人の間違い探しをして、非難合戦をしているのが、今の世の中の風潮ではないのでしょうか? それが毒を食らい、自分の心を傷つけ、「ピッカピカの心美人」からドンドン遠ざかっているのだということに気がつかないで・・・。

一度騒いでしまった心をどう鎮めればいいの?

 心を静め、今回のケースで、自分はどうあるべきであったかを考えました。

 やはり、相手がどんな態度を取ろうと、自分は飽くまでも冷静であるべきであったでしょう。そして、相手が理不尽なことを主張するのであれば、「貴方はそう思っておられるんですね? 分かりました。一応、製品を受領しましたので、これでお仕舞いにしましょう」と打ち切れば良いんですね。

 「そんなことをしたら、損をする?」、そんな声も聞こえてきそうですね。
 でも、このブログの私は、「ピッカピカの心美人」になりたいんです。少々お金を損したって、少々欲しいものが手に入らなくったって、心を汚したくないんです。心を騒がせたくないんです。いつもピッカピカの心でいたいんです。そのためなら、お金や物を掴んでいる手を離したって全然構わないんです。

 ピッカピカの心美人、なかなかに困難な山の頂に上がるような難しさを感じますね。でも、登りたいですよ、ね。6

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