大した金額じゃないけれど、お金への執着から少しは離脱できているのかな?

オークション取引と直接取引の金額差

 数ヶ月前、オークションと言いながらも即決価格で、楽天ショップなどと同じ感覚で畑用の堆肥(土壌改良のための培養土)を購入したことがありました。

 この度再度、その堆肥を購入したいと思い、同じ業者に頼もうと思いました。

 野菜類は往々にして、連作障害があり、二年続けて同じ作物を、同じ畑で作り続けると、うまく育たなかったり、病害虫にやられ易くなったりするそうです。

 この堆肥は、その連作障害に対して効果があると謳っており、私はその効果を確かめたわけではありませんが、狭い畑で野菜を作り続けていると、トマトなどは4~5年は間隔を空けろなどと言われており、教科書通りのことはなかなかできないと言うより不可能であります。

 そういうことから、効果があると謳っている堆肥の方が良かろうということで、同じものを購入することにしました。

 前回購入したとき、近場であるということで直接引き取りが可能ということもあったので、ホームセンターでの購入という感覚で購入したのでありますが、そのとき、次回の購入があれば、直接連絡して下さいと言われておりました。

 オークションには引き続き出品されていましたが、そのことを思い出し、メールで購入の旨を伝えました。

 先方からは、金額の連絡が来て、オークションと同じ金額が提示されましたが、その瞬間、私は若干の違和感を覚えました。

 オークションでは出品者は手数料を8.64%取られますので、今回の購入金額は精々3,000円程度ではありますが、8.64%は約260円に相当します。

 この人はどうして、小さな金額ではあるが、折半にしましょうとか、極論すると、手数料を値引きしますとか言わないんだろうかと思ってしまいました。

クレジットカード支払にも似たようなことがある

 実はこの感覚は、クレジットカード支払のときも同じように感じているのですが、クレジットカードで支払えば、店側は数%の手数料をカード会社に支払うことになります。

 然らば、現金客に対しては、若干の還元をしても良いのじゃないか、という思いを持っています。

 大きな店では逆に、現金管理は大変、現金支払いのお客には、割り増しを貰わないと困ると思っている会社も、ヒョッとするとあるかも知れません。

 私の勤めていた会社も、一店舗で日銭で何十万、何百万円と集まるのに、十円の誤差でも理由(思い当たること)を確認したり、千円単位の間違いが有れば大騒ぎ、五千円以上の間違いは始末書ものという会社でしたので、現金管理には大変なものがありました。

 その現金集計のために管理職が居るといっても過言ではないくらい気を遣っていましたので、現金管理の面倒さ、その対応のための費用なども、その額が大きくなればなる程大きくなり、その大変さはそれなりに認識しているつもりではあります。

 それでも粗利が手数料のために4%、5%と減るというのは、爪に火を点すような会社や店であればやはり大きいと感じられ、現金客を喜ぶという風潮があるのではないかと思っています。

 そんなピンハネ(この場合はオークションの落札手数料)の一部を還元しても良いのじゃないかという思いを一瞬持ってしまいましたが、次の瞬間には「何と、さもしい思いを持っているんだ?!」と、自分の心の中から声が聞こえてきました。「僅かだけれど、オークションの手数料を支払わなくて良かったねと、どうして思って上げられないんだ」と。

 特にお金が絡むと、どうしても自分を中心にした考えしかできず、人さまのことを思いやった考えができないのかと、チョット哀しくなりますね。

 でも、このように心の思いの間違いを修正できることは素晴らしいことだと思いますが、出来ることなら、最初から正しいというか、愛いっぱいの思いを持つことが出来るなら、こんな素晴らしいことはないと思います。自分もきっと、嬉しくて仕方がないと思います。

オマケのサゼッション

 この堆肥を売っている人は、まさしく零細企業で、個人商店ではないかという感じの人であります。

 「少しでも儲けが出て良かったね」という思いと一緒に、何か手助けしてあげることは出来ないかという思いも湧いてきました。

 最近は、家庭菜園だけでなく、貸し農園も増えてきたようであります。

 そこそこ広い貸し農園といっても、問題はやはり連作障害であるということのようです。

 私のような家庭菜園での連作障害は致命的です。

 せいぜい長さが1m強しかないような畝が三つしかない家庭菜園で、4~5年の間隔(トマトの連作障害を避けるための間隔)を開けるということは、3年も経つと、トマトを作れない、そんな年がすぐに来てしまうということになります。

 対策は色々と、肥料や堆肥や薬品が出てきていますが、これといった特効薬はないようであります。

 今回購入した堆肥の効能の一つに連作障害の回避を謳っていましたので、「昨今の貸し農園の作業者は、連作障害対策を真剣に考えているようですよ。例えばトマトで連作しても、こんな実が出来ましたよと、実証広告をすれば、飛躍的に売れるかも知れませんよ」ということを教えてあげることが出来ました。

 利益の一部を消費者(私のこと)に還元すべきではないか、全てを私するような人とはつきあえないなどと、哀しいまでに自分中心の考えを持っていた私もやっと、この人の利益になるかも知れない助言をさせていただいて、不遜な思いの穴埋めをさせていただけたのではないかと思わせていただきました。

自治会での不労所得

 私の住んでいる地域の自治会に、今年の4月から、役員になる順番が回ってきました。

 今までは私の奥さんが役員をやってくれていたのですが、今年は自分でやってみようと思い立ちました。

 まだ三月の引き継ぎと四月の第一回会合しか経験していないのですが、会長になられた方が、何とか手を抜こう、楽をしようという姿勢がありありなので、ちょっと違和感を感じています。順番制だから仕方がないのかなあ、と。

 私は、役員のみんなが自分のやりたい役を自己申告するので、最後に残った役を引き受けることにしましたところ、会計が回ってきました。

 三月に、新旧の役員の引き継ぎをしたときに、自治会費を集めるための月謝袋なるものが足りないことが発覚しました。

 当然このような備品というか、必要なものは担当がなければ会計が担うのでしょうから、旧会計担当に聞きますと、在庫の予備がないから買ってきて下さいと言う。

 ことほど左様に、責任感がないものだと思ってしまいました。

 第一回会合までに購入しようと、100均でも買えるらしいのですが、50枚100枚となると割高だろうと考え、最近は少なくなった文房具店を探して購入することにしました。

 比較的近場に、その文房具店はあり、月謝袋なるものを口にすると、すぐに有る旨の答えが返ってきました。

 外の包装紙に550円の値札が貼ってあったので、お金を払おうとすると、そのお母さんが、500円で良いですよと言ってくれました。

 500円で良いんですか、有り難うございますと言って支払をすませ、領収書を書いて貰いました。

 家に帰って、現金出納帳に記帳しておこうと思って領収書を見ると、何と、550円と書いてあるではないですか?

 この文房具店のお母さんは、恐らく遠くから来てくれたかもしれない一見のお客さん(私のこと)に対して、気は心と、50円を懐に取り込めるように気を遣って下さったのだろうと思いました。

 しかしこの事実に直面した瞬間、この50円をどうしようか?という思いが湧き上がりました。

 間違いなく不労所得である。道ばたに落ちているお金を拾ったのと同じである。

 じゃあ、寄付だなと、一瞬にして方向が決まりました。

 以前はスーパーの店内で千円札を拾って、周りで見ている人は居ないかと見回して、一旦ポケットに入れて車に乗り込んでからしか、自分の心の間違いに気づけなかった、自分のお金に対する執着が、今回は差額が発覚した瞬間に『私しない!』という決断が出来たこと、小さな小さな金額ではありますが、自分としては嬉しい思いを持たせていただきました。

 このようなテストというか、『どんな処置をするんだ?』という経験をさせて下さった文房具店のお母さんに感謝させていただきました。有り難うございました。

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