プロローグ
私の母は、神を信じてはいても、恐らく多くの日本人がそうであるように、ただ漠然と信じているのだろうと思います。
当然、なぜ生まれてきたのか、死んだらどうなるのか、何一つ分からないままに、この人生を送ってきたのだと思います。
私たちは、この現象の世界に永遠に留まることは出来ません。
いくら長くても、せいぜい100年程度。
父はもう既に旅立ちましたが、私の母も、その齢に近づいてきました。
私がこの人生で、神の御心である正法、神の子・人類が歩むべき道、正法に出会えたのは、ひとえに父母のお陰であります。
誰が何と言おうと、どんなに現象的に酷い人物であったとしても(父も母もそんな人ではありませんでしたが)、法に出会えたのが父母のお陰であることは、天地がひっくり返ろうとも、間違いの無い事実であります。
私は法に帰依させていただいたお陰様で、あの世のこと、人間とは何かを深く深く、学修させていただきました。間違いなく、これからの数え切れない転生輪廻の、宝になることでありましょう。
人間は何故生まれてきたのか?
人間の使命と目的は何か?
この人生を如何に生きるべきか?
死んだらどうなるのか?・・・それはこの世に生きていたときの生き方が大きく影響することもお教えいただきました。
でも、母はそれを知りません。
ひょっとすると、死んだら仏壇(神棚)に入ると思っているかもしれません。父はその神棚に祀られています。
ひょっとすると、墓に入ると思っているかもしれません。
でもあれは単なる、骨の捨て場なんですよ、ね(童話集-キャベツの悲しみ:『お祖父さんの墓』を参照下さい)。
このままでは恐らく、何の予備知識も無く、あの世に旅立っていくことになるでしょう。
『終活の最大テーマ:人間死んだらどうなるのか?』にも書かせていただきましたが、死後の世界があると思っている人は、日本では僅か1/3です。
その1/3の方々といえど、漠然とそう思っているだけであろう殆どの人々に、そして母に、死後の世界は実はこうなんだ、ああなんだ、こうしなければならない、ああしなければならないと言って、果たして信じて下さるのだろうか?
そんな心配はありますが、愛する母です。この世に出して下さった母です。大恩ある母です。きっとこの世に生まれる前のあの世で、『あの世(現世から見た時のあの世のこと)があることを、教えてね』と、頼まれてきたのではないかと思ってしまうのです。
そんな会話があったかもしれないと、そんな気がします。
もしそうであって、このままあの世の話をしないでいたら、私があの世に帰った時に母から、「生まれる前に、あんなに頼んでおいたのに・・・」と、嫌みを言われるくらいならまだしも、もし母が地獄に堕ちたりしていたら、悔やんでも悔やみきれないことでしょう。
機会を見つけて、焦らず、少しずつでも、そして必ず、あの世のこと、死ぬまでに行うべきこと、死んだことをどう自覚するかということ、死んだらどうすれば良いかとういうこと等を、話したいなと思っています。
そしてそれは、実の母であろうと、義理の母であろうと、夫婦が一体であることを思ったら、何一つ変わらず、お話しさせていただかねばならないのだと思わせて頂いております。
話し始める環境を創る
あの世が近づいてきた母といえども、死んだ後のことを話すのは、なかなか気が引けるものであります。
「まさか、私が死ぬのを待っているの?」と、母に思われたりはしないとは思いますが、出来れば意識に上らせたくないと思っているかもしれない自分の死のことを、正面切って話をするのですから、大いなる気遣いが必要でありましょう。
まず、そんな話をしようと思ったら、その前提として、母とのコミュニケーションを十二分に取ることが必要でしょう。
もし今まであまり会話がなかったなら、そんな話を突然することは勿論、タブーでしょう。
当たり障りのない話、いえ、むしろ、お母さんの若かりし頃、結婚生活のこと、子育てのこと、子どもたちが巣立っていった後のこと、きっとお母さんが話したいことは、山のようにあるはずです。
誰も聞いてくれないから、心の奥にズッとしまっていた諸々の出来事。
ご主人にも先立たれ、子どもたちも遠っくの昔に巣立っていき、長い一人暮らしをしてきた、そんなお母さんであれば、そんな状態に置いてきた親不孝を詫び、お母さんが話したい事柄を、『そうか、そうだったのか』と聞いて上げ、自分たちを育ててくれたことのお礼など(きっとお礼などお伝えしたことなど、無かったのではないのでしょうか? 私もそうです)もお伝えして、心配をかけた話もして、母子の間に流れる温かいものを感じる状態にすることが、まず、第一でしょうね。
多くのお年寄りは、自分が話したことを、よくは記憶していないものです。私の母も、すぐ忘れてしまう年代に入っております。
『お母さんの若かった頃は、どんなお母さんだったの?』等と言うと、「この前話したやろ?」と言う人は、多くないでしょう。
何度でも、何度でも、初めてその話を聞くように、『そうだったんだ!』『大変な時代だったね』等と、目を輝かして聞いて上げましょう。
もし、「この前話したやろ?」と仰るお母さんがおられたら、『そうだね、でも、もっと色んな話が聞きたいんだよね。お母さんの話を聞いて、お母さんの人生が分かって嬉しいんだよね』等と言ってあげると良いですね。そうすると心置きなく、何度でも、少し違った話をして下さるかもしれません。
子育てや子供が大きくなった頃の親の苦労は、なかなかに大変なものがあります。『色んな心配をかけてきたんだね』という言葉もかけて、『有り難う』の言葉も沢山たくさんかけていきましょう。
ご主人が大変な人だったら、『激動の人生だったね。よく頑張ってきたね』等と、一心になって聞いてあげることが大事でしょう。
焦らず、若かった頃のこと、結婚してからのこと、子供が大きくなってからのこと、みんな巣立ってしまい独りぼっちになってからのこと、何度も何度も聞いて上げ、お母さんが、自分の生い立ち、人生を何のためらいもなく話せるようになった頃に、初めてこの話、あの世の話をする環境が出来たということになるでしょう。
どんな切っ掛けで話し始める?
自分とお母さんとの間に、何のわだかまりもない、わだかまりと言うより、遠慮する必要が何も無い、そんな関係性、親子関係が大前提であることは、いうまでもありません。
お母さんが話し疲れ、少し会話のない時間があっても、何の違和感もない。自分はお母さんがそこに居るだけで嬉しい。お母さんは、子供が側に居てくれるだけで安心である。そんな穏やかな親子関係を築くことが第一でしょうね。
そして今日も、お母さんの、子供たちを育て上げた話を聞いていました。
そして話が一段落しました。
そんなときです。
『ところでお母さんにも、一度ちゃんと話をしておきたいなと思ったんだけど・・・、僕は、高橋信次先生と仰る先生から、正しい人生の生き方を教わってきたんだよ。
僕はちゃんとお母さんに、そういう事も分かって欲しいから、いつか話そうと思っていたんだけどね・・・』
と、話し始めるのが良いでしょう。
『こんな事を言うと気を悪くするかもしれないけれど、亡くなった後の世界ってどうなっていると思うの?』
きっと、言葉に詰まって、返事はないかもしれませんね。
あなたは言葉を続けて、『こういう道すがらが、あるらしいよ』と、自分が生まれてきたいきさつ、死んだときはどんな状態か、死んだらどうしなければいけないか等を、噛んで含めるように説明してあげることが必要でしょう。
それらのことについては何もご存じないのですから。
でも、無理は禁物です。何もかも一度に話そうとはしないことです。
今日はそんな雰囲気ではないなと感じるときは、色々な世間話だけをして帰りましょう。
一方通行に話すことが大事なのではなく、お母さんに受け取っていただくことが大事なんですから。
どんな話をするか?
人間の誕生について
お母さん、僕はね、生まれるずっと前というより、お母さんが生まれるずっと前、天国とか天上界と言われている世界にいる時に、お父さんとお母さんが結婚することが分かっていて、この人たちの子供になって生まれてきたい、と思ったんだよね。
だから、お父さんとお母さんの前に行って、「子供として生まれさせて下さい」ってお願いしたんですよ。
そのときには、もう兄さんがお願いをした後だったんで、僕は次男として生まれてくることにして頂いたんです。
そしてお母さんとお父さんがその約束を果たしてくれたから、僕は今、ここにいることが出来ているんですよ。
このようなことはみんな一緒で、お母さんも、お祖父さんとお祖母さんの前に行って、「子供として生まれさせて下さい」ってお願いをして、お祖父さん、お祖母さんが了解して下さったから、この世に生まれてきたんですよ。
あの世にいる時は、この世のことは大体分かるので、お父さん、お母さんがどんな生活をするか、どこに住むか、裕福か貧乏か、そんなこともみんな分かっているので、全て承知の上で生まれてくるらしいよ。
そして僕は、そのお願いをした時に、お母さんから、「地球(この世、現世のこと)に生まれると、天上界(あの世、実在界)のことはみんな忘れてしまうから、天上界があることを間違いなく教えて欲しい」って言われたような気がしているんです。
もし、お母さんにこのことをお伝えしなかったら、「あれだけお願いしたのに、何で教えてくれなかった?」と、お叱りを受けるような気がしているんです。
そんな思いもあって、お母さんには、あの世が在ること、死んだらどうしなければいけないかを、お伝えしないといけないって思うようになったんです。
死の瞬間のこと
僕はね、高橋信次先生という偉い先生の教えを学んだお陰で、この世にどうして生まれて来たのか、あの世のことはどうなっているのかなんかを、知ることが出来たんですよ。
高橋信次先生の教えに出会うことも、お母さん、お父さんの子供として生まれたら、こんな人生を送って、ここで躓いて落ち込んで、そして高橋信次先生の教えに出会って、『自分が求めていたのはこれだ!』って気づけるはずだって、分かっていたんですよ。
そしてそのことは、お母さんも分かっていたから、僕に、『あの世が在ることを教えて欲しい』って、言われたんだと思っているんですよ。
そして、高橋信次先生に教えて頂いて分かったことは、死んだ人がいちばん難しいのが、自分は死んだと思えないことなんだそうなんです。
魂は生き通しでしょう? 肉体が死んでも、魂は死なないんです。
魂というのは、今お母さんが考えたり、思ったりしている、その意識のことだとお教え頂いています。
意識だけがフワフワとしているのではなく、光子体という目には見えないけれど、チャンとした光の体があるんだそうです。
その光子体という体は、今は肉体と一体になっているそうなんですが、肉体が死ぬと、肉体から抜け出て離れてしまうそうです。
肉体が死ぬと、魂を包んでいる光子体はもう肉体の中に入ることは出来ないそうです。
ところが普通の人は、肉体が死んだ時は魂が離れるなんて知らないものだから、「あれ、どうしたんだろう? どうして肉体の外に出てしまったんだろう? 病気の所為でこうなったのかな?」などと思ってしまい、死んだとはなかなか思えないそうなんです。
自分は肉体から抜け出た。自分は、意識はここにあるのに肉体はそこにある。帰ろうと思っても帰れない。「どうしたんだろう? どうしたらいいんだろう?」と、思ってしまう。
周りの人は自分が死んだような扱いを始めるが、「俺は生きているんだ!」「私は生きているんだよ!」という風になるんですね。何らかのショックで、病気か何かで肉体から出ただけだと思うんです。
特に、死んだら終わりだと思っていた人は、自分は死んだなどと思わないから、何とかしがみついて肉体に執着する。肉体に入ろうとしても入ることが出来ない、そんな内に葬式が始まってしまい、肉体は火葬場で焼かれてしまいます。
でも、意識、魂は死なないでありますし、肉体は焼かれて無くなったのに、別の体、光子体が自分の目に見えるものだから、自分が死んだなどとは、やはり思わないそうです。
だから一番大事なのは、自分が肉体から離れていることが分かったら、「あゝ、これが肉体が死んだということなのか!」と気づくことなんだそうです。
何も怖いことは無いそうですよ。
だって、ほんの少し前と全く同じように生きているんですからね。そして、重い肉体を脱ぎ捨てて、自由自在なんだそうですよ。
そしてもし、病気なんかで痛いところがあったとしても、「あれは肉体の痛みだったんだね。もう肉体から離れたから、肉体の痛みももう無いんだね」と思うと、本当に痛みが無くなっているそうです。
肉体が死んで一番大事なことは、「これが死んだということなんやね」と気づくことなんだそうです。そうしたら、これから何をしたら良いかも考えることが出来るからです。
死んでからやるべきこと
もし自分が死んだと理解できたら、まず、21日間は、自分の家に留まっていることが出来るそうですから、このことを思いだして下さい。
そして、生きていた時にお世話になった人なんかに、お礼に行くと良いですね。
重い肉体が無くなっているので、その人を思い浮かべるだけで、その人のところへ行けるそうですよ。車も電車も要らないそうです。
残念ながら、お礼に来たことに気づいて下さる方は、まずいらっしゃらないそうです。
そしてお世話になった人へのお礼が終わったら、次にやることは、自分が生きてきた一生の、全てのことの反省をしなければいけません。
もう、外に出かけるようなことはしないで、自分の部屋にいて、一心に反省だけをするようにしたらいいそうですよ。
神様に「私は亡くなったんですね。反省して、光の世界に帰っていったらいいんですね」ということを思って、キチンと反省をしたら、いつもお母さんを守ってくれている守護霊様が来て、そういう反省道場に連れていってくれるそうですよ。
小さい頃のお父さん、お母さん。兄弟姉妹との日々の生活。
そして学校の先生、お友達。
成人してからの友達や会社の方々。
結婚してからのご主人、子どもたち。近所の方々。
それ以外にも、この人生でお目にかかった全ての人々。
特にお父さん、お母さん、ご主人や子どもたち、この方たちは、お母さんの、この人生修行の仲間として一緒に生まれてきた人たちだから、特に特に、細かいことまで思い出して、感謝して、お礼をいっぱい申し述べて下さい。
そして最も大事なことは、この方たちを初めとして、全ての方たちに対して、怒ったり、愚痴ったり、妬んだり、恨んだり、憎んだりしたことはないか? いけない思い・行いをしたことはないか?と反省することです。
もし、そんなことがあったとしたら、何故そう思ってしまったのか?
お母さんの立場から眺めるのではなく、第三者の立場で、「相手と自分の中間で見て、または神様が見られて、自分が怒ったことは果たして正しかったのだろうか? 恨んだりしたことが果たして正しいことだったんだろうか?」と、振り返ることが正しい反省です。
「あの人がこう言ったから」とか、「この人があんなことをしたから」というふうに見るのではなく、「何故あの人はそう言ったのだろうか?」、「何故あの人はあんなことをしたんだろうか?」と、自分から離れて見つめていくことです。
そうすると、自分の目、お母さんの立場で見ていたことと違った情景が見えてきます。
そして、もし、自分が悪かった、勝手な見方をしていた、感情に任せていた、自分を守ろうとしていた、自分のことばっかり考えていた等と、自分の間違いが見えてきたら、神様と、その方に対してお詫びすることが大事です。
人によっては、反省ということがよく理解できない方もいらっしゃることでしょう。
そういうときに、今までお聞きしていたお母さんの諸々のお話し、お母さんの幼かった頃のこと、学生だった頃のこと、会社員だった頃のこと、結婚した頃のこと、子育てに邁進していた頃のこと、子どもたちが巣立ち、伴侶も旅立っていった頃のこと、そして今独りぼっちになってしまった日々のこと、もしお母さんの心に怒りや憎しみなど、不調和な思いがあったら、必ずそれが話の節々に出てくるはずであります。
その話を、お母さんを非難するのではなく、その思いは、神様の子の思いとしてはどうなんだろうね?というふうに考え、もし悪いと思ったら心からお詫びすることが反省なんですよとお教えする。
このことのためにも、準備段階としてお母さんの人生のお話しを充分にお聞きすることがとても大事なんだというとが言えます。
また、「その方に詫びることは分かるけれども、神様にもお詫びしないといけないのか?」って思うかもしれませんけど、それがとっても大事なことなんです。
神様は、私たち全ての人間に、神様の深い深い慈悲と愛を分け与えて下さっています。だから私たち人間を、神様の分身、分霊という言い方をします。それと同時に、神様は自由もお与え下さっています。
だから人間は自由に何でも出来ると、神様の子供であることを忘れてしまって、神様の愛や慈悲と掛け離れた悪いことも、してしまうこともあります。
でもそれは本来、悲しい悲しいことで、神様は人間が自由自在の中で、愛と慈悲に満ちた思いと行いをしてくれることを、ずっと望んでおられます。
神様の本質である愛と慈悲の思いから、かけ離れたことをしてしまったら、神様の子供であり、分身であり分霊である私たちが、神様にお詫びするのは、当たり前のことですよ、ね。
生まれた時から、死ぬまでの、思い出せる限りの出来事を思い返し、有り難かったことは感謝してお礼を申し述べ、悪かったことは心からお詫びする。ただ単にお詫びするだけでなく、今まで間違った思いで恨んだり怒ったりしていたことを、心からお詫びし尽くすことが大事ですね。
反省がキチンと出来ると、天上の光の天使が側に来てくれて、お母さんを天上の世界、天国に連れて行って下さいますよ。
しかしもし、黄金色に光り輝いていない者が来た時は、その者についていってはいけません。
「神様、私をお守り下さい。光をお与え下さい」とお祈りをしたら、お母さんは光に包まれて、良からぬ者は去って行きますから、光の存在かどうかだけを目安にして下さいね。
お母さんが真剣に反省をしたら、必ず光の天使が迎えに来てくれますから、安心して、そして真剣に反省をして下さい。
死んでからやることは、それ以外にはありません。
覚えておいて下さいね。
そしてその反省は、何も死んでから始めなくて良いんですよ。たった今から初めて良いんですよ。
その方がきっと、早く光の天使が迎えに来てくれることになることでしょう。
エピローグ
多くの人は、それぞれ歳を取っていくと、死んだらどうなるんだろうという思いは持つようなんですが、誰に聞いたら良いのかも分からないでおられるようです。
本を読んでみても、書いてあることもまちまち。何が本当か、全く分からない。
仕方なく自分で考えて、「神様はいると思うけど、死んだらやはり終わりなんだろうか?」とか、転生輪廻はあると理解していても、死んだそのときに、「はて、私はどうしたら良いんだろう?」と思われる方も沢山おられるそうです。
光の世界へ帰るのは、簡単なようで、なかなか難しいことだと、お教え頂いています。
例え今、神理を勉強したり、正法をかじっておられても、いざ亡くなった時に、「子供が心配」だとか、「教えて貰ったけど、本当にそんな世界があるのだろうか?」と、疑いに変わる方もおられるように、お聞きしています。
だから、亡くなられた後に、残された子供が供養してあげるにしても、生きている内にある程度キッチリと分かっていなければ、話をしてあげてもなかなか通じるものではないようであります。
死んでしまってから、お母さんに対して、先述のようなことを話し始めたとしても、「何を言っているんだい? 私は生きているんだよ」と、亡くなった方が思っていたら、その後のことは何一つ、耳には入らないことでしょう。
だから、今日は話せそうかな?という時に、少しずつ少しずつ話していくことによって、「成る程、あの世というのは、そういうふうになっているのか」というふうにも変わっていくことになりましょうし、大きな大きな最後の親孝行にも繋がっていくことでしょう。
そしてその前提は、お母さんが子供の言うことを真摯に聞こうという信頼関係を築くこと、これが第一であることを心しなくては、いけないことでしょう。
親子の関係だというようなことに甘えず、真に、「あんたの言うことなら信じないといけないね」と、お母さんが心から思えるような親子関係を作り上げることが、お母さんを救い、お母さんに対する最後の親孝行にも繋がることになることを、肝に銘じないといけないと思わせて頂きました。
私もこれから、その努力を最大限、実践しなければならないことを痛感しております。