1-1.偉大な主・高橋信次先生のご紹介

偉大な主・高橋信次先生の略歴

 偉大な主・高橋信次先生は、昭和二年(1927年)長野県佐久市にお生まれになり、神の御心である『正法』、大宇宙の普遍的法則(神理)であります『正法』、我々神の子・人類が歩むべき道『正法』をお説き下さいました。

 お釈迦様がお説きになられました慈悲の心、イエス様がお説き下さいました愛の心を、いま再び正法として、現代に蘇らせて下さいました。

 そしてその正法を、十数冊に及ぶ書籍に、そしてご講演会の内容をビデオ(DVD)に、法が曲げられることの無いようにと、残して下さいました。

 正法は、神の御心であり、大宇宙の法則でありますので、その内容は人生万般、宇宙万般、あの世とこの世万般に亘っているため、非常に広範な内容であります。

 その広範な内容を、縦横無尽にお説き下さったのが、偉大な主・高橋信次先生であります。

偉大な主のお写真

 偉大な主・高橋信次先生は、昭和51年6月25日、48歳の若さで、天上界に戻られました。

以下は、偉大な主に師事された丸山弘先生が、『主のご降臨』と題して紹介しておられる文章です。

 ・・・九月二十一日は偉大な主・高橋信次先生がご生誕された日であります。

 はじめて、この地球上に生を受けられたのが、今から三億六千五百年前、現在のエジプト・ナイル渓谷のエル・カンタラという地であり、また、今生はイエス様のご生母であられたマリヤ様を母として、またお釈迦様のご尊父であられたシュット・ダーナー様を父として、カビラバーストと環境が似通っている長野県佐久市をお選びになられてお生まれになり、肉体をもたれたのが二度目だとお聞きしました。

 今生は、主は特に神のみ心である神理を人の知と意で変わることがないように、文証・理証・現証として書に著し、ビデオテープやカセットテープに声魂を吹き込まれ、再び間違いのないようにと残されていかれました。このことは、人類の歴史上大変意義深いものであります。なぜなら、かつて神の命により、モーゼやブッダ、イエス・キリストといわれる大天使もやはり法を説かれましたが、直接記録として残されていないからです。

 今生、私たちは神理に触れることのできたことを悦び感謝し、自らを反省し、愛の心を豊かにし、天上界と地獄界の接点にあるこの地上に、ますます神の光が満たされ、神の王国を造ることを願って、神のみ心を一人でも多くの人に伝道していかなければならないと思います。

以下は、天上界の方がお教え下さいました偉大な主の人柄です。

 ・・・イエス様、お釈迦様、モーゼ様の説かれなかったことも、主は一つにしていかれました。長い間、朽ち果てることのない聖典を残されていかれました。それに気づけたあなた方はとても幸いでございます。

 主のこれまでの生い立ち、人間としての生の48年間を思うとき、いつも涙が溢れてきます。例え主が悟りを開いておられないときでも、主は本当に人のために心を尽くされ、数々と電気商品等、色々なものを開発されました。

 人類の生活が豊かになるようにと、一つ一つの困難を乗り越えられて、そして悟りを得られたときに、主は、自らに誓われました。「私の人生はもう、この先は、自分のものに使ってはならない。一秒、一秒、人類のために使わなければならない」と。でなければ、全国各地にご自分のご自費で行けるはずがありません。

 主の、八起電気で持っていたお金も、ご自分のために使うことなく、ご自分は皆さまと変わりない給料をお家に入れて、後のものは伝道や困っている人々のために直接、施されました。

テープやCDをいま聞かれて、主が言っておられることは全て実践済みなのでございます。何百万、何千万儲けても、ご自分が着られているものは、皆さまとお変わりございませんでした。

 食べられるものもそうでございます。ただ主は、もったいないと言って、たくさん食べ過ぎたり、人の行為を無にしてはならないと飲み過ぎたり、その様なことはあったようでございますが、それもいずれ、回避されていかれることになりました。

 その様な一つ一つの主のお心を思う度に、私たちは今でも思い返すと、矢張り我らの主であったと、涙が溢れるような想いになるのでございます。

 それは皆さま一人一人の、今生、生まれられる家も、緻密に考えられて、自分の悟りを得られる最高の場を皆さん、築かれてこられたことでございましょう。しかし主の歩まれた人生とは、比較にはなりません。

 そんな中でも主は、大きな愛を持って常に生きてこられました。父や母を尊敬し、兄弟にも愛を施してきました。大きな大きなお方であったと思います。これを理解されて通るのと、理解されないで通るのとでは、矢張り見方が違ってくることでしょう。

 ですからこれをご理解された方は、ご自分も、主が今生、命を懸けてお悟りになられたものを、自分が手を抜いたり、軽々しく扱ってはいけないという想いで、ご自分は更に精進をされて進まなければと思われていかれるようでございます。

 ・・・もしあなたが天上に帰られても、主の姿を仰ぐことは出来ません。光が大きすぎて、私たちの目には何も映りません。それぐらい主の光は素晴らしい、偉大な偉大な偉大なものです。

 丸山さんがいつも言います。「偉大な」と100回申し上げても足りません。その通りでございます。皆さん、軽く見すぎておられます。私たち天上に住むものでも、主の姿は光でしか見えません。形は見えません。皆さんが太陽を見て眩しいな、それ以上のものです。

 それ位の方が地上に降りられて、法を説かれたのですよ。それを皆さん、心に落として下さったら、どんなに有り難い、千載一遇のチャンスをいただいているか、よく分かられるのではないでしょうか。

 

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