正法の伝道を断念する・・・私を最初に正法への橋渡しをして下さった方に対して

最初に私を正法への橋渡しをして下さった人

 その方はGさんといいます。

 もう20年以上前、Gさんを先頭に、私たち数十人がグループを作って精神世界をほっつき歩いていた頃、ある日突然に、『この本読み! ほんまものやで』と、一冊の本を貸してくれました。

 「心の発見」でありました。

 ただ残念なことに、その頃の私たちは、自分たちが何を求めているのかすらよく分からずに、ただ闇雲に安楽(経済・物質的に楽になること)を求める、人より優位に立つ霊的な力を求める、そういうような指向性であったため、一通り読んだだけでは偉大な主のご著書が、哀しいことに私の心に響くことはありませんでした。

 その何年か後、十年近く経っていたかもしれませんが、私は数奇な天のお導きをいただき、法に帰依させていただくことが出来(我が正法への道:http://huuhu-no-tyouwa-to-kosodate.link/2019/05/13/waga-syouhou-heno-miti/を参照下さい)、「心の発見」こそ、私(たち)の人生の教科書、聖書であると心から思わせて頂きました。

 然るに、最初に私に法への橋渡しをして下さったGさんは、当然のごとく現在も精神世界には居られるのですが、法とはかけ離れた、私の感覚では、自力の方向ではなく、安易な道に進んでしまわれたようであります。

 私は数年前に、師事していました丸山弘先生が亡くなられた後すぐに、十数年ぶりに、このGさんに会わせていただきました。

 Gさんは相変わらず、という意味では私も同じなのですが、前の先生(知花先生の教え)の指導方法を正しいと思ってやっておられるようでした。

 ただ、私も十年以上、法に帰依して精進してきたつもりであったのですが、丸山先生のご指導をただそのまま実践するのみであり、自力の道と言いながらも他力的に歩んでいたためか、Gさんと話し合いをする中で、Gさんの考え方に対して、ここが法から外れていると言い切る知識がないことを実感しました。

 何ヶ月間か、月に一回程度、喫茶店などで落ち合って、交流をしましたが、当然、交わることもなく、そのうち、ごく自然にお呼びがかからなくなってしまいました。

 平行線のままなのだから、それも仕方がないと思っていましたが、その後また何年かして、私はやはりGさんに、法をお伝えしなければならない、このままではGさんは、あの世に帰った途端、「しまった!」と慨嘆するであろうと思いました。

 Gさんは元々霊格が高い(と私は思っている)ので、道を違えていても、地獄に真っ逆さまではなかろう、あの世に帰った途端に気づかれるのではなかろうかと思っています。

 何ヶ月間か、毎日の健康祈願にGさんの名前を入れ、「法に帰依しますように」という祈りを始めました。

最初のアクション

 あるとき所用で、昔、Gさん達と意見交換した喫茶店の前を通ることがありました。

 電撃のように心に響いてきました。「この喫茶店に来て、Gさんが来るのを待とう!」と。

 当然、今も同じ喫茶店を使って仲間たちと交流しておられるかどうかは知る由もありませんし、もし使っておられるとしても、私が行く日時に来られるかどうかも全く分からないのですが、とにかくアクションをしてみようという気持ちになりました。

 日時を決めて、2回、その喫茶店に行きました。約束をしているわけではないので、当然のようにGさんが来るはずもありませんでした。結果としてこの心に響いてきたイメージは実現することはありませんでした。

 だからこのメッセージは守護霊様からのメッセージではないと切り捨てて良いのだろうか? 次のステップに進むための序章なのだろうか? 私の心のレベルでは、メッセージの真偽を読み取ることは出来ませんでした。

 私は再び、毎日の健康祈願でGさんの名前を読み上げ、「やることはやりました。もうこの先は、私ではなく守護霊さまの仕事だと思います。必要があれば、私に指示して下さい」と、半ば脅迫のような祈りをしているような状態でした。

 事実この時点では、次に何かをしようというような思いつきは、私には一切ありませんで、万策尽きたというような思いでした。

次のアクション

 何日かすると、心行を拝誦しているときだったと思いますが、ふと、メールを打とうという思いが湧き上がってきました。

 Gさんとは比較的最近、事務的なことでメールのやりとりをしたことがあるので、お互いのメールアドレスだけは承知していたのです。が、突然メールをしても上手く行くはずがなかろう、というような漠然とした思いを持っていたようでありますが、この時はメールをしてみようという思いが、ふと、わき上がってきました。

 私は心の窓が開けていませんので、この思いつきが守護・指導霊さまのお言葉か、悪霊のささやきか、はたまた自我の単なる思いつきか、確りとは分からないのですが、これは守護・指導霊さまのお導きであろうと思わせていただくことにしました。

 私の場合はいつもそうなんですが、守護・指導霊さまに問い合わせをしたときは、何も返答をいただけないのですが、何か正法に絡んだことをしているときに、今回は心行の読誦中に、あるときはご著書の拝読中などに、ふと思いつかせて下さるようであります。

 恐らく心の曇りが大きいので、比較的、心が純になっているタイミングを狙って通信して下さるということなのでしょうか? そして私の心が比較的純なタイミングで受け取れるということなんでしょうか?

 当然、お導きなのか、単なる自我の思いつきか、区別は出来ないんですが、今まで思いつかなかったことを思いつかせて下さるということはお導きなんだろうと、無理にも思いたい気持ちがあります。

 ある日、タイミングを見計らってメールをしました。

 『所用で、過去によく話をした喫茶店の前を通ったとき、皆さんどうしておられるだろうという感慨が湧いてきました。まだ皆さんで会っておられるなら、久しぶりにご一緒させていただけませんか?』と。

 意外と思えるほど、直ぐに返事が来ました。

 「みんなと連絡を取ってみます。また連絡します」と、ビックリするような返事が来ました。

 そして2~3日して、日時と場所の連絡が来ました。

 実際に会う日まで、毎日の反省の時間は、会ったときにはこう話そう、ああ話そうというシミュレーションに充てました。

 Gさんは離婚をしており、その反省が辛いので、法から離れていったという話を、天上の方から聞いたことがあったので、この話題を持ち出して、心を法に向けさせようかと考えたり。

 最初から、勉強会をしませんか?と、持ちかけてみようかと思ったり。

 Gさんの信奉している教えは、ここが間違いだと、真っ正面から切り出そうかと考えたり。

 色々考えてみたところで、出たとこ勝負にならざるを得ないので、Gさんを通して偉大な主が話をしておられると思って、会に臨もうと思わせていただきました。

最初の会合はどうなったか?

 指定された日時に指定された場所に行ったとき、何と七人もの人が私を待ち受けて下さっていました。みんな昔の仲間たちです。

 ところが、私が席に着くなりGさんが、「○○さんとは、いっつも平行線で、言い合いばっかり。まだやってるんでしょう?」と聞いたので、「当然」と答えました。

 こんなやりとりは昔からのことなので、何とも思わないのですが、30分経っても1時間経ってもお互いの学びの主張をしたり、相手の欠点を見つけたりの状態が続きました。

 ここで私は偉大な主を思い出しました。

 偉大な主がGさんを通じて話をしておられる、「こんな状態だけれど、どう伝道する?」と問いかけておられるのではないかと思わせていただきました。

 そして、「可能性が見いだせません。久しぶりに会わせていただきましたが、非常な困難を感じています。もう、今日を最後にしていいですか?」と、偉大な主に聞いている自分がありました。

 当然返事は聞こえません。

 話は色んな所に飛んだりしながら、会合は4時間半にも及びました。

 途中で何度も雑談のようにもなりましたが、ある方の失敗談を機会に私が、「そんなことが起こった原因があるはずです。その原因は貴方の思いと行いです。それを見つけ出して繰り返さないようにするのが反省ですよ」と言うと、Gさんがそれに輪をかけて、「神のお知らせとして捉えないといけないよ」と言いました。

 そんなやりとりをしていると別の一人が、「○○さん(私のこと)とGさんはほとんど一緒で、最後の一線だけが違うように思える」と言いました。

 私は、本質は違うが、表面上はそう見えてもおかしくないと思い、「私も今、そう思いました」と答えていました。

 しかし結局この会合は、伝道とは程遠い結果となり、天からのお言葉も聞こえず、ある意味、予想通りかなと思いながら帰路につきました。

家での反省

 反省の中で私は、守護・指導霊さまに、この日の出来事を事細かに報告しました。

 『Gさんは、全く法に見向きもしませんし、向き合おうともしません。私の話し方の拙さも大きいとは思いますが、私は万策尽きました。もう諦めて宜しいでしょうか?』

 当然、何の返事も聞こえません。

 私としては、万策尽きたという感じなので、又、偉大な主がGさんを通じて話をしておられるという思いを持って会話をしていたということもあって、これで諦めてもやむを得ないんだろうという思いでおりました。

 毎日の反省でこのテーマを取り上げても、特に変わったことはありませんでした。

 2~3日経ちました。

 ある日、ご著書拝読時に、天啓の如く、『貴方の背中を見せてあげなさい』という言葉が聞こえてきたというか、思いが込み上げて来ました。

 後で考えると、『背中を見せてあげたら良いんじゃない?』というような自我の思いがしただけであって、『見せてあげなさい!』などという、守護霊さまが言うような言葉ではなかったんじゃないかというような思いも出てきました。

 特に翌日には、『そんな、自分の背中を見せたって、Gさんが変わるはずがないじゃない! 心の窓も開けていないのに!』というような自我の言葉も聞こえてきました。

 自我の言葉か、ヒョッとすると悪霊の囁きかも知れないとも思いました。

 さて、どうするか?

この思いつきを、試行錯誤の末にどう解釈したか?

 背中を見せるということは、私が正法に邁進している姿を見せるということでありましょう。

 今もそれなりの思いで正法に邁進しているつもりではありますが、もしこれが天のお言葉であれば、守護・指導霊様のお言葉であれば、今の程度ではダメだよ、もっともっと精進して、心の窓が開けるレベルまで精進して、その姿を見せないと駄目だよと仰っておられるのでしょう。

 もし、悪霊の囁きであるなら、『諦めろ! 無駄なことをするな。背中を見せるということは、心の窓を開くということだから、今生では無理だから、伝道は諦めろ』と、言っているのでありましょう。

 しかし、もし悪霊だとしても、なぜ、悪霊がわざわざそんなことを言うのでしょう? 私自身が伝道する方法がないと思っているのだから、黙っていれば良いだけの話ではないか。

 従って、伝道するためには心の窓を開く必要があるだろうから、守護・指導霊様は、そんなことは無理だと思っておられるだろうから、守護・指導霊様からのメッセージとも到底考えることが出来ないので、単なる自我の思いつきであると解釈すべきでしょう。

 自我の思いつきであったとしても、その努力はする、元々その方向の努力はするつもりであったのだから、更に精進する努力を惜しまないことが大事なんだろうと思わせて頂きました。

 努力している姿をお見せすれば、思いを変えて下さるかも知れないなどということはあり得ないと思いながらも、そんなこととは無関係に努力はすべきであろうと思わせていただきました。

その後の出来事・・・伝道を断念

 その後、また次の会合にもお誘いをいただきましたので出席しました。

 前回と同じように、Gさん初め、他の方も自分の信じている道を勧めます。

 『○○さんが、頑なな思いを捨てれば(Gさんたちの信じている道に入れば)、直ぐにでもゴールに辿りつけるのに・・・』等と、悪魔の囁きのような甘い言葉も投げかけてくれます。

 そのような会話をしているとき、耳を疑うような発言がありました。

 「私は、高橋信次先生は間違っていると思う・・・」

 Gさんの発言です。

 暫くは、その理由の説明などをGさんが続けたようですが、私は、『これはもう駄目だ!』と、その後の話を聞く耳を持っておりませんでした。

 そして、もう伝道は終わりにしようと瞬時に思いました。Gさんの罪を深くするだけであろうと思いました。偉大な主を侮辱するような場に居ること自体が間違いであると思わせて頂きました。

 恐らく、Gさんは、今のままでは法に目を向けることは難しいでしょう。

 然らば、私があの世に帰る刹那に、Gさんの夢枕に現れて、法の真実をGさんの心に吹き込むことぐらいしか思い当たらない。

 果たしてそんなことが可能なのであろうか?

 今はただ、今生の卒業まで、背中を見て頂けるような精進を重ねるしかないと思わせて頂きました。

 しかしその姿を見せるだけの成長をし、その姿を見せるチャンスは果たして現れるのだろうか? 

最後の伝道の言葉

 その後しばらくして、またこんな感慨が湧いてきました。

 なぜ私が法を勧めるのか、それを私はGさんに、きっちりとした話をしていない、その理由を話していない、嫌われても、嫌がられても、それを話さなければならないという思いが湧いてきました。

 残念ながら、知花さんの教えを頑なに正しいと信じているGさんに、法の正しさを説得する力は私にはない。

 ならばただ一つ、偉大な主が天上界でどんな立場の人であるか、恐らく知花さんは、菩薩界の人であろうということを話すしかないであろうという思いがしました、

 Gさんは何故か、この類いの話を極端に嫌います。

 この世的な地位や名誉に左右されるのが嫌なためかもしれません。

 しかしGさんがいくら嫌がろうとも、これを話しておいて、耳を傾けることをしなかったなら、私の話し方の拙さという点はさておいて、それはGさんの問題であり、ここまではやっておかなければならないのではないかと思わせていただきました。

最後の会合

 翌月の会合にもお誘いが来ました。

 恐らくこれが最後になるかもしれないと、やはり考えられる話のストーリーをシミュレーションしながらも、この通りには行かないだろう、臨機応変の対応しかないのだろうと思いながらも、ポイントだけは外さないようにイメージングを重ねました。

 会合の中で、ふと空間が出来たようなタイミングで、高橋信次先生は天上界トップの人ですよと、知花さんは精々菩薩界の人だと思いますよと申し上げましたが、Gさんは聞く耳をお持ちではありませんでした。

 しかし、余りに聞きたくない言葉であったのか、気分を害したのか、翌月からのお誘いは、ぷっつりと途絶えてしまいました。

 それも仕方がないという気がします。というよりは、私も次のお誘いが来ても、お断りすべきであろうと思っておりました。

 何ヶ月かが過ぎました。

 ふとまた、こんな思いが湧き上がってきました。

 『もう会うこともないかもしれないが、最後のお願いとして、何十年か心の精進をしてきて、その成長した心で今一度、高橋信次先生のご著書を読んでいただけませんか?』と、メールを打とう、と。

 しかし、このメールは、Gさんから又お誘いがあったときの返信としてしか打つことは出来ないだろうという気がしました。闇雲に打ったとしても、Gさんの心を動かすことは出来ないであろう、と。

 その文章は下記です。再度、会合のお知らせか、何らかのお誘いをいただいたという前提です。

 お誘いをいただかない場合は、このメールをお出しすることはないのかもしれません。

Gさんへのメール

 ご連絡、有り難うございます。久し振りですね。

 もうかなり前のことになりますが、前回の会合への出席を最後に、皆様との会合への出席を控えさせていただこうと思っておりました。即ち、お誘いいただいたとしても、以降の会合には欠席させていただくつもりでおりました。

 昨年(令和2年)の夏頃、私から皆さんに会わせて欲しいとお願いしておきながら、誠に勝手で申し訳ございません。

 理由は簡単です。毎回お目にかかっても、お互い相容れないものをぶつけ合うだけで、何の進展も感じられないばかりか、お互い毒を食べ合うことにも繋がると、思ったからであります。

 Gさんから暫く連絡が頂けなかったのは、武漢コロナウイルスの所為もありましょうが、Gさんも同じ思いでおられるのだろうと思っておりました。

 しかし、このままお誘いをいただけなければ、ひょっとすると今生、お会いすることもないかもしれないと思っておりましたが、この度、又お誘いをいただけ、現時点での私の心情を吐露する機会をお与え頂けましたことを感謝いたします。

 しかし、今回のこのお誘いを、私は欠席するつもりでおりますので、恐らく次にお目にかかるのは、あの世ではないかと思っておりますが、Gさんのお考え(知花先生のお教え)では、あの世では個人の魂はなく、もうお目にかかることはないんでしょうか?

 この問題に関しても、何度か論議を交わしましたが、知花先生は明確にはお示し頂いていないのかもしれませんね。

 如何なる疑問も、理路整然と解き明かされるのが正しい法、教えだと思っておりますが・・・、もうこんな議論も意味がないかもしれませんね。

 長い間の精神世界でのお導き、ご厚情、大変有り難うございました。

 何と言っても、高橋信次先生への道を最初に切り開いて下さったのは、嫌みではなく、Gさんですから、心から感謝申し上げます。

 その時は私の心の曇りから、高橋信次先生のご本に興味を持つことすらなかったのですが、もし、Gさんのこのご紹介がなかったら、後に再度、高橋信次先生のみ教えに出会ったとき、深い感銘を受けることはなかったのかもしれません。

 大変、大変、有り難うございました。感謝しても、しきれない思いでおります。

 最後に一つ二つ、お願いがあります。

 Gさんが私に高橋信次先生の『心の発見』を紹介して下さったのは、もう20年も前のことになると思います。

 20年経った今、Gさんが20年間で成長された今の心で、もう一度『心の発見』を読んでみて下さいませんでしょうか。

 ただ、先入観を持たず、高橋信次先生は、こんなことを説いておられたんだな、と思って読んでいただくだけで結構です。

 もう一つは、私の書いておりますブログの中の『我が正法への道(http://huuhu-no-tyouwa-to-kosodate.link/2019/05/13/waga-syouhou-heno-miti/)』も読んでいただけないでしょうか?

 この二つのお願い、私の自己満足かもしれませんが、読んでいただけましたら、嬉しいですね。勿論、気が進まなければ、無理して読んで下さらなくても仕方がないと思っております。

 「なんだ、読むこともなかった」と、読んだ後に思われたとしても、それだけで結構です。

 私は、高橋信次先生のみ教えを深く深く信じておりますので、あの世でお目にかかれることを楽しみにしています。その時の第一声はきっと、『読んでくれた?』ではないかと思っています。

 その言葉をかけれることを楽しみに、いつの日か、あの世に旅立っていこうと思っております。

 もしGさんから私に対して、このような何らかの思いがあるなら、仰っていただければ、やらせていただきたいと思っております。

 長年に亘っていただきましたご厚情を、改めて、心から感謝申し上げます。

 誠に誠に、有り難うございました。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする