寝たきりで、呼びかけにも無反応になった親の意識は、本当に無いのだろうか?

友人が、寝たきりのお母さんの入院している病院へ見舞いに行かれました

 人はいつか、歳を取り、肉体が使い物にならなくなって、脱ぎ捨てていかなければならないものであります。これが人の世の定めだとお教えいただいております。

 私の父母も、かなり以前に、あの世に還られました。

 両親とも、最後は寝たきりになり、意識があるのかないのか、外見的には判別できないような状況であったようですが、法に帰依する前で、如何に接するべきかに意識が廻らなかった頃の私は、父に対しては悔いが残る接し方をしてしまいました。

 しかし、法に帰依させていただいた後の母の最後は、三日に一回程度、実家に泊まり込んで介護に当たっておりましたので、返事が返ってこなくても、そんなことには頓着せず、ことある毎に声をかけながら、聞こえているものとして対応していたように記憶しています。

 数歳年下の我が友人のお母さんが、いま寝たきりで入院しておられるそうであります。いつからそんな状態であるのかは聞いておりませんが、もう何年にもなるような感じで話しておられます。

 自分が腰の骨折の後遺症で行動がままならないこともあって、病院への見舞いは、2ヶ月に一回程度しか行けてないそうですが、自分の生活の苦しさから、「早くあの世に行ってくれたらいいのに」と、不遜な思いをふと持ってしまうこともあるそうです。

 すぐその場で、「いかんいかん、こんな思いを持ってはいけない」と思い返すそうですが、一方では、「もう、こちらの言葉も分かっていないのではないか? 生きていたら子供を苦しめるだけと違う?」などとも思ってしまうこともあるそうです。

 その話を聞いたとき私は不遜にも、「お母さんに謝りなさい」と言ってしまいました。

 『ズッと思っているわけではない。この前も、孫と一緒に行ってきたけど、脚をさすりながら、元気になってやと、声を掛けていたんやで』と言っていました。

 「不遜な思いを持ったことを謝らないといけません」

 『本心と違う。ほんの一瞬や』

 「一瞬でも、そんな思いを持ったことを謝らないといけません」

 『私も神様と違うんやから』

 「このことだけは、神様の思いになる努力をしなければいけません」

 私は自分でも、何でこんなに強い言葉が出てしまうんだろうと不思議に思いながらも、ここまで言うとやっと友人は、『そうやな』と、意地を張ることをやめ、自分の発した言葉、思いを見つめているようでした。

寝たきりで、返事もしない、身体も動かせない年老いた人は、その意識も閉ざされているのでしょうか?

 歳を取り、身体が言うことを聞かなくなって、こちらが話しかけても、返事が返ってくることもない。いきおい、こちらの言うことも分かっていないのではないか、俗に言う植物人間ではないのかと、思ってしまうこともあることでしょう。

 医者も、老人の意識については、段々と薄れていくもの、痴呆は進んでいくものと思い込んでいるのでしょうか、如何に穏やかに最後を向かえるかという方向に注意が払われているようで、意識があるか否かについては、あまり研究されていないように感じました。

 一方、若くして意識をなくした人の研究は、それなりに進んでいるようであります。

 この友人のお母さんの見舞いの話を切っ掛けにして、私は、意思表示できない人の意識状態について、ネットで調べてみました。

 思った通り、老人の意識が有るか無いかについての記事は、全くと言っていいほど、見つけることが出来ませんでした。

 しかし、若い人の意識についての情報は、それなりに沢山ありました。

 そして私の目を引いたものは、テレビの「アンビリバボー」という番組の記事でありました。「10年間、身体に閉じこめられた男」という内容で、もし見たい方が居られましたら、ユーチューブでのURLは下記となっております。いつまで掲載されているかは定かではありませんが参照してみて下さい。(URL=https://www.youtube.com/watch?v=ie6-PvtGH3U)

 テレビ放映は2016年5月ですが、ざっとした内容は、下記の通りです。

 12歳の男の子が、原因不明の病気になり、完全に意識がなくなった。食べ物は無意識に飲み込むが、外部からの刺激に一切、反応を示さなくなった。身体の運動野と異なるため、眼球の動きと瞬きだけは正常に動作した(眼球と瞼を動かす機能は大脳に直接神経がつながっているため、運動を司る小脳が機能を停止しても、動かすことができるそうです)。

 家族を含め全ての人は意識がないと思い込んでいた(事実、数年間は、意識が無かったようであります)が、三年後、彼は意識を取り戻した。

 意識を取り戻したが、何の意思表示も出来ない。実際には、眼球の動きと瞬きは自分の自由意思で出来るのだが、今までもその部分は動いていたので、誰も意識的に動かせるようになったことに気づいてくれない。

 この状態を、「閉じこめ症候群」と呼ぶのだそうです。

 耳も聞こえるし、目にも見える。痛みも痒みも感じる。自分の周囲で起こっていることはすべて分かる。しかし、何一つ、伝えることは出来ない。

 地獄。

 きっと、地獄の一つは、こんな状態かも知れないと思いました。痛くても、痒くても、気持ちが悪くっても、どうにも出来ない。恐らく、気が狂うことも出来ない。

 意識を取り戻した10年後、やっとやっと、奇跡が起こる。新しく担当になった女性が、彼に話しかけると、目の動きで意思表示をしているのではないかと気づいた。

 そこから、新しい彼の人生が始まる。最後には、車いすに乗って手を動かし、何と結婚までしたのである。

老人の寝たきりの人の意識は、「閉じこめ症候群」とは違うのでしょうか?

 これは若くして意識をなくした(と思われていた)人の話です。この出来事を切っ掛けに、同じように意識はあるのに気づいて貰えない人がいるのではないかという機運が医学界に広がり、沢山の方が、閉じこめ症候群から解き放たれたそうであります。

 しかし、寝たきりで呼びかけても無反応で、恐らく誰もが回復しないであろうと思い込んでいる年老いた人の場合は、どうなんでしょう? 無反応、イコール、意識がないということなんでしょうか?

 歳を取って肉体的反応は徐々に衰え、ほとんど眼を閉じた状態が続いている場合、意識がないと思うことは致し方ないことなんかも知れませんが、本当にそうなんでしょうか?

 大事な大事な、自分を産み育てて下さったご両親であれば尚更、疑って疑って、否、意識があると信じて、返事があるときと同じように、話しかけ、会話を続けるべきではないのでしょうか? 例え医者が否定しようとも。

 高橋信次先生の愛弟子(高弟)で、丸山弘先生と仰る方が居られました(平成25年に実在界に帰られました)。「高橋信次先生の法を学ぶ会」を二十数年に亘って主催され、沢山の方を法に導かれました。

 不肖、私も、その弟子の一人のつもりであります。

 その会に学ぶ方々は、月刊誌-「ひかり」誌に沢山の投稿をしておられ、その一つに、ご自分の親が寝たきりで無反応になって、どうしたらいいかを丸山先生に尋ねられ、ご指導を受けられた体験談を書かれておられます。

 「母をお救い戴きまして」というテーマで、概要は下記の通りです。

 この方が自分のお母さんに、心を込めて話をしたところ、

 『いつもは殆ど無反応な母が私の顔をじっと見たり、目をパチクリさせたり、もごもごと何か話しかけたり、私の話しかけに領いたり、いつもとは違う、はっきりとした反応を示しました。
 私は嬉しくなり「分かったよ。私がいるから大丈夫だからね。もうお話ししても通じないと思っていて本当にごめんね。何も心配ないからね」と、久しぶりに心を込めてお話しさせて頂きました』

 と書いておられます。是非、全文(このブログの最下段に掲載しております)をお読み下さい。

 恐らく、老人の方であっても、こちらが見放すから反応しないのであって、こちら(特に子供)が見放すことなく、心を込めて話しかければ、きっと通じているのではないのでしょうか? 例え、相手からの反応が返ってこなくても。

 そのお母さんなり、お父さんは、声にならない声で、「有り難う」って言っているかも知れません。


自分の親を、無反応だからといって、返事が返ってこないからといって、閉じこめ症候群に追いやらないよう、心しましょう

 自分の親が、もし意識があるのに反応が示せないとしたら、そしてその子供が、「自分の親はもう意識が無い」と思い込んでいたら、そしてそのような会話を寝たきりの親の周囲でしたとしましたら、その親は一体どのような思いを抱くでしょうか?

 「おい、おい、お前の言うことぐらい、ちゃんと聞こえているぞ。ただ、返事ができないんだよ」

 「こんな状態のままでいつまで生き続けるんだ、だと? 早く死んでくれた方が、自分も楽なんじゃないのか、だと? そうか、ついに、子供からも見放されたか! 仕方がないな! でもな、自分の意思では、死んで上げようと思っても、死ぬことはできないんだよ」
 (このような出来事は、アンビリバボーの中でもあったことが示されています)

 こんな辛い思いを、自分を産み育ててくれた両親に対して、それもあの世への旅立ちを間近に控えた両親に抱かせることは、ヒョッとすると、人生最大の親不孝かも知れません。

 本当に、意識のない方もいらっしゃることでしょう。

 でも、そんなことはどうでも良いんじゃありませんか?

 自分を産み育てて下さったご両親、意識があろうと無かろうと、あの世への旅立ちは、心を込めて、できればあの世のあること、肉体から離脱したら如何に処すべきかなども噛んで含めるように、お話しして上げることが、ご両親に対する最後の親孝行ではないのでしょうか?

 どこかのブログで記したと思いますが、自分のこの世への出生の機縁となったご両親に対する感謝の思い、報恩の思い、親孝行の実践がないということは、自分で自分の出生自体を祝福していないいうことに繋がります。

 自分の出生を祝福できない人の人生が如何なるモノか、深思されんこととをお祈りいたします。ただ、自分の人生を良くするために親孝行をする、ということであれば本末転倒でありますが・・・。

 そして、あの世に還る場合は、意識がはっきりした状態で肉体を脱ぎ捨てるのがいいとお教えいただいております。

 もし、意識があったとして、子供が自分の寝たきりの親に声をかけることがなくなったら、親は、意識を明瞭に保つことが出来ないで、あの世に旅立たれるかもしれません。

 これも又、大きな大きな、そして最後の親不孝かもしれませんね?



体験談:「母をお救い戴きまして」

                       ○○地区 △△□□子

 丸山先生、八月一六日には、大変お忙しい中を母の施設までわざわざお越しくださいまして、本当に本当に有り難うございました。

 去る八月一三日の金沢地区学修会で、私が母との事をお話しさせて頂きました事をご縁といたしまして、丸山先生には、本当に尊いご指導をくださいました。

 母は、二年前に脳梗塞で倒れてからは話すことが出来なくなり、右手が利かなくなり、認知症も進み、私の顔も良く分からなくなっていました。九三歳という高齢ではもうしかたがないかと諦めておりましたが、このまま亡くなったらどうなるだろう。いつまで母のこんな哀れな姿を見なければいけないのだろうかと、辛い思いで心が重くなることもしばしばでした。

 ある学修会で先生には「実のお母様が、いつまでもいてくださることは、嬉しいことではないですか。そこに感謝して、精々お母様の所へ行って差し上げたらいいですね」とおっしゃってくださいました。

 先生のお言葉をお聞かせ頂いてからは、つかえが取れて、心がすうーつと楽になり、軽くならせて頂きました。それからは時間の許す限り母の所へ行き、愛しい我が子に離乳食を一さじ一さじ食べて頂く気持ちで楽しみにして通わせて頂くようになりました。

 去る八月一三日の金沢地区学修会は、最初からとても温かく、悦びで一杯の雰囲気でした。私の発表が廻って来ました時、私は父と母をお救い戴いた悦びが自然に心から溢れてきました。

 先生には
 「言葉がしゃべれないから、意思疎通するのはもう無理と貴方様が諦めないで、一言でも貴方様の言葉でお母様が理解出来るようにして差し上げ、お母様の言葉を少しでも引き出して差し上げることが大事です。貴方様からそのような働きかけをして差し上げないと、お母様は言いたいことを何も言わないまま亡くなってしまわれます。
 『お母さん!こうやね。そうか!分かったよ』というように、話しかけて差し上げたら、お母様はもっとお元気になられます。実践してみてください」
 とご指導くださいました。

 有り難くて嬉しくて早速母の所へ行き、「丸山先生がね、もっとお母様のお話を聞いて差し上げなさい、と言ってくださったのよ。何でも思ったことをお話ししてくださいね。心に溜めていると天国に還れないよ。分かる?お母さん。丸山先生の事覚えてる?」と手を握って、肩を抱き寄せて、愛しい幼子に接するように話しかけてみました。

 いつもは殆ど無反応な母が私の顔をじっと見たり、目をパチクリさせたり、もごもごと何か話しかけたり、私の話しかけに領いたり、いつもとは違う、はっきりとした反応を示しました。

 私は嬉しくなり「分かったよ。私がいるから大丈夫だからね。もうお話ししても通じないと思っていて本当にごめんね。何も心配ないからね」と、久しぶりに心を込めてお話しさせて頂きました。

 本当に先生のお言葉通りに、驚く結果を戴いたのです。家に帰り、直ぐにレポートを出させて頂きました。先生には直ぐにお電話をくださり、「良かった、良かった」と、大変お悦びくださり、「私でよかったら何でもお手伝いをさせて頂きますから言ってくださいね」と、大変勿体ないお言葉をくださいました。

 次の日、また元に戻っていたらどうしようという不安を少し持ちながら母の様子を見に行きますと、昨日より更に意識がはっきりとしており、本当にびっくりするやら、嬉しいやらで、丸山先生にまたご報告したい気持ちで一杯になりましたが、勇気が出せないでいました。

 そして神仏様に心からの感謝をお捧げ申し上げておりました。するとそんな私を天には見通されたかのように、再び先生にはお電話をくださいました。そしてまた大変お悦びくださり、母の施設に行ってくださると何度もおしやってくださり、「私は過去にもそのような人助けを沢山してきました。私にはそういう使命があるようです。その使命を果たさないと天には還れないのです」とお話くださいました。

 私は、余りにも畏れ多い事なので、有り難いのですが「はい。お願いします」とは申し上げられず、「勿体ないです。有り難うございます。有り難うございます」とお答えするのがやっとでした。

 電話を切らせて頂いてからも、先生のお言葉を素直に頂けなかったことを一晩反省、妹や娘にも相談して、母の様子を先生ご覧頂くことに私の心が決まりました。

 母の所に行きますと、更に意識がはっきていました。私は「丸山先生がねえ、お母さんに会いたいって言っておられたと言いますと、母は私の顔をしっかり見て、「ほう?かあ」とはっきりと分かる言葉で話すのです。もうびっくりして、その場で直ぐに躊躇することなく先生にお電話させて頂きました。

 先生には心からお悦びくださり、「よかったら、今から行きましょうか」とおっしゃってくださいました。私は「本当に、本当に!よろしいのですか?」と何度もお尋ねしてしまいましたが、本当に不思議な何かに導かれるようにして、母は九三歳で意識がはっきりした状態で先生にお目に掛らせて頂きました。

 先生には、母に対して優しく話しかけてくださいました。母はしっかりと先生のお顔を見て何度も領いてくれました。

 「お母様は本当にお変わりになりませんね。本当にお心がきれいで、まっすぐな方ですね。この施設はとても絢麗で大変霊域がよい所です。これ以上の環境は無いと思います。何も心配もいりませんよ」とおっしゃって頂き、勿体なくも母の身体を優しく丁寧に擦ってくださり、そして畏れ多くも神仏様の「御ひかり」を入れてくださいました。

 なぜ母はいつまでも天に還れないのだろうと思っていたことが、今日のこの日の為に母は待っておられたのかもしれないと分からせて頂いた様に思われてなりませんでした。勿体なくも先生には「きっとそうかもしれませんね」とおっしゃってくださいました。

 本当に本当にまるで夢の中の出来ごとの様な尊い一時をお与え戴いたのでした。

 その後、母の顔色は更に良くなり、私の呼び掛けにはっきり領き、またコロコロと良く笑います。そして驚くことに、固まったように動かなかった右手も柔らかくなり、血が通って温かくなりました。毎日母に会いに行くのが本当に楽しくて楽しくて仕方ありません。

 丸山先生には、本当に貴重なご指導とご慈愛に満ちた有り難いお計らいを戴きました事を有り難く有り難く感謝申し上げます。

 父を見送らせて頂きました時の様に、母の意識がしっかりして還って頂けますように、もっともっと心を込めて実践し、報恩感謝の精進をさせて頂きます。

 大宇宙大神霊・仏様、偉大な主・高橋信次先生、偉大なイエス様に対しまして、母をお救い戴き、誠に有り難く有り難く、幾重にも感謝をお捧げ申し上げます。

 有り難うございます。有り難うございます。

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