相手が自分の思い通りに対応してくれないときに、後先を考えずに全てをぶち壊してしまおうとする心癖の解消

こんな出来事がありました・・・USBメモリーを壊してしまう

 ある時、USBメモリーをフォーマットしようとしました。

 その時、パソコンの裏側では、何かの作業を忙しくやっており、なかなかフォーマットが終わりませんでした。

 待っているのが面倒くさくなってきて、中断をしようとして、フォーマットの「キャンセル」のボタンを押しました。

 しかし、キャンセルも、なかなか「キャンセルしました」という状態、即ち、再度「フォーマット」可能のボタンが出てきません。

 更に面倒くさくなって、このUSBメモリーを、その時点で引き抜いてしまいました。このメモリーを何かに使うわけでもなく、このままおいておけばいいのに、イライラして後先の見境なく、引き抜いてしまいました。

 後に、再度フォーマットをしようとしても、その時は、何も受け付けない、即ち、俗に言う、壊れてしまっていました。

 情けないことに、また別の機会に、別のUSBメモリーにも同じことをしてしまい、2台のUSBメモリーが、壊れたような状態になってしまいました。

 これらのUSBメモリーは別途、「物理フォーマット(Low LevelFormat)」を行うことによって、2台とも再使用可能にはなった【物理フォーマット(Low Level Format)で、USBメモリー等を救済する】のですが、このような後先考えない私の行動は、今に始まったことではなく、かなり昔から、もっと深刻な事態、人間関係を壊すようなことが何度も有りました。

 その頃の私は、自己責任ということを考えることもなく、相手が悪いと責任をなすりつけているような状態だったのですが、やっと、このUSBメモリーを壊すという出来事から、昔の人間関係を壊すという出来事に思いを馳せ、こんな心癖は正常ではないという思いになりました。

 このような心癖が何故に出てくるのか、どんな原因があるのか、反省のテーマに取り上げることに致しました。

過去に於いては、どんな対応をしたことがあったのか?

 私は、ある大手企業の営業をしており、お客様から色々な製品(基本的にはすべてオーダーメイド)の見積を依頼されます。

 ある時、何十億もする製品の見積を依頼され、社内の担当部署に依頼しましたが、お客様の要求日に間に合わず、やむなく見積期限を延期していただくということで了解を得ました。

 ところが、その期限が近づいてきたある日、お客様に伸ばしていただいた期限に、見積が間に合わない旨を、見積担当部署が言ってきました。

 電話で長時間やり取りしましたが埓が明かず、とうとう、しびれを切らした私は、「もう、見積せんでええ(見積しなくても構わないの意)!」と言って、自分からその電話を切ってしまいました。

 暫くは興奮冷めやらず、相手のことを非難したりしていましたが、しばらくして落ち着いてくると、「どうしてあんなことを言ってしまったんだろう? お客様にはどう言えばいいんだろうか? 間に合わないと言えば、いつなら出来ると聞かれるに決まっている。しかし、社内に対しては、”見積せんでええ”等と言ってしまっている」と、自分の仕業を後悔したりしましたが、さりとて、「悪かった」とこちらから電話をする気にもなれなくて、悶々としたことがありました。

 幸いこの見積担当者は、私より年下だったこともあり、相手から電話をしてきてくれて、「遅れたとしてもお客様に見積をしないわけには行かないと思いますので、○月○日には見積を仕上げますので、了解いただけませんか?」と言ってきてくれたので、お客様には怒られながらも、良好な関係を維持することが出来ました。

 もし見積担当者が、「貴方が見積は要らないと言ったでしょう? だから見積はしてませんよ」等と言ってきたりしたら、一体どんなことになっていたことでしょう。まさしく、後先を考えない行動でありました。

 また、こんなこともありました。

 若かりし頃、気に入った女の子をデートに誘いました。

 さぞ楽しいデートになるだろうと期待していたところ、その女の子は友達を一人連れてきていました。

 その友達の女の子も私の知っている子であったので気楽に誘ったのでしょうが、わざわざ二人して出掛けてきてくれているにもかかわらず、二人で来たことに腹を立て、「もう、ええわ」と言って、二人を残して自分一人で帰ってしまっていました。

 当然その後で、自分のしたことを後悔し、何であんな馬鹿なことをしてしまったんだろうと思うのですが、覆水盆に返らずで、馬鹿な行動を起こす前の関係などに戻れるはずもありませんでした。

 後先を考えない、自分の独りよがりの思いと行動。そして暫くすると、自分の行動を後悔している。思い返せば、何度も何度もこのような愚かな行動を繰り返していたことが思い返されます。

 一番多かったのは、待ち合わせの時間に遅れてきた相手が許せず、5分も待たずに帰ってしまったことも何度もありました。良好な友達関係が維持できるはずもありませんでした。

 しかし後悔はしても、悪いのは相手と、自分が窮地に追い込まれている(と言うよりは、自分で自分を窮地に追い込んでしまっている)のだが、何とかしようなどとは全く考えることが出来ず、この心癖は長い間、痛みを伴うにもかかわらず、放置されてきてしまいました。

反省をする

 今回のUSBメモリーを壊してしまった行動といい、過去にしでかした行動といい、何が発火点になっているんだろう? 過去のどんな出来事が心に刻み込まれているんだろうと、反省のテーマに取り上げました。

 上記のような過去の出来事を思い浮かべながら、何が根源かと心の奥底に入っていったつもりですが、なかなか根源に突き当たりません。

 今までの反省であれば、反省を始めて暫くすると、心の奥底の方から、昔の幼い頃の思いが湧いてきて、あゝ、こんなことがあった、これがこの心癖のスタートだったのかと思い浮かぶことが多かったのですが、今回は一日、二日と反省を続けても思い浮かぶものがありませんでした。

 そんなある日、会社勤めを始めた若かりし頃、恐らく会社の仕事も分からないことも多く、イライラしていたのかもしれませんが、会社から帰って夕食を母に作って貰って食べているとき、母に対して途轍もない怒りが込み上げて来ていたことを思い出しました。

 怒りの原因は、母が自分を理解してくれていない、という思いでした。

 「こんなに苦しい。こんなに辛い。なのに、何故、それなりの言葉をかけてくれないんだ。何故分かってくれないんだ」という思い、母に自分の心情を吐露するわけでもないのにそれを分かってくれというような、何とも自分勝手な、独りよがりな思いで、怒面で母に怒りをぶつけておりました。

 母に愛されていないという思い、愛して欲しい、もっと構って欲しいというような思いからの、母に対する甘えかもしれません。幼い頃のそのような思いを抱えたまま、身体だけが大きくなっても、心はそのままだったのでしょう。

 私の母は、私を含めて七人の子供を抱え、父は自営の仕事をしていましたので、朝、昼、晩と食事の準備をしなければならず、私が小学校の頃までは祖母も健在でいましたし、もっと幼い頃には、叔父家族三人も同居しており、母は全ての人の対応をしなければならず、幼い私や子どもたちに手が回るはずなど、全く無かったのであります。

 他の兄弟姉妹も同じ状況だったので、それが当たり前という思いでおりましたので、寂しいとか、構って欲しいという思いを自覚することはありませんでしたが、心の奥では間違いなく、寂しい思いを抱き続けていたことでしょう。

 その潜在していた思いが、就職をして、人生の初めての困難(と自分が思っていただけなんでしょう)に直面したときに、人生の初めての不安に直面したとき、「何で分かってくれないんだ!」というような、幼い頃に心の奥に押し込めた本当の思い、もっと構って欲しい、もっと声を掛けて欲しい、もっと愛して欲しいという思い、それが噴出してきたのではないかと思わせていただきました。

 母はどこでこのような愛を身につけてこられたのか、このような私に対し、嫌な顔一つせず、淡々と対応して下さいました。ここで母が私の怒面に対して、例えば非難のようなものを投げかけていたら、私の人生は恐らく全く異なったもの、おそらくはもっともっと曲がった方向に向かっていたかも知れません。

 しかし、私がこのような鬼のような思いを持った状況は、長くは続きませんでした。

 仕事も忙しくなり、家に帰る時間も遅くなり、会社の人と飲む機会も増え、更には転勤なども重なり、いつしかそんな出来事も、心の表面からは忘れ去られていくことになってしまいました。

 しかし、その思いが消えたわけではありません。もちろん、解決したりもしません。

 表面上はこの現象界のめまぐるしい動きに翻弄されて、心の奥の動きなどに目が行くはずもないのでありますが、心の奥底では、いつこの思いが解消されるのか、その思いは、何か機会があれば表に飛び出そうと、いつも出番を待ち続けていたことでしょう。

 分かって欲しいという思い。自分の思い通りに対応して欲しいという思い。声を掛けて欲しいという思い、愛して欲しいという思い。その思いが、自分の思い通りの行動をしてくれなかったとき、その相手の人に対して破壊的な行動をして、そのような行動をすれば気づいてくれるんじゃないかと、ほぼ無意識にそんなことをしていたのでしょう。

 幼い頃の思いをそのまま抱えて、身体は大人になったのでしょうが、心は大人になることは出来なかったようであります。幼い頃に愛されなかった、実際には愛されていたのではありましょうが、愛されていると実感できなかった、寂しい、愛して欲しい、分かって欲しい、抱きしめて欲しい、そういう思いが凝縮して、心のわだかまりとなっていたのでしょう。

 その思いが、自分の自由になる相手、対象に対して、全く意識しないままに、分かって欲しいという思いの裏返し、無茶な行動を引き起こしていたのでしょう。「分かってや、声を掛けてや、無視せんといてや」、と。「こんなことをしたら振り向いてくれるやろ?」と。

 最近でも、チョット約束時間に遅れてくる人がいると、すぐに帰ってしまおうかという思いが浮かび上がってくることがあります。最近は流石に行動は起こしませんが、そんな思いが心の奥底から浮かび上がって来るのを見ている自分に気づくことがあります。想念観察(止観)が少しは身についたのかも知れません。

先ず、母に愛されていなかったという思い込み、心のわだかまりを解消する


 今までの心のわだかまり、修正したい心癖に関しては、その癖を初めて体験した幼い頃の体験がありました。
時間に縛られる、追いかけられるという心理の根源はどこにあるのか?
 否定される事に対する不安や恐怖を感じてしまう心癖を解消する方法の一例 等々)

 しかしどうも、今回のこの心癖には、根源となる幼児体験的なモノが見当たりません。いくら反省で過去の幼い頃に遡っても、「これだ!」というようなモノに突き当たらないのです。

 高橋信次先生からは、
 『反省をして「ああ、これが悪かったんだ。そして、その根っ子はここにあったんだ。これはもう二度と繰り返さないぞ」と心の中からそう思うこと、これが本当の反省といえます』
 とお教えいただいており、その根っ子は幼い頃の体験にあることが多いとお教えいただいております。

 しかし、今回のこの心癖に関しては、幼い頃のこの・・体験ということではなく、幼い頃の心に思わず知らず積み重なった思いの集積が、このような心癖として今、形を現しているのではないかと思わせていただきました。

 反省の中で、果たして私は母に愛されていたんだろうか? 愛されてはいなかったんだろうか? ということを思い浮かべてみました。

 直ぐさま、「何を考えているんだ!」という思いが心の中から突き上げてきました。「愛されていたに決まっているじゃないか!」と。

 「そうだね。そうに決まっているね」と自分でつぶやきながら、「どんな風に愛されていたんだろうね?」と、また、過去に遡っていきました。

 母は、確かに時間はなかったから、愛の表現をする機会は少なかったことでしょう。

 しかし、確かな愛を感じることは、きっとあったはずです。それを思い出してみましょう。それこそ、幼い頃のことを。

 小学校一年生の入学式。

 運動場でみんなが並んで、校長先生でしょう、マイクで喋っている式が終わりました。

 みんなは教室に入っていきます。

 私は、幼稚園に通っていなかったので、誰一人、友達も知り合いもいませんでした。

 私は母の着物の裾をつかんで、「ここにおる。教室に行くのん嫌や」と母を困らせていました。

 母は、「そうか、分かった。・・・でもな、お母ちゃんは、ズッとここに居るから、教室に行っといで。もし嫌やったら、ここに戻ってきたらええからな」と言って、私を送り出してくれました。

 私は、母がここ(運動場の片隅)にいるという安心感からでしょうか、素直に教室に行ったように思いますが、その先の記憶はありません。恐らくズッと、教室にいたんでしょう。

 母はいつまで校庭にいたのか? 帰る前には教室を覗きに来たことでしょう、帰っても大丈夫だな、と。

 その日、学校から帰ってきて、どんな顔をして、どんな言葉を母にかけたのかすら、記憶には残っていません。その時には駄々をこねたことすら忘れ去っていたのかも知れません。この出来事を何十年振りに思い出したのですから。

 また、私は兄弟七人の中で唯一、病気に良くかかる子供であったようです。恐らく家庭の不調和を一身に受け取ってしまっていたのかも知れません。

 小学校の一年生か二年生。

 私は高熱を出して、二階の部屋で一人、寝ていました。

 午後の何時か、夕方だったかも知れません。

 熱が下がったわけではなかったようですが、ふと目が覚めてしまいました。

 おぼろげな意識の中で、周りに誰もいないことが急に不安になり、大声で、涙声で、母を呼びました。

 母は何事かと大急ぎで階段を駆け上がってくれたようでした。

 当然、用事があったわけではありません。

 「どこも行ったらあかん」というようなことを言いました。

 母は、「分かった。ズッとここに居るで」と言って、「ズッとここに居るから、心配せんと眠ったらええで」と、そんなことを言ってくれたように思います。

 その先もまた、記憶がありません。が、恐らく、安心してすぐに眠りに落ちたんだと思います。

 母の愛、それは真実のものであり、溢れるほどに降り注いで下さっていたが、幼い私はそれを感じ取ることができなかった、実感することができなかっただけだったのだ、と。

 そしていま、その溢れるほどの愛を、如実に感じ、受け取らせていただいていたこと、母の大きな大きな愛に包まれていたこと、そしてそれは幼いときだけでなく成人してからも母の愛の中に居らせていただいていたことを実感します。

 もう、破壊的な思い、行いに走ることはないと思います。満たされない思い、分かって欲しいという思い、愛して欲しいという思いから解放されたんですから。途轍もなく大きな愛に包まれていたことを実感できたんですから。

 暫くは慣性の法則宜しく、今までのような思いを持つこともあるかもしれませんが、それも段々と消えてゆくことでしょう。

 その原因である母の愛をいただいていなかったという思いが単なる誤解であり、溢れるほどの愛をいただいていた、それも単なる観念ではなく、如実にいただいていた実感がある。「母よ、有り難うございます」と、心の底から感謝の思いが湧いてくるということは、私の心の中から、破壊的な思いが癒され、消えてゆくということになるのではないかと思えます。

 母よ、有り難うございます。心から感謝申し上げます。

 反省の中で、心からお礼を申し上げ、間違った観念を持っていたことを心からお詫び申し上げました。

反省は神の慈悲とお教えいただいていますが、自分を無意識にがんじがらめに縛っている自縄自縛から、自分を解き放つ唯一の方法ではないのでしょうか?

 高橋信次先生は、次のようにお教え下さっています。

 『私達が、不調和な想念の曇りをとり除くためには、反省して、その原因を究明して、同じ誤りをおかさない生活をすることが大事なのである。
 盲目的な人生修行をしている私達に対して、反省はむしろ、神が与えた大きな慈悲なのである』

 私たちは、10%の表面意識でこの現象の世界を生きているので、どうしても過ちを犯してしまいます。その過ちを反省することによって、神の許しをいただくことができるとお教え下さっています。

 そして、過ちは、外部に対するものも多いでしょうが、内に向けたもの、自分に対する過ちも、非常に多いのではないでしょうか?

 今回のテーマで取り上げた「後先を考えずに、気に入らないとぶち壊してしまおうとする心癖」のような自分を痛めつける、自分を傷つける心癖なども、数え上げれば、いくつも出てくるのではないのでしょうか?

 そしてその心癖が良い方向の癖であれば未だしも、大半は嬉しくない、できればなくしたいと思っている心癖ではないのでしょうか? 「何でこんなことをしてしまうんだろう」と、いうような心癖。

 そしてその心癖は、自分が意識するしないにかかわらず、自分の思いと行動を、がんじがらめに縛り付けているものでありましょう。その心癖が自分の人生を窮屈に、辛い方向に持って行っていることを自覚しないままに。

 世の中に、How-to物の本はたくさんあるかと存じますが、そしてこのような心癖を解消することを詠っている書籍もあるとは存じますが、心の本質を理解したものでない限り、カルマ的な根強い心の癖を、本質的に解消する術にはならないのではないのでしょうか?

 高橋信次先生は、自分を見つめるという反省について、GLAの東京本部の講師の方々に対して、『自分をしっかりと見詰めてきている人が何人いますか。それをやって欲しいのです』と、苦言を呈しておられたことがあります。

 お膝元の、私どもが到底及びもつかないレベルの講師の方々ですら、なかなか実践できない反省、自分を見つめるということではありますが、これを実践しない限り、自縄自縛の、目に見えない檻から脱出することはできないのではないのでしょうか?

 私は当然、出来ているなどと思い上がっているわけではありませんが、少しずつ少しずつ、一歩ずつ一歩ずつ、歩みを止めないで前に進むことが、何重もの自縄自縛の縄が一つ二つと解けてゆくのではないのでしょうか? 十二単の着物が一枚ずつ剥がされていくのではないのでしょうか?

 「心行」の中のお言葉、「正法は実践の中にこそ、生命が宿ることを知れ」、まさしく、その通りなんでありましょう。









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