ある日の義母宅への訪問
真夏のある日、盆ということもあって義母宅を訪問しました。
玄関を入るなり、異様な臭いが鼻をついてきました。その臭いは、部屋に入っても続いていました。
87歳と高齢の義母は、普段の生活に不自由はないのですが、夜間には失禁してしまうので、やむなく大人用の紙おむつをしています。これの交換をするときの臭いが、部屋の中にこもってしまうのでしょう。
特に夏の高温の時期でもあったので、強く臭いを感じたのかも知れません。
脱臭の方法を考える
家に帰って早速、脱臭について調べました。
機械式というか、電気を使って部屋の空気を吸い込んで脱臭する方法にも良いものがありそうでしたが、義母宅の脱臭をしたい場所は、ダイニングキッチン、トイレ、洗濯機置き場等、3カ所ほどあり、一台で賄うことは不可能と思えました。
そこで、消臭剤、脱臭剤を調べることとしました。
こちらは、メーカーの謳い文句の性能よりも、使用者の口コミを優先しました。
最近のネットは、自分で使用実績もないのに、「この製品は、・・・素晴らしい効果を発揮するそうです」等と、人さまの情報を、さも自分が調べたように記事にしているモノが多いので、その点を注意したつもりですが、実際に体験してみないと、何とも言えないのかも知れません。
ネットでの調査結果、どうも、下記製品が良さそうだということに落ち着きました。
・バイオお部屋の空間きれい
・バイオトイレの臭いにSP
この二種類を、義母宅に設置することにしました。
ついでに、と言っては何ですが、下記製品も購入し、我が家で困っていることの実証に供しようとしています。
・バイオお風呂のカビきれい
・バイオトイレのキバミ臭いに
結果が出ましたら、義母宅向けの製品も含めて、実証報告をしようと思っております。
長々とイントロを書きましたが、今回のこのブログは、これらの製品の実証報告等ではなく、それにまつわる私の心の癖といいますか、不快を感じる心の思いを解消する軌跡を書くのが目的であります。
義母の家に行く日にちを相談する
妻は、つい数日前に、私と一緒に義母の家に行き、私はその日に帰ってきましたが、妻はそのまま数日滞在して義母の世話をしてきました。
妻が帰ってきた数日後、義母宅の臭いについて私が切り出しました。
私が如実に感じたのは今回が初めてでしたが、妻は何日も滞在しているということもあって以前から感じていたようで、義母宅の近所に住んでいる妻の妹が、消臭剤や芳香剤をトイレなどに設置しているようですが、効き目がないというような話でした。
この妻の話に意を強くした私は、『バイオ云々という製品が、良いらしい。買っておいたから、これを持って、お母さんのところへ、もう一度行こう』と、話をしました。
妻は、つい先日、帰ってきたところだし・・・という思いがあったのでしょう、『すぐに行かんでも・・・今度行った時に・・・』と言葉を濁しました。
今度というのは、恐らく2~3ヶ月後位なので、それを待とうというのであれば、私はこの話を切り出すことはありませんでした。
義母が直接困っていることではないかも知れませんが、周囲に不快感をまき散らしているとすれば、一日も早くそれを解消して上げたい、という思いからの提案でした。
私が次の言葉を出しあぐねている様子を見て、妻は、私の意図をとっさに感じ取ったのでしょうか、それとも自分の発した言葉に違和感を感じたからでしょうか、「時期はちょっと考えてみます」と、答えを出してくれました。
結果として、また二人して、義母の家に、その一週間後に行くことになり、無事、消臭剤の設置を終えてきました。
人から否定的な言葉を投げかけられた時の私の心の思い
私がこの文章の中で書きたいことは、私の発想が素晴らしいとか、妻の最初の受け答えが問題だとか、最終的に妻も愛深い素晴らしい答えを出してくれたとかいうようなことではありません。
妻から、『すぐに行かんでも・・・今度行った時に・・・』と、否定的な言葉を言われた時、私の心は急降下して落ち込みました。そして、次の言葉が出てきませんでした。
しかし、その直後には、妻も私の意見に同意して、この否定的な言葉は、恰も無かったことになったのでありますが、私の心の落ち込みといいますか、傷といいますか、わだかまりといいますか、そのようなモノは、全くといって解消されておりませんでした。
妻との会話が終わった後、自分の部屋に戻った後も、ずっと落ち込んだままでした。
振り返って考えてみると、私は以前から、人から否定的なことを言われると、極端に落ち込むという心の癖を持っていました。
今回初めて気がついたわけではありませんで、以前から感じていたことではあったのですが、今回は、否定されて終わったわけでもなく、会話としては妻の肯定的な態度で終わったにもかかわらず、どうしてこんなに心が落ち込むのかということが気になりました。
高橋信次先生は、
『○○という性格一つとっても、人それぞれの原因は異なりますが、年代別に見るとたいていは、子供の頃に作られ、成人するにつれ、さまざまに枝葉となって変化していることに気づきます。
・・・そうして、その想念行為をみつめた結果、その想念行為が八つの規範である八正道に、適っていたかどうか。
もし、適っていなければ、その原因を追究し、原因、結果の正体を見極める。
そうして、その正体がわかったならば、二度と再び、その原因に翻弄されない想念と行為、八正道に適った生活を、実践してゆくことである』
と、お教え下さっています。
翌日の夜から、早速に反省に取り組みました。
何がこの心の苦しみの原因であろうか? 過去、特に幼い頃の自分の思いと行いのどこにその原因があるのだろうかと、過去に遡っていきました。
反省は、守護、指導霊様の導きがあるともお教え下さっていますが、ほんの数分で、これではないかという、今までほとんど思い出しもしなかった過去の状況が心に浮かんできます。
それは、私が祖母に何かを言っている情景です。恐らくお願い事をしているのでありましょう。
しかし、祖母は無惨にも、「今日、耳、にっちょう(日曜のこと)」と言っています。
「お祖母さんの耳は今日、日曜だから、お休み。お前の頼みは聞けないよ」と言っているのでありましょう。
何を頼んだのか、全く記憶はありませんが、しょげて、落ち込んでいるのであろう様子が感じ取れます。
あゝ、この時の思い、人から断られたときに落ち込む原因というか、悲しい思いになるのは、この時の体験が尾を引いているのか、と思わせていただきました。
これが原因であるのなら、この体験が今この年になっても、人から否定的なことを言われた時に落ち込む原因であるのなら、「何も、そんなに落ち込むことではないんだよ。普通の会話なんだよ」と、落ち込んでいる自我に言って上げれば良いだけではないのでしょうか?
この心の癖の根源を見つけることによって、この心の癖は、段々と解消していくのではないかと思っていました。しかし、ただ見つけるだけではダメなんだと実感する出来事が、その直後に起こってきました。
兄弟姉妹の会合を計画する
私の両親の墓は、昔ながらの街中の共同墓地にありましたが、近くに住む兄が、年齢的に世話をすることが難しくなり、約二年前に、永代供養などの管理をしてくれる霊園に引っ越しをしました。
それに伴い、空き家になっていた実家も処分しました。今まで、回忌等の節目に集まっていた兄弟姉妹が、集まるべき家も、墓と一緒になくなってしまいました。
私は、縁あってこの世に生まれてきた兄弟姉妹が、せめて一年に一度なりとも集まって、近況を語り合ったり、両親の思い出話を話し合ったり出来ないものかと、年賀状にそのようなことを書いたりしていましたが、誰も名乗りを上げてくれないので、自分で名乗りを上げることにしました。
当然、七人もいる兄弟ですから、死んだら終わりと思っている人もおり、日程を決めるのに考えあぐねましたが、もうすぐやってくる母の命日が、やはり名目としても良いだろうということで、その日を会合の日と決めました。
その一ヶ月強前のある日、六人の兄弟姉妹に電話で、取り敢えず、この日の予定を空けてくれるように依頼をすることにしました。
ところがその当日になると、電話は夜の夕食後辺りにしようと思っているのですが、朝から、何も手につきません。
毎日時間を決めてやっている法の学修も、上の空で、当日は、勉強すること自体を断念いたしました。
何も手につかない原因は、兄弟姉妹が賛同してくれるか、拒否されないかという心配、不安感が原因でした。
拒否される前から拒否されたときのことを考えて、不安感に陥る、囚われるということは、この前の、妻から自分の考えを否定されたときの思いと全く同じものであり、そのことに対する恐怖が大きいものだから、現実に起こっていないことに不安を感じているのだろうと理解しました。
毎日やっている夜の反省後に電話をするつもりだったのですが、何と何と、反省すらキチンと出来ない有り様です。
しかし、取り敢えず6人いる兄弟姉妹の5人に電話をしたところ、何を心配していたのかというほど呆気なく、皆が賛同してくれましたし、何人かは世話役を買って出てくれたことに感謝すらしてくれました。
一人の兄弟は電話番号を変えたらしく、その日は不通で連絡が取れませんでした。
再度、祖母の反省をする
翌日の夜 再度、このこと、即ち、断られるのではないかと心配したり、不安に感じることに関しての反省を致しました。
今一度、高橋信次先生のお言葉を拝見し、繰り返し拝読し、心にいただいてから反省を始めました。
相変わらず、心に浮かんでくるのは、祖母との会話なので、その時の祖母の態度、受け答えを、私が正しく見ていたのかということを重点に反省をいたしました。
「今日、耳、にっちょう(日曜)」と言ったときの祖母の思いはどんなだったのだろうと、思いを巡らせてみました。
私はどんな頼み事をしたのか、全く記憶にはありませんが、祖母が否定する、若しくは否定せざるを得ない頼み事だったのではないかと想像いたしました。
祖母は、「ダメ!」と拒否することも出来ました。それを、「今日、耳、にっちょう」と、冗談めかして言ってくれたのではないか、可愛い孫のために精一杯の愛の表現だったのではないかという思いが湧いてきました。
それを、祖母が拒否したから、そのときの思いが自分の嫌な心癖になってしまったなどと、あらぬ思いを抱いていたのではないか、祖母の愛の表現を、拒否されたとねじ曲げて独りよがりの見方をしていたのではないか、まさしく、正しく見ていなかったのではないかという思いが致しました。
イメージの中で、祖母の愛に対し、感謝の言葉を言いました。「お祖母ちゃん、有り難う」と。「精一杯の愛の表現だったんだね」と。「誤解していてご免ね」と。
私の心の中の冷たいモノが溶けていくような感じがしました。
これで、今まで抱いてきた拒否されたことに対する心の落ち込み、拒否されるのではないかという心配・不安感、この心の癖が一緒に溶けていくのではないかという思いが致しました。
これで、断られることに対する不安・恐怖が消えて行くのか?
翌日、一人の兄から、不通になっていた兄弟の電話番号を聞き出し、電話を致しました。
最後の一人だったからかも知れませんが、電話をする前の不安はほとんど感じられず、答が否であれば、その時はその時で考えればいいじゃないかという思い、回答が来る前に心配する必要はなかろうという気楽な思いで、電話をすることが出来ました。
答はもちろん、OK。
何十年という心癖が、チョットの反省で完全に解消するとは思っていませんが、もし、同じような不安が出てきたときは又、このような反省をすることによって、その不安から脱却できるし、段々と、不安そのものから離脱できるのではないかと思わせていただきました。
何故って? この心癖の原因が分かったし、その原因の根本はきっと、自分の独りよがりのねじ曲げた思い込みであったのであろうし、そのねじ曲がった思いを修正したのだから、即ち、原因の根っこがなくなったのだから、もう、この思いが拡散することはないのではなかろうかと思わせていただきました。
この心癖の解消に手を貸して下さった天上の皆さま、地上の皆さまに、心から感謝申し上げます。
有り難うございました。有り難うございました。