童話「不自由な足の友達」を「童話集-キャベツの悲しみ」に投稿しました

身体障害や病気について

 世の中には、生まれつきの身体障害児や、病気の子供、生まれつきでなくても、生まれて暫くしてから発病する子供もたくさんおられることと思います。

 私もたまに何がしかの身体の不具合で病院に行きますと、待合室に幼い子供がおられることに胸が痛みます。

 そして、その身体の不具合や病気のことを少しも気にしないで、天真爛漫に振る舞っておられる姿を拝見しますと、殊更に、何でこんな子供が・・・と思ってしまいます。

 子供の不具合は親の不調和が原因であり、両親に対する警告であると、高橋信次先生はお教え下さっていますが、その張本人の親が、そのことを理解しないのでは、何のための警告かと思わざるを得ませんが、この世の心の法則なのだから、致し方ないことなんでありましょう。

 さて、童話集の童話はすべて、何らかの切っ掛けがあって書き始めるのでありますが、その切っ掛けはことごとく、天上のお導きなんだろうと思わせていただいておりますが、今回は特にスムーズに筆が走りました。

 テーマと天上の世界が結びついた内容であったからかも知れません。

身体障害の子供にして上げられることは何か?

 障害をお持ちのお子様、病気のお子様を持たれた親御さんの心は、察するにあまりありますが、そのようなお子様に親がして上げられることは一体、どんなことなのでしょう?

 高橋信次先生の愛弟子の先生が、ある方をご指導しておられたときの内容が下記であります。

 『ある方が、「(障害児であるという)事実を受け止め、明日のことや将来のことを長い目で見据えて、子供が一日も早く自立出来ることを中心に考えていきたいと思います」とお話しされました。

 それに対し先生は 次のようなご指導をされました。

 「お子様が自立するために一番大切なことは心です。正しい心を持ち、正しく生きることが何よりも大切です。お金や物を残すことよりも愛豊かな、心豊かな生き方をすることが一番幸せなことだと思います。それこそがお子様にとって一番の財産だと思います。それをお母様が勉強され、お子様に伝えることが必要です。
 お子様は今後、一般の人と比べてどうして私はこんなに厳しい環境にいるのだろうと、必ず思うに違いありません。だからこそ必ず正しい道を教えてあげるべきです。それが出来たならば、必ずお子様は幸せを見い出すことが出来るでしょう」と。』

 人間として、何が真実なのか、何故、私達は生きているのか? 何故、生まれてきたのか? 何故、父母の元に生まれてきたのか? 生まれてきた目的は何なのか? 

 もし、身体的に不自由な状況にあるのであれば、何故私はこんな厳しい状況下にいるのであろうか? 偶然なのか、それとも理由があるのだろうか? 私はこのことを知って生まれてきたのであろうか?

 両親は、少なくとも、その答えを準備して上げるべきではないのでしょうか?

 何千万円、何億円のお金を両親が残したとしても、この人生の謎を解明しない限り、厳しい状況下にいる子供の心が晴れることはなく、心豊かに幸せを感じることはないのではないでしょうか?

 本当の意味からしますと、全ての人間がこのことを理解しなければ、平和な世界は訪れてはこないように思われますが、障害をお持ちの方は特に、この理解が如何にこの人生の助けとなるか、如何に人生を歩む上での杖となるか、計り知れないものがあるのではないかと思っております。





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