お正月の挨拶
今日は一月一日、元日、元旦とも言います。お正月です。新しい一年の始まりの日です。
元旦の旦の字は、水平線から太陽、お日様が上がってくることを表しているということだそうです。
光輔君のお家でも、みんながキチンと両手を突いて新年の挨拶をします。
最初にお母さんと光輔君がお父さんに向かって、「明けまして、おめでとうございます」と挨拶をしました。
それに応えてお父さんが、「新年おめでとうございます。本年も宜しくお願いします」と挨拶をしました。
お正月だけは歳が上であっても、毎日の朝の挨拶のように「おめでとう」というような言い方をせずに、キチンと「おめでとうございます」と挨拶をします。日本の素晴らしい風習かもしれませんね。
お祖母さんの家に正月の挨拶に行く
一月二日、光輔君一家も、光輔君のお母さんの兄弟一家もみんなが、お祖母さんの家に集まることになっています。
光輔君は、お祖母さんだけでなく、お母さんの兄弟の叔父さんや叔母さんからもお年玉を貰えるので、この一月二日は楽しみで仕方がありません。
そしてその日はお祖母さんが毎年、ご馳走を準備してくれています。
昔はおせち料理といって、お正月用に特にめでたいとされている料理、エビや数の子、黒豆、紅白のかまぼこなどを重箱に詰めていましたが、最近はそういう風習も段々減ってきて、お寿司やおでんを準備したりするお家も多くなってきました。
近所の神社に初詣に行く
男の人はビールを飲んだり、女の人はお寿司やおでんをつまんだり、みんなでワイワイガヤガヤ。
大分、お腹も一杯になりました。
誰かが、「初詣に行こうか?」と言いました。
お祖母さんのお家の近くの歩いて行ける距離の所に、結構立派な神社があり、秋の祭も盛大にやっています。
光輔君は、その祭にも、何度も来たことがあり、クジを引いての当て物や金魚すくいなどをしたことがありました。
みんなはその神社まで、歩いてきました。
正面の賽銭箱にお金を入れて、吊り下げてある鈴をガラガラと鳴らして、一人ずつ、お詣りをしました。
「今年は仕事を頑張らせて下さい」とお祈りをしたり、「みんなが健康に恵まれますように」とお願いをしたり、一人一人が様々なお願い事をしました。
光輔君はふと、お祖母さんを見ると、一人で後ろの方に立って、みんなを見ていました。
どうしたんだろうと思いながらも、光輔君もみんながするように、鈴を鳴らしてお詣りをしました。
そしてその後は、おみくじを引いたり、参道のお店なんかを見て、ちょっとしたお菓子なんかを買いながら、ゆっくりとお家に帰ってきました。
そしてやがて夕方になったので、お祖母さんが、「さあ、もうそろそろお開きにしましょうか? お休みが明日までの人もいるから、疲れを残さないように、ゆっくり休んでね」と言って、みんな、それぞれのお家に帰っていきました。
光輔君のお家で
お家に帰ってくると、もう夕食の時間でした。
みんな、余りお腹は減っていなかったようなのでお母さんが、「何か食べたいもの、ある?」と聞きました。
お父さんが、《結構お腹が一杯だから、麺類が良いな。大晦日にそばを食べたから、今日はうどんが食べたいな》と言いました。
お母さんが、「光輔君もうどんで良い?」と聞いたので、『良いよ』と光輔君も答えました。
みんなでうどんの夕飯を食べているときに光輔君が聞きました。『お祖母ちゃんが神社でお詣りをしなかったの、知ってる?』と。
お母さんが、「あら、そうだったの?」と、お父さんの方を見ながら聞きました。
《そうだったね。何か訳があるんだろうと思っていたが、今度行ったときに聞いてみたら?》とお父さんが答えました。
「そうね。じゃあ、光輔君、今度、お祖母ちゃんのお家に行ったときに聞いてみよう」とお母さんが言いました。
神社仏閣にお詣りに行くときは・・・
お祖母さんのお家に行く
今週の週末は、お父さんが出張で家にいないので、光輔君とお母さんは、お祖母さんのお家に泊まりがけで行くことになりました。
寒い日が続いているので、お祖母さんのお家での夕飯は三人で鍋にすることにしました。
フーフー言いながらお鍋をいただき、最後は雑炊をつくって、これも又、フーフー言いながらいただきました。
暖かい夕飯を終えて、デザートの果物を食べているときに、光輔君が聞きました。
『お祖母ちゃん、初詣の時に、お祖母ちゃんはお詣りをしないで、後の方に立っていたよね。どうしてなの?』と。
「あら、見てたの?
あのね、お祖母さんのこの考え方は、今の世の中の常識とは違っているから、よっぽど聞きたいって言う人にしか話さないんだけどね・・・。
・・・先ず、神社に祀ってあるのは、本当の神様じゃなくて、大体は死んで亡くなった人を祀ってあるのよね。
前にも言ったと思うけど、神様の身体は、この大きな宇宙全部だから、あんな小さな小さな神社なんかに入れるものじゃないの。
神社に祀ってあるのは昔の人で、人のために尽くした人だとか、指導的な立場にいた人とか、俗に言う偉い人なんかが祀ってあるわけ」
『そうなんだ! 神様があの中にいるんじゃないんだ』
「そうよ、神様はこの宇宙で一人しかいらっしゃらないし、この宇宙が神様の身体で、人間も他の生き物も全て神様が創られた。
宇宙の数え切れないほど沢山ある銀河全体が神様の身体だから、私たちは神様の身体の中にいることになるわけ。
この地球も神様の身体の一部なんだから、地球自体が大神殿ということになってしまうの。だから神社なんかに行かなくても、元々私たちは神様の大神殿の中にいるということになるのよ」
どうしてみんなは神様にお詣りをするのか?
『ふーん。
でも、みんな何で、神社にお詣りするんだろう? あの神社の神様は、お願いを聞いてくれる人じゃないの?』
「そうね、お願いをして、その願いを聞いて下さったら、こんなに有り難いことはないわね。
もしそうだとしたら、世界中の人がみんな幸せになっているはずよ、ね。
でも、世界中の人みんなが、大きな家に住みたい、美味しいものが食べたい、働かないでお金が欲しいなんて言っていたら、この地球はどうなるかしら。
それを叶えてくれる神様がいるとしたら、どんな神様かしら?」
『働かないでお金が貰えたら、誰も働かなくなって、お家も建たないよ、美味しいレストランも無くなっちゃうよ』
「そうよね。
人間は、努力をした分だけ報われるように、本当の神様がチャンと決めておられるの。
お願いをしたって、その人が努力をしなかったら、聞いてくれるはずがないでしょう?」
『じゃあ、何でみんな、神社にお詣りに行くの?』
「今の時代は、ロケットが月だけじゃなく、火星にも金星にも飛んで行く科学万能の時代でしょう?
幽霊の話や魂の話をすると信じない人や、科学的じゃないって言う人が多いけれど、そんな人に限って、神社にお詣りに行ったり、厄年なんかには厄除けだと言ってお祓いなんかをして貰うのよ、ね。
そういうことについて、自分の考えをキチンと持っていない人が多いっていうことになるわね」
『でも、神社に祀ってあるのが神様じゃなくって人間であったとしても、お詣りに行くことは、悪いことじゃないんじゃないの?』
自分勝手なお願いばかりをしていると・・・
「凄いね、光輔ちゃん。その通りよ。
神社には昔の偉い人なんかが祀ってあるから、〔お陰様で幸せに暮らせています。有り難うございます〕って感謝の心でお詣りするなら良いんだけれど、みんな自分勝手なことばかり頼んでしまうのよね。
〔家族のみんなが幸せになりますように。
商売が繁盛しますように。
裁判に勝たせててください。
選挙に当選させて下さい。
子供を大学に入学させてください。
競馬に勝つ方法を教えて下さい。
自動車の事故のないようにしてください。
病気を治してください
お金が儲かるようにしてください〕
下さい、下さいで、みんな押しかけるのね。
そのお願いは色々なんだけど、みんな虫のいいお願いばっかり。
自分だけがうまくいきますように。他の人はどうなってもかまわない、うちの息子、娘、うちの家族さえよくなったらいい、それに眼がくらんでお詣りをするのよね。
前にも言ったことがあると思うけれど、この世の中には、〔類は友を呼ぶ〕って法則があるの。
光輔ちゃんの周りにも、光輔ちゃんと遊んでいて楽しい人ばっかりが集まってくるでしょう?
漫画が好きな人はそういう人同士が、ゲームが好きな人はそういう人ばっかりが集まってくるの。
悪い人なんかもそうよ。やくざの人の周りにはやくざばっかり、学校で意地悪をする人はそういう人ばっかりが集まってくるの。
だから神社に行って〔お金儲けをさせて下さい〕〔パチンコや競馬で勝たせて下さい〕なんて、自分勝手なお願いする人ばっかりだと、そういう思いの想念がその神社を包み、祀られていた心の正しい昔の人の霊はその神社には居られなくなってしまうの。
替わりに、人のことなんかどうでも構わないというような人生を送ってしまい、天国に帰れないで、地獄に堕ちている人なんかが、その想念に引きつけられるようにやって来て、そこを住処にしてしまうのよ」
『じゃあ、神社には、悪い神様がいるの?』
「そうね、全部じゃないかもしれないけれど、悪い神様じゃなくて、悪霊とか地獄霊とか言っている死んだ人間の霊や、動物霊と言って、これも死んだ蛇や狐なんかが住み着いていることが多いそうよ」
『そんな人や動物がいるところにお願いに行っても、聞いてくれるはずがないっていうこと?』
「そうよね。聞いてくれるはずはないわよね。
先ず、そんな力を持っているはずがないでしょう?
むしろ、そんな悪い霊に波長が合う人が行くと、そういう霊を呼び込んでしまって、取り憑かれてしまうかも知れないわね」
『取り憑かれるとどうなるの?』
「たまに、交通安全のご祈祷をして貰って、その帰りに交通事故で死んでしまうってニュースがあるわね。
そういう事故はきっと、波長が合ってしまって、取り憑かれた結果なんだと思うよ」
『ふーん、じゃあ、神社なんかにお詣りに行かない方が良いんだ』
神社や仏閣に行くときは・・・
「これはお祖母ちゃんが教えて貰って信じていることで、今の世の中の常識とは違うんだけど、何が住み着いているか分からないところには、出来ればお詣りはしない方が良いと思っているの。
でも、どうしてもつきあいだとか、団体行動だとか、一緒に行かないといけないときもあるわよね?」
『僕なんか、学校の遠足で行ったこともあるよ』
「そういうときは、後ろの方で見ているというのも良いかもしれないわね。
偉い神様がいるとか悪いやつがいるとか思わずに、ただ景色の良いところを見学に来たようなつもりでいたら良いかもしれないわね」
《でも、難しいわね》と、お母さんが初めて口を挟みました。
《みんなと言っても良いくらい、神仏様にお詣りすることは正しいと思っているし、大事な行事だと思っている人も多いでしょう?
最初は赤ちゃんが出来たときの帯祝いでしょう? 次は生まれてからの宮参り。七五三。
神社に行ってお祈りをして貰わないとダメって思っているお祖父さんやお祖母さんも多いでしょう?》
「そうね。
その人たちも良かれと思ってしていることで、そんなことで言い争いをしたりしないで、調和を保つことが大事ね。
だからそんなときは、チャンとみんなと一緒にお詣りをして、ただの行事だと思っていればいいのよ。
でも、その人たちも子供や孫が健やかに育って欲しい、幸せでいて欲しいという思いで色んなお祝いをするのだから、それは心から一緒になってお祝いをすることが大事よね」
『お祖母ちゃんはずっと、お詣りはしないの?』
「そうよ。
触らぬ神に祟りなしって言うでしょう?
何が祀ってあるか分からない、見えもしない、声も聞こえない者に手を合わせるっていうことは、ギャングの親分に頼んでいるかも知れないっていうことよね。
もし偶然であっても願いが叶えられたりしたら、その親分はどう思うかしら。俺が叶えてやったんだと、何を要求されるか分からないわよ」
《そう考えると怖いわね》と又、お母さんが言いました。
「侮ったりはしない方が良いけれど、何も恐れる必要はないの。でも何か気になったり心配なときは、心に丸い円を想像して、自分は円満な神の子だと思うことね。
みんなと一緒にお詣りに行っても、頭を下げたりせずに関わりを持たないで、毅然たる態度でいたら良いのよ」
私たちの心は、本当の神様につながっている
『分かった。
神様に頼ったりしないで、自分で正しく、一生懸命に努力すれば良いんだね、お祖母ちゃん』
「その通り。人事を尽くして天命を待つって言うでしょう?
自分で全力を尽くしたと思ったら、後は本当の神様が良いようにして下さるわよ。
それに、人類すべての心は神様につながっているから、その自分の心を通じて本当の神様にお願いをすることは、決していけないことじゃないのよ。
でも、本当の神様にお願いをするんであれば、キチンと自分が努力をして、正しく生きる、愛いっぱいに生きる努力をしないとねー。
でも、やっぱり最後は光輔ちゃんの一言で締まるわねー」
とお祖母さんが言うと、お母さんも《本当に、そうねー》と言って、みんなが笑顔に包まれました。
お祖母さんのお家での楽しい会話は、夜が更け、みんなが眠る時間が来るまで続きました。
ーー おしまい ーー