ミカエル大天使長ほかの天上界の皆さま(の偉大な主・高橋信次先生のご講演の中で)のお話しの文字起こし

はじめに

 このページは、偉大な主・高橋信次先生のご講演の中での、ミカエル大天使長初め、光の天使の方々のお話の内容を文字起こししたものであります。

 従いまして、基本的には、偉大な主のご講演の文字起こしの中に含まれている内容以外のものであります。

 分かりやすくするために、ミカエル大天使長他の天上界の皆さまのお言葉は『 』とし、偉大な主を初め、現世に肉体を持っておられる方々のお言葉は「 」とさせていただきました。

 尚、『 』内の話し言葉も、「 」表示とさせていただきました。

1975(S50)-03-23 正法と実践 宮崎研修会より

 『アポロでございます』

 「いま出ておられる方は、ギリシャの時代、即ち四千数百年前に、あのエーゲの文明を築いたアポロンと言われる光の天使です」(高橋信次先生)

 『わたくしの父は、ゼウスと言われる方で、いま前におられる方(注:高橋信次先生)でございます。 

 わたくしの父は、わたくしが若くして亡くなられ、次にインドの地で正法を説くことを、わたくしに予言いたしました。

 わたくしは18歳の時に、オリンポスの山に登り、一年と三ヶ月の間、己を知るために、長い修行を致しました。

 時には悪魔や色々な者たちが、わたくしを責めにやってきました。

 苦しいときが過ぎて、やがてわたくしは、己を悟ることが出来るようになったのです。

 そしてオリンポスの山の上で、光の天使、そしてわたくしの父であった者が、わたくしに悟りを開かせてくれたのでございます。

 いま、そして皆さまも、そしてインドの地の時のように、また中国のように、またアトランティックのように、同じ話を何度となく正法として、わたくしたちは聞いているのです。

 正法が初め、アトランティックのアガシャーによって、そして次にエジプトで○○なファラオによって、そしてギリシャの教会で、次にインドへ、それから中国へと流れていったのです。

 そしていま日本の地に於いて、このような正法が何千年もの時を過ぎて、わたくしたちの心の中に響いているのです。

 また、いまの世の中は物質至上主義になってしまっております。己の心を修羅にして、また家庭の中がバラバラなのに、心ばかり外に向け、感謝の気持ちや、また己を知らずに・・・を過ぎ心不在の世界が続いています。

 人々はいま、何を求めているのですか? 心の安まる愛を求めているのではないのですか?

 わたくしたちは、愛無くしては生きてはおれません。そして今まで愛が無くして生きてきたというのであるなら、わたくしの前に出てきて下さい。

 そのような者は無いと思います。

 わたくしたちの食べ物は、食物は、動物が自分の生命を与えて、わたくしたちの身体に活力として、供給されているのです

 彼らは文句一つ言わずに、わたくしたちの活力となっていくのです。

 それが愛でなくて、何て言えますか?

 それを忘れて、わたくしたちは己だけ、利己主義の生活を続けているのです。

 それが正しいことと言えますか?

 皆さま、何故、あなた方は注意されて、それを素直に受け取っていますか?

 自分が悪口を言われた途端に、自己保存のために、自分自身ばかり、己、己、己ばかり、○○しているのではないですか?

 正しく自分を見つめなさい。そして正しい道を究めなさい。

 あなた達の道は、正しく己を知ることの他はないのです。

 また、いまGLAの会員の方は、霊道ばかり気にして、己が霊道が開きたい、そしてまた別の人が開くと私も開きたい、思います。

 しかし、霊道が開けたとしても、正しい行いをしなければ、それはただの現象にしか過ぎないのです。

 もし現象だけ出ても、行動が出来なければ、それは霊道者とは言えません。

 正しい行動をしてこそ、初めて霊道者と言えるのです。

 ただ現象だけが出たからといって、霊道者とは言えません。

 それを自分の心に一つずつ刻んでおいて下さい』

 (異言)

 「この人達は、今日初めて会った人たちです。過去、ギリシャの時代には、姉弟同士だったのです。アルテミスと言われる姉弟だったのです。アポロのお姉さんです。
 アルテミスという双子の兄弟です」

 以下略

1975(S50)-03-20 永遠の生命 GLA関西講演会より

【アポロ様】

 「心を落ち着けて下さい。
 もう少し丸くして下さい。もうチョット丸くして下さい。
 はい、心の感情の領域をもうチョット丸くして下さい。
 はい、深呼吸をして・・・はい、心が落ち着いたところで・・・(異言)」 (高橋信次先生)

 『わたくしは今から3,500年前に、ギリシャのゼロスという島で生まれ、その時男性として肉体を持った者でございます。

 わたくしの当時の名は、アポロと申しました。

 わたくしは、わたくしの父ゼウスが、神の御心を受けて、皆に正法を説いておりました。しかしわたくしの父は、年老いていました。そのために彼は、わたくしが18歳の時に、この世を去られたのでございます。

 わたくしは、己を知らなければならないと、幼い頃から父ゼウスから申し渡され、そして魂の偉大性と共に、魂の普遍性を説かれていたのでございます。

 わたくしは父が死んでしまって、すぐオリンポスという名の山に登りました。

 わたくしはその山の中で、一年と三ヶ月の間、己を知るために、色々な修行をして参りました。

 わたくしはまず、色々なところを行脚して回り、それで困っている人、悩んでいる人、救われたい人、色々な人々、そして心の病、生老病死、それによって人々が悩んでいることを知りました。

 そして己の魂の偉大性を知りました。

 わたくしは毎日毎日、禅定をしておりました。

 食べる物も食べずに、そしてわたくしは、身体が衰えて参りました。

 しかしわたくしは、己を悟るまでは地上界に、山から下りることは出来ません。

 そのためにわたくしは、山の上で洞窟の中に住んでおりました。

 山には色々な動物が居ます。熊も居ます。蛇も居ます。そのような者は夜になると、わたくしのところに襲いに来る日もありました。

 しかしわたくしは、早く己を知らなければ多くの悩める民を救うことが出来ない、そのためわたくしは毎日禅定した上に、ある日、雨が降っている日でございました。

 わたくしは大きな木の前で禅定をしておりました。

 雨が降っております。わたくしの着ている物など、もう一年以上過ぎようとしていたために、ボロボロでございました。肌にもツヤがございません。身体はやせ衰えております。

 その時わたくしの頭上に稲光と共に、わたくしの後にある大きな木の上に落雷したのでございます。

 その時わたくしは、心が穏やかでございました。このまま死んでもいい、わたくしに使命がないなら、このまま死んでしまえ、そう思ったのでございます。

 その時です、わたくしの心の中から、「そなたは不動心を持つことが出来た」、そのような声が聞こえたのでございます。

 それと共に、先程まで落雷し雨天であった空が晴れ上がり、優しい金色の光が雲のまにまに受け落ちてきたのでございます。

 その時、わたくしの父である、死んだはずのゼウス様が、わたくしの前に現れました。

 その時、それと同時に、多くの光の天使がわたくしの周りを囲んだのでございます。

 わたくしは目を見張りました。それと同時にわたくしは自分の目を疑いました。本当にまるで生きている人間と同じように、わたくしの目に映るのでございます。

 そこでわたくしは父のゼウスに、わたくしの使命を説かれ、わたくしは天上界でわたくしが出てくる前のことを思い出しました。

 そしてわたくしは、どのような約束をしてこの地上界に出てきたかを思い出したのでございます。

 わたくしはそれから、山を下りました。ドルフィという街に降りたのです。

 それから悩める人々に、初めは数人から法を説いて参りました。

 まず、迷える人々を、「そなた達は何故、心に不満を持っているのか? そなた達は死ぬことを恐れ、病気によって、また心の病気も、肉体の病気として、貧乏にあえいで、食べることも出来なくなっている」人々も大勢いました。

 その頃はまだ医術が発展していないために、悪い病気も、たくさんたくさんありました。

 わたくしは、これを何とかして救うために、「わたくしに神よ、力をお与え下さい、わたくしの命は天上界に預けてきたものです。もうこの世には未練はありません。しかしここに迷える大勢の人に、私は何をして上げたらよいのでしょうか?」

 わたくしの目にはいつしか、涙が浮かんで参りました。

 わたくしはなんて幸せなんだろう。私の心には悩みもない。そして死んでもわたくしは行くところがある。それではまず、皆が悩んでいる死ぬこと、生と死について説いていこうとわたくしは心に決めて皆の者に、私たちはこの世に両親と約束して出てきたことを告げました。

 「そなたもそなたも皆、あの世という素晴らしいユートピアにいるときに約束して、今の父親母親に、【わたくしのお母様になって下さい、お父様になって下さい。わたくしは出来るだけのことを行い、そして魂を修行して磨いて参ります】、そのようにそなた達はそのように言って、この世に生を受けたのだ」
 ということを、皆に知らせました。

 そしてわたくしは、自ら見たいという者に、あの世を映し出して見せて、諸々の者に見せたのでございます。

 諸々の者は驚き、そしてあの世の神の偉大性を知ったのでございます。

 その頃の人々はまだ、今の皆様方と違って、物質は余り発展していませんでした。貨幣経済も発展しておりませんでした。

 そのために、余分な、心にゴミを作ることがなかったのでございます。

 そなた達はこの世の中に生まれて、心はいつも物質に囚われているのではないですか?

 わたくしたちがこのギリシャの地に生まれたときには、まだ物質は余り発展していなかったために、私たちは物質に心を囚われずに、一生を終わって帰っていきました。

 しかし今の世は余りにも物質、お金、それらの、物に囚われております。

 しかし、それを持って帰ることは出来ますか? いくらお金を貯めても、いくら家を造っても、いくら素晴らしい宝石を手に入れても、それをあなた方は肉体と共に持っていくことが出来ますか?

 その通りです。持ってゆくことは出来ません。

 持ってゆくことが出来るのは、嘘のつけない善我なる、そなた達の神から与えられた心だけしかありません。

 ここに在るすべての万物、この、ここの場所の、この家も、すべて皆、永遠不滅ではないのです。

 たかが、長くもったとしても1000年、2000年、たかがそれだけのことです。

 転生輪廻の長い間に於いては、それらの物はただの一点にしか過ぎないのでございます。

 それを知りなさい。そしてそなた達は自分の心の中にある嘘のつけない、自分の正しい物差しを知ってゆかなければなりません。

 まずそれには、己を知りなさい。

 そなた達はまず、自分の器を知りなさい。

 人それぞれ器は違います。

 ブッダ、信次先生が説いているように、心に段階在り。その通りなのでございます。

 自分の器を考えなさい。そして自分の器で人の器を計ってはいけません。

 まず正しい心を、自分の嘘のつけない心を、真っ直ぐ真ん中に持ちなさい。そして両端と両端ではなく、このように(両手を合掌する)真ん中に中道に持ってゆくことを覚えなさい。

 いつの間にか皆、知らない内に手を合わせます。これは一体、何でしょう?

 そうです。皆さん、忘れているだけで、皆の心の中には、皆、これが何であるか、知っているはずなのでございます。

 これは中道です。

 それと共に、我が心に忠実であるということなのでございます。

 知らず知らずの内に、ただ形式だけになってしまって、心が失われてしまっているのです。

 そなた達はそれを、よく心の中でかみ締めなさい。

 中道を知り、己を知り、そして両親の愛を知りなさい。

 両親は自分が、例えお腹が空いていても、子供に、自分の食べる物を分け与えます。

 そしてその分け与えられた食物は、魚、また色々な好物がありますが、それは皆、自分の生命を絶ってそなた達のエネルギーになっているのではないですか?

 そなた達は自分の肉体を無くしてまで人に仕えようという気持ちがありますか?

 少しでも食べ物に感謝したことがありますか?

 皆、自分の命を捨ててわたくしたちの魂の向上、この世に生まれて仏国土・ユートピアを建設するために生まれてきたのでございます。

 皆は、この世の中に生まれて、眼耳鼻舌身意、その中で自分を忘れてしまって、いつの間にか物に囚われ、心のテープレコーダーも仕舞われてしまっているのでございます。

 よく考えなさい。この世界は、ほんのひとときの夢にしか過ぎないのです。

 欲望を持つことは捨てなさい。

 この世の中というものは、正しいあの世あります、その世界のものがすべて投影されたものなのです。

 それが故に、この世の中のものは、永遠不滅ではないのです。

 その映された影の中で、わたくしたちは迷い、苦しんでいるのでございます。

 例え自分がいくら貧しいところに生まれたとしても、それはあなた達ひとり一人が、自分自身が決めて出てきたところなのです。

 己を知りなさい。

 そして自分の責任を果たして、わたくしたちの世界に帰ってきなさい。

 いつしかあなた達がこの世を去るときに、それを知るときが来ると思います。

 わたくしの教えはギリシャから、わたくしの弟子たちがインドへと持って参りました。

 それはいつしか、ウパニシャド、哲学、バラモンとなったのでございます。

 そしてわたくしがわたくしの肉体を失ってから、復活して弟子たちに
 「そなた達は今から、東の国に行きなさい。東へ基盤を作ってゆきなさい。私の教えは永遠で不滅です。あなた達ひとり一人の心に、私の肉体が無くなっても、いつまでもそなた達の心に燃え続けていることを、わたくしは信じております。
 そしてその教えを早く広めて、そして人の心を穏やかな、そしてそのような広場を作ってゆきなさい。
 東の国には偉大な方が生まれます。その方は多くの人を救うでしょう。その方のところまでわたくしの教えを持ってゆきなさい」
 そう教えました。

 それからわたくしは、わたくしが死んだ後に、今言う哲学者、プラトンやソクラテスに神理を説きに、その夢枕に立ったり、あの方々の前に姿を現して生命の普遍性、あの世を伝えたのでございます。

 すべて永遠で不滅なのでございます。それを皆さんの心に、責任と勇気と愛を持って行動をしてゆきなさい。

 それを今伝えるために、この地にわたくしは生まれたのでございます』

 (異言)


【ミカエル大天使長-1】

 「どうも有り難うございました。
 続いてこの人の後の方に、更にイスラエルの時代に肉体を持たないまま天上界より指導を受けた、そして指導をした光の天使、ちょうど霊視のきく人たちには、非常に、27、8(歳)ぐらいの男性で、髪の毛は金髪です。
 そして背中からズッと銀色の羽根をつけた方が傍に、後ろに立っておられます。その光の天使と替わります」(高橋信次先生)

 (異言)

 『わたくしはミカエルでございます。

 わたくしは、イエス・キリスト、救世主がこの世の中に生を受けるときに、マリアの許に参りました。

 そしてわたくしは、
 「今度、貴方の身体に、救世主、生まれます。
 それをわたくしたちは、予言に参りました。
 その方は後に、イマネール、「われ神とともにいます」、そう呼ばれるであろう。
 そして、ともに、その方をイエスと名付けなさい」

 そうわたくしは告げて、百合の花をマリアに渡しました。

 それからわたくしは、多くの衆生が迷っているときに、早くイマネール、イエス・キリストが悟って下さることを日に日に待っておりました。

 いつしか主は、自分を知り、己を知っていったのでございます。

 毎日毎日、悩んでおられました。

 あの世からの通信は毎日、あの方の身体に来るのです。

 しかしあの方はまだ、気づいては下さいませんでした。

 いつしか月は過ぎてゆきました。

 あの方は生老病死、または人生は何だ、人生は何であるかを、究明するようになって下さったのでございます。

 わたくしたちは言葉には言えぬほど嬉しいものでございました。

 そしてあの方は、いつしか色々な弟子を持つようになりました。

 それはすべて、わたくしたち実在界のものが、皆すべてそれを決めて、実行していただけることですが、この世では偶然のように、彼らには思えるのでございます。

 一人、一人、弟子は増えてゆきました。

 あの方は心の器を広くなり、宇宙即我の心境になったのでございます。

 わたくしたちは、そんな彼に対して大きな愛情を持っています。

 そして何時しかそれを、多くの者に伝えるということも知っておりました。

 わたくしはその時に、マタイというイマネールの弟子がおりました。

 マタイの元に姿を現したのでございます。
 そしてマタイに告げました。

 「イマネール、イエス・キリストは、まず昔、ダビデという者に生まれた。
 そしてそれからソロモン、アモン、そのような名前でこの世に生を受けた。
 そしてそのズーッとズーッと遠い昔には、エブラハムという方にもお生まれになった、いつも衆生を救っていらっしゃる尊いお方である」
 ということをわたくしはマタイに説きました。

 しかしその教えは時を経ると共に、人の眼耳鼻舌身意によって、正しいモノから変えられていってしまったのでございます。
 それは恰も、肉親の啓示のように説いていったのでございます。

 わたくしたちはそのことを、心の普遍性を説きたかったのに、いつしか人間は心を忘れ、魂の偉大性、転生を忘れてしまったために、そのように変えてしまったということに、悲しく思いました。

 そしてイマネールがこの世を去ってゆきました。

 わたくしたちは、その時に、彼が復活なされるときに、霊的な力を多く与えました。

 そしていつしか、皆、知りもしない遠い昔の言葉を口から出し始めたのでございます。
 皆、ビックリしました。

 シモンもルカも皆ビックリしました。
 パウロも、そしてヨハネも皆々、昔の言葉を思い出したのでございます。

 仏陀の時にも同じこと。思い出したのでございます。

 正しい教えには、文証、理証、現証、それぞれ三つのものが必ずすべて、入り混じっているのでございます。

 そして一分の隙もございません。

 それは何故でしょう?

 それこそ、偉大な神理の教えだからではないでしょうか?

 皆さまがいつしか、高橋信次先生の教えを知らぬ間に聞いて、そしてわたくしの話を涙を流して聞いている、それはそなた達の心に昔の尊い記憶があるために、わたくしの言霊の波動によって思い出しているからなのでございます。

 イエスがこの世にいるときに、わたくしたちは色々なことをして、彼の力になりました。

 見えない力が働いて病気の者は多く良くなり、そして心はいつしか安らぎと調和にあふれたモノになったのでございます。

 それはわたくしたちが努力して、その努力をしたのは、わたくしたち、誰にして欲しいと言われたわけではございません。

 それはわたくしたち、光の天使の役目なのだからでございます。

 いくら光の天使といえ、この世に生まれてしまったら只の人間です。

 サタンという天使がおりました。
 わたくしの弟子でございます。
 彼は心の尊い者でした。

 しかしこの世に生まれて、皆さまと同じ、わたくしも同じこの世に肉体を持っています。

 その中でいつしか末法となったモノを心に入れてしまい、心を惑わせ、悪霊に取り憑かれ、いつしか彼はそのまま肉体を失い、地獄に堕ちてしまったのでございます。

 いくら素晴らしい努力をした天使であったとしても、この世に生まれてしまえば皆同じ、肉体を持った人間なのでございます。

 そのために地獄に堕ちてしまい、その後、彼は、彼はわたくしたちに申しました。

 「神は何故、悪魔を忌み嫌うのだ」

 彼は誤解をしているのでございます。

 確かに人間としてこの世にいるときには、悪魔とか、そのような言葉を聞くと、何か嫌な気がします。

 それはこの10%の意識が持っているのであって、神はそれをすべて自分の子供として愛されております。

 彼にはそこまで理解する力がなかったのでございます。

 地獄に堕ちても前世は天使です。

 三世を見通す力もあり、天上界のことも噛み合わせ、そして地獄のことも知っております。
 素晴らしい力を持っています。

 それだけに今度は皆様方が、余程の心に自信とそして努力と、正法と真実を心の中に入れておらないと、彼には大変な力があります。

 そして彼自身は動くことはございません。
 その小さな弟子たちでさえ、凄く大きな力を持っています。

 まだしも皆は肉体を持っている。
 とても恐ろしいことなのでございます。

 己を知りなさい。
 そして、ブッダが説いた法を、イマネール、イエス・キリストが説いた法を、そして今、高橋信次先生が説いている法を心に入れてゆきなさい。

 それをそなた達が心の中で把握したときに、大きな力が出されることを、わたくしは約束して参ります』

 (異言)

ミカエル大天使長-2:イエスさまに関する質問】

 「今、この方に、キリスト教の体験をしておられる方が、大学で勉強をした方がおられますから、その人に質問をしてみます。
 そしてこの人の守護霊をやっておられる方から、キリスト教を今やっておられる方に疑問があると、それから自分で分からないところを聞いて貰おうと思います。
 チョットお願いします」(高橋信次先生)

 (質問者)
 「・・・(要約)キリスト教の三位一体ということと、イエス・キリストが殺されるとき、『何故、神は私を見捨てたのか?』と言ってと、教えられているが、何故イエスはそのような言葉を投げたのか?」

 『それは、三位一体とは、神とは大宇宙・大自然体なのでございます。そして私たち、三位、子供、私たちこの地上界に生まれた者たちは、肉体を持った者たちがそうでございます。

 精霊とはわたくしたち、天上界の者でございます。

 この三体が揃ったときに、三位一体と申します。

 私たち肉体を持った子供、精霊、あの世にいる守護霊、指導霊、そして偉大な指導霊様方のこと、父とは大宇宙・自然体なのでございます。

 あの時、イマネールが何故死ななければいけなかったか?

 そうしなければ、あの時に彼は、あれ以上法を説くことが困難だったのでございます。

 そしてあの時の世には、多くの彼に対する反発の心を持っている者がおられたのでございます。

 それは仕方がないことで、肉体を持ってすべてを忘れてしまっている多くの悩める衆生なのでございます。

 そのために彼は、磔にされて、死んでゆきました。

 しかし、彼は疑うことをしませんでした。

 聖書にはどう書いておられるかは、わたくしは知りません。

 しかしわたくしは、この目で見たのでございます。

 あの時、イマネール、イエス・キリストがゴルゴダの丘の上で磔されたときに、わたくしたちはとても苦しい思いを致しました。

 しかしそれはあの方の、自分が決めてきたことなのでございます。

 「もしわたくしがそこまでしか法が説けなかったら、わたくしは、何時かわたくしを裏切る者によって磔にされて、あの世に還るであろう。
 しかしわたくしは、この世に復活して、多くの者に魂の偉大性、転生の偉大性を、肉体を現さずに、光子体の肉体で、皆の者に説くであろう」
 と、復活したのでございます。

 あの方は、みんなで晩餐会の最後の日に、それをもう全部、知っておりました。

 そしてわたくしたちも、すべてを全部、見て参りました。

 あの方は、わたくしたちが助けようと思えば、助けることはできたのでございます。

 しかし、ご自分からその命を絶つことを決められたのでございます。

 その為にわたくしたちは、その命(めい)と意思に背くことはできません。

 彼は神ではありません。神の使いなのでございます。

 わたくしたちも同じ神の子なのでございます。

 しかし彼にはそれだけの重大な使命と、魂の鼓動と、ユートピア建設の目的があったのでございます。

 その為に自ずから、自分で十字架にかかられたのでございます』

 (質問者)
 「最後の晩餐の時に、葡萄酒とパンを分け与えられ、それが今の教会のミサで行われているが、キリストはそのようなことを望んでいたのですか?」

 『そうではございません。
 彼はそのことなど、望んではおられませんでした。

 あの時に、晩餐したときに、彼は自分の力を十人の弟子に分け与えたのでございます。

 それと共に、自分が死んでゆく、しかし、
 「その法は永遠にいつまでも、多くの衆生の心に、そなた達、私の弟子よ、ペテロ、シモン、そしてルカ、みんなそれを説かなければならないよ。
 パウロそなたも、ヨハネそなたもだ、そなた達がいつしか多くの衆生を助けてこの世がユートピアになるまで、そなた達の力をわたくしは信じる」
 そう彼は申したのでございます。

 教会を建てることも、ミサをやることも願ったのではございません。

 ただ多くの者は形だけとらえて、それを今、牧師、それらの方々が行っているのでございます。

 本当の心というのは、彼が説いた愛の教えの、その根本の心なのでございます。

 それはいつの間にか、形だけにとらわれて、変えられてしまったのでございます。

 しかし彼は分け隔ては致しません。皆、どの衆生も、同じように愛していたのでございます。

 そしてその教えがいつしか、多くの者に説かれるであろうということも、皆々、彼は知っていたのでございます』

【如意輪観音-宝玉輪(林?)様】

 「それからもう一人、この後の方に、日本人になじみのある形をした方がおります。この方に入って貰います」(高橋信次先生)

 (異言)

 『わたくしは、宝玉輪という名前で、中国に五世紀の時代に生まれた者でございます。

 わたくしは幼いときに父を亡くし、心の普遍性、そして何故こんなにわたくしは悲しい思い、苦しい思い、同じ思いをしなければならない人が、何故こんなにいるのかということを迷い、不思議に思って毎日を暮らして参りました。

 そして私はいつしか、その心とは何かがあるのではないか、この世は何かがあるのではないかと、思い始めたのでございます。

 そしていつしかわたくしは、天台智顗様という方に会いました。

 彼は行脚して、中国の色々なところを廻っておられた、とても偉大なお坊様でございました。

 その天台智顗様によってわたくしは、心の師として色々なことを教えていただきました。

 なぜ人間は生まれて死ななくてはならないのか、なぜ皆この世に生まれて苦しい思いをしなければならないのか、そして死んだらどこに行かなければならないのか、教えていただきました。

 わたくしと同じ弟子の方は多くいられました。

 章安禅師様も聖観世音菩薩様もわたくしと同じ仲間でございます。

 私は皆の方に比べて、まだ年端も行かぬ歳でございました。

 しかしわたくしはいつしか、多くの皆さまがついて行かれている天台智顗様の偉大な法に触れて、心も身も、あの方様について行く決心を致しました。

 そしてわたくしは、天台智顗様の尊いお教えを、あの方様が亡くなられてからも多くの方に説き、そして肉体を持って病気をしている方々の病気を、わたくしの力で治したのでございます。

 それはすべて、わたくし自身だけの力ではございません。

 わたくしなど、力などございません。

 私の後にいる方々や大指導霊様たちの命によって、わたくしはそのような力を与えていただいたのでございます。

 そのためにわたくしは、いつしか天上界に帰ったときに、多くの人を助けたために、如意輪観音という名前を与えていただいたのでございます。

 如意輪とは、神の意を嗣ぐという意味でございます。

 そしてその心というものは、偉大なものでございます。

 わたくしの心はいつも神のものでございます。

 そしてこの世に生まれて、そして死ぬこともすべて、神の御霊にわたくしの魂を預けて参ったのでございます。

 そのためにわたくしは、いつ死んでも構わないという気持ちで、毎日を過ごしました。

 そしてあの世に還ったのでございます。

 わたくしは、その中でとても苦しい思いをした方も、わたくしの法によって、いつしか心を目覚めて、わたくしの元に集まり、そして肉体を失って天上界に還ってきて、皆その頃のことを思いだしておられます。

 わたくしの名前は、わたくしの心の行ったことを、わたくしたちの神が、わたくしに如意輪と名前を与えていただいたのでございます。

 わたくしたちはその中で、いつも毎日の正しい行動を行い、心にはいつも平和と安らぎを持って過ごさなければならないということを、天上界からこの世に出ている方に告げるために、姿を現しました。

 それを見て多くの武士たちは、弥勒様のお姿や聖観世音菩薩様のお姿、そしてわたくしの姿を霊視して見て、観音像を彫ったのでございます。

 わたくしはそのことを皆に告げるために出てきました。

 わたくしの名前は、如意御宝法輪、法に合わせた名前でございます。

 神の心、そして望むものを皆に与えて上げるように、それは心の望むものでございます。それを皆の者に多く分け与えて、この世を去るためにと、つけていただいた名前でございます。

 それが後生になって、観音像として彫られたのでございます。

 わたくしは今世、この世に出てくるときにも、仏陀様、またイマヌエル様にモーゼ様に申して参りました。

 「わたくしは、貴方様方に、わたくしの御霊をお預けいたします。
 いつまでもわたくしが悟ることができませんでしたときには、どうぞわたくしの心をいつでも磨いてください。
 そしてどのような異変をわたくしに起こしても宜しいでございます。
 わたくしはどのようなことをしても、いつまでも最後までも正法を説いて参ります。
 そして多くの衆生を助けてこの世を去ります。

 それが故にどうぞわたくしを、悟らせていただけますように、そしてわたくしは命など、もう要りません。
 どうかわたくしの命を、貴方様が持って行って下さるように、そしてわたくしの心は皆の者に、迷える人々に、何時か助けとなるように、少しでも多くの迷える人々に、心に安らぎと光を与えて下さるように」
お願いして、今度、今世に生まれたのでございます。

 わたくしの下の手は、これは地を表しています。上の手は天を表しています。そしてこの円(下の手)は、心の丸さでございます。

 これをわたくしたちは、地より生まれ出て天へ還ります、それを表しているのでございます。

 この心はいつでも皆さまの、例え2500年前、3500年前、4000年前、一万年前、皆同じ、天変の変わることではございません。

 すべて決められた理念のことを表しているのでございます。

 これを皆さまに伝えると共に、あなた方の心には、わたくしと同じ魂の流転があり、そして色々なところで袖すりあうも他生の縁という言葉があります。

 仏陀様やイマヌエル様、モーゼ様、また多くの色々な方々の説いた教えを聞いておられるのでございます。

 そうでなければ何故ここに、こんなに大勢の方がお集まりになるのでしょうか。

 それを知って下さい。

 そしてわたくしたちと早く同じ心になるように、天上界のわたくしたちと同じ心になって、この世も天上界・仏国土、ユートピアの地になることを、わたくしは一日も早く願ってこの世に生まれて参りました。

 共に手を取って頑張ってゆきましょう。

 心は普遍でございます。たかが百年や二百年の命ではないですか。心に法と共に真の悦び、そして笑顔を持って下さい。

 それが、今わたくしが望むことと、わたくしの長い転生の中から得たものでございます。

 それをして、毎日の生活を、何時死んでもいいと思うくらいの心を持って過ごして下さい。

 それをいま願ってわたくしはあなた達の心の中に、いつか正法の根が伸びて、それが天高く超えてあの世に届くことを、極楽に届くことを祈って、いま皆さまとお別れいたします』

 (異言)

 「有り難うございました」(高橋信次先生)

1976(S51)-03-07 心 中京研修会より

 「・・・いま、この方を守護している天上界の天使が側に来ております。いま、この方が当時、何をしたか、語って貰います。
 心を落ち着けて下さい。
 まだ、動揺しています。
 深呼吸を大きくして下さい。
 もう少し大きく深呼吸をして下さい。
 はい、落ち着いて」(高橋信次先生)

 『わたくしは、いまから3,500年前に、ギリシャの地にアポロとして生まれた者でございます。

 わたくしは、セロスという島で生まれました。

 わたくしの父はゼウスと申しまして、わたくしの父は迷える民衆に、神理、不変の神理を説いておりました。

 しかし彼は年老いていたため、わたくしが18の時に亡くなってしまったのでございます。

 わたくしは18の時に、オリンポスの山に一年と三ヶ月の間、のぼりました。

 その間はとても苦しいものでございました。

 あらゆる者がわたくしの悟りの邪魔をしたのでございます。

 しかしわたくしは、ある日禅定をしているときに、私の後ろにある木に、落雷いたしました。

 その時初めて、不動の心を作ったのでございます。

 「いま死んでもいい」
 わたくしはそのような気持ちになりました。

 その時に初めて、わたくしの父であったゼウスと、ゼウスと同じ魂の兄弟であるアモン、アガシャが現れたのでございます。

 わたくしはそれらの方々に、初めて愛と、説法をしていただきました。

 そこでわたくしは、三世を見通す力をいただいたのでございます。

 山を下りてからわたくしは、人々にこの世の無常を説いたのでございます。

 この世というものは、ただスクリーンに映るものと同じでございます。

 例えば椅子一つ取っても、この椅子は永遠不滅のものではないのでございます。

 たかが200年、300年の間に、初めの姿をとどめてはいません。

 それは正しいものでしょうか? それが永遠のものでしょうか?

 わたくしたちは、たかが100年の命でございます。

 この世に生きていて、そして肉体を持って生きています。

 確かにわたくしたちは、目も鼻も口も耳も、そしてこの身体も持っています。

 しかし、それだからといって、目に見えないものがないと言えるでしょうか?

 そして目に見えるからこそ、それが真実であると言えるでしょうか?

 わたくしたちが目で見ているものは、ほんの小さな、狭い範囲なのでございます。

 そしてわたくしたちは投影された、いまでいう映画、映画を見ているのでございます。

 それをわたくしは知りました。

 そして本当の、真の世界がある世界こそ、あの世、天上界なのでございます。

 天上界の全てのものは、永遠不滅なのでございます。

 そして極端ではありません。真ん中の道、真の道、中道をいっているのでございます。

 わたくしたちは、あの世からこの世に出てきて、あの世にあったことを思い出して、そしてそれを作っていったのでございます。

 全てわたくしたちは、天上界からこの世の中に出てきて、そして一番苦しい、目、耳、口、鼻、そして身体、そのようなものを持って悩むのでございます。

 しかし皆さん一人ひとり、自分自身が望んで出てきた世界なのです。

 それをあなた方は、知って生活しなければいけません。

 この世の中は無常です。そして、全て移り変わって行くものなのです。

 不変のものなどはありません。

 ただ一つ、不変のものと言えば、皆さん方の心です。

 嘘のつけない、善我なる、自分の心なのです。そしてそれは愛なのです。

 わたくしたち○○の不変のものは愛なのです。そしてわたくしたちの心です。

 それをわたくしたちは持って、この世界に生まれて参りました。

 わたくしたちは、まだこの世に生まれ出る前に、お母さん、母親の胎内の中にいました。しかしその時からわたくしたちは、母親の愛を受けているのです。

 そして母親は、死ぬ思い、死ぬ苦しみをして、わたくしたちを産んで下さいました。

 それが愛と言えずに、何と言えるでしょうか?

 そしてわたくしたちは、母親が無心にわたくしたちを可愛がり愛する気持ち、それを今まで拾わずに捨ててから、自分は愛してきた、愛されていることを忘れて、わたくしたちは生きてきたのではないでしょうか?

 わたくしたちがこの世の中に生きていることこそ、愛と言えずに何と言うものでしょう?

 母親はわたくしたちを産み、父親は自分は食べなくとも、子供には食べさせたい、それを愛と言えずに何と言えるでしょう?

 わたくしたちはこの世の中に出る前に、天上界で、今度の両親になる人たちに、「どうぞわたくしのお父さんになって下さい。お母さんになって下さい」、一生懸命、頼んだのです。

 そして一人ひとり、自分が決めた環境に出てきているのです。

 一人ひとり、責任を背負って出てきているのです。

 しかしこの世に生まれて、五官煩悩を持ってしまったために、全てそれを忘れ、自我我欲、物質至上の中に生きてきたのではないでしょうか?

 その為に、持たなくてもいい苦しみを沢山持ち、心を曇らせ、偉大な神の愛の光を自分自身の心で閉ざしてしまったのではないでしょうか?

 その為に、不変の真理を知らないがために、気づかないのです。知らないのではありません。忘れているのでもないのです。皆が、本当は知っているものなのです。

 それを気づかずにいるためにわたくしたちは、禁断の地、暗い世界に堕ちて、そこでまた悶え苦しんでいくのです。

 そのようなことを皆、わたくしはギリシャの地???の土地で、それを皆に説きました。

 そしてその教えは、又インドにも流れて行き、仏陀・釈迦牟尼が説きました。

 またイエス・キリストにしても、仏陀にしても、全て皆同じ、同じ魂なのでございます。

 皆に教えていることは、一緒です。

 仏陀の死んだ後、アラハンとなって知らない土地の言葉を話した、そしてイエス・キリストが復活した時に、皆知らない言葉が心から出てきてしまった、それは全て共通のものなのでございます。

 それを不変の真理と言わなければ、何と言うものでしょうか?

 それこそ正しい、本当の不変、物質ではなく、変わらない愛の教えなのです。

 そして今この日本の地に於いて、高橋信次先生が説いている教えは、また同じものでございます。

 今わたくしは、肉体を持ってません。

 しかしわたくしたちはわたくしたちなりに、天上界からこの世の人たちの、この世に出てきた光の大指導霊、天使、光の天使に、指導をしているのでございます。

 それがわたくしたち、天上界にいる者の、せめてもの努力なのでございます。
 誰がせよと言っているものではないのです。わたくしが、そしてわたくしたちが、しなければいけない使命なのでございます。

 それを今皆さまに、伝えたく思って参りました』

 (異言)

 「まだ、もう一人の光の大指導霊がここに来ております」(高橋信次先生)

 『わたくしはミカエルでございます。

 わたくしは、イマニエル、イエス・キリスト様がこの世に肉体を持つ時、マリア様が受胎した時に、ガブリエルと共に、そのマリア様の前に現れました。

 そしてイエスが誕生することを伝え、わたくしたちはイエス、後にこの赤ちゃん、子供がイエスと呼ばれ、そして皆にイマニエル、「我、神とともにいます」、そう呼ばれるであろうと言い残して、天上界に帰って行きました。

 その後のわたくしたちは色々と、今で言う十二使徒、イエス、イマニエルの十二人の弟子の生誕を預言するために、現れ、姿を現しました。

 わたくしたちは、決して肉体を持っていたわけではございません。光子体として、この地上界に現れたのでございます。

 そしてイマニエル、イエス・キリストが愛の教えを説き、そしてその時に素晴らしい正法が伝わるであろうということも、イエス・キリスト、イマニエルに預言致しました。

 イマニエルがあらゆる所で奇跡を起こしたのは、わたくしたちが陰ながら、お手伝いしたのでございます。

 パウロ、そして他の人々もイエスの元に行き着くであることを預言しました。

 そして皆の者は知らず知らず、イマニエルの側に参ったのでございます。

 それは全て、偶然ではないのです。皆、天上界で決められていたことなのでございます。

 そしてイエス・キリストは、自分の生涯を終えました。

 そしてその後、また彼はこの地上界に復活したのでございます。

 その時にまた全ての人が、彼の弟子が、過去を思い出し、色々なあらゆる国の言葉を語ったのでございました。

 そしてわたくしは、ヤコブ、シモン、またマタイの前にも現れました。

 マタイの前にわたくしは姿を現し、マタイに伝えました。

 イマニエルの生命は、元は、もっと長いものです。いま一代のものではないのです。

 ダビデ、エブラハム、そしてソロモン、アモン、全てそれはイマニエルの魂の兄弟、同一人物だと伝え、そしてそれをマタイは書き残しました。

 しかし後の人々によって、それはまるで肉親、魂ではなく肉親の先祖のように書かれてしまいました。

 わたくしたちは、それによって、魂の普遍性を伝えたかったのでございます。

 またヤコブもヨハネも、一人ひとり霊的な力を現す時には、わたくしたち天上界の者たちがお手伝いしたのでございます』

 (以下略)

1976(S51)-03-21~23 魂の仕組みと正法・正法と魔 関西研修会-和歌山県白浜三楽荘より

【1976-03-21】

 「・・・今、そのミカエルが、この女性に入って、語り始めます。
 そして前におられるところの、それぞれ人々を伝道している人たちの心に、例え少しでも増長慢の心があるならば、それは修正させられます。

 そして自分を自覚し、人の上に立つならばより謙虚に、そして己に厳しく、他人に寛容な心を持っていない限り、指導者としての道は不的確。
 このように光の量の区域は、厳然として天上の世界にも存在しております」(高橋信次先生)

 (異言)

 『今から70年前、仏陀様(注:高橋信次先生のこと)がこの世に肉体を持つときにわたくしに仰いました。

 「わたくしはこれから、この地上界に生を持ちます。その時にそなた、わたくしがもし悟れぬ時は、そなたがわたくしに対して、わたくしの魂を揺り動かして欲しい」

 その為にわたくしは、幼い仏陀様が9歳の時から、仏陀様の魂をあの世へと引っ張ったのでございます。それはわたくしに頼まれた仏陀様のお願いだったからでございます。

 我は七色の翼を持つ天使なり。地より湧き出でて天に帰らん。わたくしはその使命を果たしに参りました。

 (異言ほか)

 そしてここにいる者よ、良く聞きなさい。

 そなた達皆、神の子です。天上界というところから出て参った者たちなのです。それをよく知りなさい。

 今度そなた達が生まれたのは、ここにいる多くの者は、ある時はエジプトへ、ある時はギリシャへ、そしてある時は仏陀様のいられたインドへ、そしてイスラエルへ、また中国へと生まれた者たちなのでございます。

 そなた達はこの世にいま生を持ちました。
 今、この日本に生まれられたということは、素晴らしく大変なことなのでございます。
 そなた達はそれを知りなさい。
 わたくしはそれを告げなければなりません。

 そしてここにいる多くの者よ、そなた達の心にわたくしの言葉が響いていくでしょう。
 それはわたくしの言葉が、天上界の天使であり、そしてそなた達の心の中に、奥行きまでわたくしの言葉が染み渡って行きます。
 そなた達はそれを知っていきなさい。

 道は果てしなく続きます。
 しかし信じなさい。
 そなた達が信じたとき、そなた達の前にある門は開かれん。それを知らなければなりません。

 わたくしは今、目覚めました。そなた達も目覚めて下さい。

 わたくしが今から3,500年前、アポロとして生まれたとき、この中の多くの者にわたくしは神理を説きました。

 そしてわたくしは、次の世に、インドという地に、わたくしたちギリシャより東の国に、偉い、とても尊い方がお生まれになる、その時にそなた達は、わたくしアポロが説いた「己を知り、知らなければならない、その教えを、そして中道の精神を、わたくしが全生命をかけて説いた法を、東の国に持って行きなさい」

 わたくしは自分の生命の終わりを告げ、復活してそのように告げたのでございます。

 そして今もまた同じことでございます。

 そなた達は自分の使命を悟り、今が最終ユートピア建設のために生まれてきたことを思い出しなさい。

 他人に対して寛容な心を、そして己に対して厳しい心を持つのです。
 そなた達が信じればこそ、進むのです。道はどこまでも続き、そして物質は絶えず移り変わって行くのです。

 物質はすべて永遠ではないのです。
 それをそなた達が知らなければならないのです。

 この地上界に出てきていることは、一時の夢だということも知らなければなりません。

 そなた達はなぜこの地上界に生まれなければならなかったか、それを、その理由をそなた達は知りなさい。

 そなた達は己の魂を向上させ、ユートピアを建設せんがために、この世の中に生まれて参ったのでございます。

 そなた達の心の中に、偉大なる90%仏智があるのです。
 そなた達はそれに気づいていないだけだということを知らなければなりません。

 誰でもその思いは、思い出すことが出来るのです。
 特定の人間に出来るわけではないのです。

 ここにいる講師の者でも、自分の心に増長慢の心を持っている者がいます。
 わたくしには分かるのです。

 そなた達、わたくしがそなた達に申さなくても、そなた達は自分で分かるはず。
 そなた達の器を、自分で知らなければなりません。

 そして自分の名前に囚われ、過去の名前に囚われるだけではなく、今の自分がそなた達であることを知りなさい。

 そなた達はなぜこの世の中に出てきているのだ。

 自分の使命を知りなさい。

 そしてなぜ増長慢の心を起こす。

 今、私たちがこの地上界に生まれている限り、サタンも生きていることを思い起こしなさい。

 サタンはわたくしの弟子でした。
 しかし地上界に生まれて、自分を、悪魔に魂を売って、そして地獄界へと堕ちていったのです。

 ミカエル、わたくしが地上界に初めて生まれ落ちたときには、地獄というモノは数少ないモノでございました。

 皆さん、作用反作用の法則を思い出しなさい。
 作用・天国、上に力が上がれば、同じように反作用、下にも力の空洞が出来るのです。
 その世界に地獄が出来たのでございます。

 そしてわたくしたちが今、行わなければならないことは、一人でも多くの方に、この愛の教えを、心安まる仏法を広げることです。

 そしてそなた達は、それをするために生まれてきてもいるのです。
 そしてここにいる多くの者は、己を悟ることになるでしょう。

 何故いま泣くのです? どうして涙が出るのです? それはそなた達の何なんでしょう?

 それを思い出しなさい。

 そなた達の仏智なる偉大なる90%の力は、そなた達にそのような力を、そして感動を、胸を揺さぶっているのではないのでしょうか?

 そしてこれからも道は続きます。永遠に道は続きます。

 神理は変わることはないのです。
 しかし物質は移り変わって行くことを知りなさい。

 この世にあるすべての物質は、あの世の真似事だ、ということを知らなければなりません。

 物質欲に自分の心を囚われて、すべてを知らず一生を終わったとき、どのように悔い改めなければならないのか、そなた達は一番自分が知っているはずなのです。

 それをそなた達が知らなければなりません。

 そしてこの方がどのように偉大な方か、そなた達は知らなければいけません。

 この中のなんびとも、この方のいる世界には、行くことは困難なのでございます。

 そしてわたくしの世界から、わたくしの世界でさえ、そなた達講師よ、そなた達は見たこともないであろう。

 それはそなた達の今の心では、見ることは困難です。

 そしてそなた達、良く聞きなさい。
 そなた達は今の自分の器を知りません。
 余りに大きく見過ぎているのではないですか?

 自分の小さな器を知りなさい。

 もし大きな器を持っている者ならば、過去の名に囚われずに、自分の力を出すはずです。自分から、私は力が出るなど、以ての外です。
 力を出すなら、自分から力を出しなさい。

 言葉はどうにでも言えるのです。
 行動してどのような力を出してくるかは、周りの人間が分かるのです。
 それはそなた達一人ひとりの心の中に、あるはずなのです。

 そして地獄界からサタンがどのようにそなた達を扱っているか、そなた達は気づかねばなりません。

 地獄にいるサタンは、そなた達が気づかぬ内に、姿も見せず、増長慢の心、人を裏切る心、そして疑う心を、そなた達の心に起こしているのです。

 それは、そなた達は知りません。分からないのです。

 素晴らしい力です。

 知らない内に心の中に、心の隅に、奥に入って行くのです。

 それに勝てるのは、そなた達の信じる心と愛の心なのです。

 愛の防壁を作りなさい。
 愛の心を作りなさい。
 その時に、そなた達の心にサタンは入ることは出来ないのです。

 それが、一つだけの防御の方法だということを知らなければなりません。

 そなた達は肉体を持ち、そのような力は持ってないのです。

 霊的な力を、汝、望むなかれ。

 そなた達の心の中には、何が大切だか、自分自身がまだ分かってはおりません。

 霊的なことよりも、毎日の生活を見なさい。そして正しい教えについて行きなさい。

 そなた達の多くは菩薩界から出てきている者です。
 それを知りなさい。
 神界、菩薩界、それが一番そなた達の中で多いのであろう。

 そして如来の世界からわたくしが通信することを、正しく受け止めなさい。

 そして多くの者が、何をそなた達に望んでいるか、そなた達がこれから何をしなければいけないのか、そしてそなた達の心に湧き出でたサタンの心、増長慢の心を自分自身で知りなさい。

 わたくしたちは、そなた達の力に応じて、そなた達の肉体を通して語ることが出来るのです。

 それは、いくらそなた達が力を出そうとしても、そなた達の器の広さにより、それは出すことは出来ないことを知りなさい。

 そしてそれは又、それに・・・なかれ。
 そなた達がその力を毎日の生活に於いて発揮しなさい。

 そして天上界に帰ったときに、また一段高いところの人間になることが大切なのです。
 自分の器を知りなさい。己を知りなさい。
 己の使命を知らなければならないのです。

 そなた達は、わたくし達にどのように申して、この地上界に出てきたかを知りなさい。

 そしてこれからどのようなことが起こるか、そなた達が一番良く存じているはずです。

 世界は丸いのです。
 そなた達の心も丸く、そしてあの太陽、燦然と光り輝くあの丸い巨体は愛と慈悲の姿を教えているものなのです。

 わたくしたち天上界の世界にも、太陽があります。
 その太陽はわたくしたちに、智慧と愛と慈悲を与えているのです。
 そなた達ひとり一人、それをいただいてこの地上界に出てきているのです。

 わたくしたち天上界の太陽の心を知りなさい。
 そなた達は皆、知っているはずなのです。
 ただその記憶がのけられているだけなのです。
 それを思い出しなさい。

 そして自分が菩薩の心であることを思い起こしなさい。

 菩薩の心にも段階有り。
 人の心に段階有り。
 それを知りなさい。

 今、我、天の世界を見聞する。
 道は開かれん。
 それを知りなさい。

 そなた達は自分の器の大きさを知って行動しなさい。

 増長慢になって、自分の器の大きさを、大きくはかるものではないのです。
 自分の器を知りなさい。

 そして汝、中傷するなかれ。
 人を愛しなさい。許しなさい。そして道を進んで行きなさい。

 その時にそなた達は確かな、今そなた達の開いている霊道というものは、そなた達の本当の力ではないことを知りなさい。

 それは今、そなた達10%の力だけのことを知りなさい。

 90%の偉大な智慧を知りなさい。

 わたくしも同じことでございます。
 まだ未熟です。
 これからわたくしは大きく伸びていきます。

 それは天上界でわたくしが、ブッダからわたくしに与えられた力なのでございます。

 わたくしたちの心は、いつも丸く平穏で、愛と慈悲に包まれていなければなりません。

 そして一日も早く、仏国土・ユートピア、そして自分の、己の心に愛の灯火を焚きつけておきなさい。

 その時に、そなた達の元には確かな現象と共に、素晴らしいことを、わたくしたち天上界の者が、起こることをここで予言いたします。

 そしてそなた達、何度もそなた達に厳しく言うようですけれども、自分の器を知りなさい。
 そしてその器を知ったならば、器を大きくすることよりも、その器一杯に水を、愛の水を汲み入れることを知りなさい。

 器の大きさを知りなさい。
 そして菩薩ならば、菩薩と言った限り、菩薩の修行をして帰りなさい。

 それをわたくしは今、ここでそなた達に告げます。

 (異言)

 仏陀様は偉大な方でございます。それをそなた達は知って下さい。

 そしてこの教えがどのように世界に到達するか、もしこの教えがこの現象界で素晴らしいモノとなったときに、地獄の世界は、地獄の者たちは、又すべて天上界に上がれることをわたくしは、ここでまた予言いたします。

 それはすべて仏陀様がわたくしたちに、それを予言したのと同じことでございます。

 最終ユートピアを建設するがために、そなた達はそなた達の心に、偉大なる90%の仏智があることを知らしめるために、我今ここに現れる。
 それを知ってください。

 そしてこれからもそなた達は汝の心を驕らん限り、道は開かれる。

 そして信じる者よ、そなたは救われるのです』

 (異言)

 「今この中に、ギリシャの時代に東の国インドに、その使命を持ってバラモンを伝えた人が来ております」(高橋信次先生)

 (異言)

 『そなたは日本語で語りなさい。語れるはずです。自分の言葉に自信を持って語りなさい。
日本語で語って、皆の者に教えて上げなさい』(ミカエル様)

 「今ここにお立ち下さる方(注:高橋信次先生のこと)から、心の道を教えられ、広くそれを、多くの方々に示さねばならないと、わたくしは指名された者でございます。
 やがて東の国に偉大な○○○、ゴーダマ仏陀様の出生なされることを予言して、わたくしはその教えに色々と多くの方々に、その友を呼び、そしてそのことをまた伝えさせていただきました者でございます」(男性の方)

 (ミカエル様)
 『今から3,500年前、ギリシャの地に於いて、アポロという方がお生まれになりました。その時にあの方は、彼の父が早くなくなってしまったために、己自身を悟るため、オリンポスという山に登られたのです。

 そこで己自身を悟ると共に、三世を見通す力をいただき、天上界の大天使達から力を与えられました。そしてその時にアポロは、自分の教え、己を知れ、そしてこれから正しい道をギリシャから東の国、そこのところに偉大な方が、メシアがお生まれになる、そのところまでわたくしの教えを持って行きなさい。そしてそれは形式化された教えにいつか変わっていくだろう。

 しかしそれにより、ブッダという方、その方は自分を知り、そのものに疑問を持ち、わたくしの教えからヒントを得て自分自身を悟ることが出来るだろうと予言したのでございます。

 それをこの者は、アポロという方が肉体を無くして、あの世に帰られてから、この地上界に再び現れたのです。それは光子体として現れ、この者達、39人の者にそれを伝えたのでございます。

 ・・・

 その時39名の者は、己の知らぬ異語を語り出したのでございます。皆、イエス・キリスト、イマネールの出立の時にも、ブッダの亡くなられたときにも、皆同じ神理が普及されるのはどうしてでしょう? なぜ同じ現象が再び、何回も繰り返して行われるのでしょう?

 そなた達はそれを知らなければなりません。
 この事実を、そなた達の善我なる自分の心に焼き付けておかなければなりません。

 ・・・

 ここにいる者たちよ、己を知りなさい。自分の頭の高さを知りなさい。

 ・・・

 ここに多く、自分の心の窓が開きそうな方がいます。

 それは何故でしょう? 何故皆、涙が出るのでしょう?

 それはそなた達の内在された90%、偉大な心がそうさせるのではなくて、何と言えるでしょう?

 その事実を知りなさい。そしてこの道を進んで行きなさい。

 汝、疑うことなかれ。

 いつまでもこの道を進んで行くのです。

 それを知りなさい。

 これが演技でこのようなことが出来るでしょうか?

 これが天上界で予言されていたことなのでございます。

 ・・・

 お聞きなさい。自分の心を正しいモノから見なさい。
 感情を出してはいけません。
 己を知り、自分の心を安らかにしなさい。

 そしてあなた達は、天上界の言霊を心の中に入れなさい。

 ・・・

 今、ブッダは悟られました。それを知り、それを心の糧として行きなさい。

 それが何であるか、いま何故このような現象が起きているのか、心の中に焼き付けて行きなさい。
 これは天上界からのすべて命なのです。
 それを知らなければなりません。

 ブッダはこの地上界に出るときに、わたくしたち天上界の者に、すべてを託していったのでございます。

 それは厳しい事情でございました。
 しかし今ブッダは、自分の力を少しずつ出しつつあるのです。
 それについて行くのです。

 それには己の心をそのようにまーるい心に、そして皆、心を穏やかにしていなければ、ついて行くことは出来ないのです。

 己の心が、その教えと比例して行くことを知りなさい。
 そして行即光、行いこそ光、光となって現れることを、そなた達は知らなければなりません。

 その時、そなた達は救われることを、そなた達は知らなければなりません。

 そなた達は何故この地上界に肉体を持って現れているのか、それはすべて自分の魂を磨いて、再び天上界に帰り行くことが目的なのです。

 その為にはまず、ユートピア、仏国土を建設して行きなさい。
 その時に、そなた達が天上界に帰ったときに、そなた達がすべて救われ、そしてまた再び明るい天上界に戻ることを、わたくしは望んでいます。

 この中の大勢の方に、わたくしは、ある時はアポロとして、またある時はギリシャ、またある時はミカエルとして、そしてある時は如意輪として、皆さまの前に現れているのです。

 何故皆、涙が出るのですか? 何故この現象を見て、涙が出るのですか? その不思議に疑問を持ちなさい。疑問を持ち、それを解くように、自分の行動を伴わせて行きなさい』

 (高橋信次先生
 「今、この方はイスラエルの当時に於いて、イエス・キリストの当時、12使徒の一人、シモンでございます」

 (シモン様)
 「皆それぞれ、それぞれ違った使命を持って、この世の中に出てきました。

 せめてその地上界にいるときに、すべての自分の使命を思い出して帰れるように、責任を、その使命を自分で作ってきたことを思いだし、そしてすべての責任を自分で為して帰ることを誓って下さい。
 そなた達にわたくしは、それを伝えるために来たのです。
 イスラエルの地に於いて、イマニエル、イエス・キリストと共に、シモンとして、十二使徒として、その中で、イマニエル、イエス・キリストを助けた者でございます。
 その時の記憶が今、同じように現れております」

 (ミカエル様:高橋信次先生に向かって)
 『わたくしは約束を果たしにまいりました。貴方様が今から70年前に、わたくしをお呼びになって言いました。

 もしわしが悟らなければ、そしてそなたがそなたの使命に悟らないときには、わたくしの命をミカエルよ、わたくしの命を天上界に帰して欲しいと、仰ったのでございます。

 貴方様は目覚め、そしてミカエルもここに参りました。

 ミカエルはいつでも貴方様の側におりました。モーゼの時にも、イマニエルの時にも、ブッダの時にも、皆わたくしは、貴方様を信じるように心がけているのでございます。

 わたくしは貴方様がお悟りになったことが何よりも、心が、胸がいっぱいでございます。

 エジプトの時にモーゼが悟ったときにも、イスラエルでイマニエル、イエス・キリストが、そしてブッダが悟ったときよりも、わたくしは嬉しゅうございます。

 ミカエルは貴方様の僕でございます。

 貴方様がわたくしに、命を受けたモノを、下の者たちに伝えているのでございます。そして皆は気づきました。

 わたくしは貴方様がこの日本に生まれて、そして色々な体験を積む過程に於いて、貴方様に奇跡を行ったのでございます。

 あなたはもう本当は、生きては居られない方なのです。三度、三度死んでおられる方なのでございます。

 わたくしたち天上界の者は、貴方様を、仏法を説く方になるために、わたくしたちは待ち望んでいたのでございます。

 今このように貴方様が悟られて、わたくしは幸せでございます。

 貴方様は天上界でわたくしに約束されたことを、いま確実に果たして居られます。

 そして夕べ、昨日の夜にわたくしの言葉により、また蘇っていただきました。

 わたくしには、とても言葉にはならないほど幸せでございます』

 ・・・

 (高橋信次先生)
 「(ミカエル様に向かって)どうも有り難うございました。

 皆さん、こうして我々の心の窓は開かれていきました。
 皆さんも人ごとではありません。
 悔いのない人生を送らなければいけません。

 その為にはまず、正しく法に生きることです。
 法を頼りにすることです。
 法とは自然の法です。
 内なる、皆さんの嘘のつけない心を信じることです。
 これが神理です。
 その時皆さんは、偉大なる神の光を自らの力によって得ることが出来るのです。

 私は今、それを知ったのです。

 そして皆さんはやがて、多くの人々が、その偉大なる事実を知らざるを得なくなるのです。

 そしてやがて多くの奇跡が起こります。

 そしてそれは、人々の心の中に愛の光となって灯されていくでしょう。

 そしてわたくしの説くこの道は、全宇宙の人々がやがて知らざるを得なくなるのです。

 それは、ひとり一人の心の灯火が、やがてこの地球を光明に満たしていくのです。

 それは、皆さん神の子として、せねばならない道なのです。

 自らを自覚しなさい。
 人ではないのです。
 偉大なる皆さんの心の灯火を、自らの力によって灯しなさい。
 その時に、道は開かれていくのです。

 やがてわたくしは、国外に出て行きます。
 アメリカに大きく火の手が上がります。

 そして皆さん一人ひとりの心の中に安らぎとなり、この地上界は、光明に満たされていくでしょう。

 いま、前にいるところの講師の皆さん、先ほどミカエルから言われたように、自分の器を知りなさい。
 器の小さい者は自分をより大きくするために、更にこの地上界に於けるあらゆる試練を体験しなさい。

 そして豊かな自らの魂を作り上げなさい。

 増長慢は許しません。
 神の名の元に於いて、増長慢は許しません。

 所詮そなた達は、肉体を持ったただの人間です。
 自らを制御し、自らに厳しく、寛容な心を忘れてはいけません。

 上に指導者として立つ以上、常に自己を見つめよ。
 自己を省みよ。
 そして厳しいことは、自らに受けよ。
 人に愛を施しなさい。
 それが神の掟です。

 自らに厳しく、自らに厳しく、他人に寛容な心を持ちなさい。

 上に立つ人ほど、後の世に法を狂わす者です。
 上に立つ者ほど、自らを正しなさい。
 それ以外に、法灯が永遠に灯されていくところの道はないのです。

 私は過去に於いて、幾たびかこの地上界の衆生に道を説きました。
 年を経ると共に、その道は、その灯火は消されました。

 いま、また復活しました。

 そしてこの地上界に、偉大なる光明の光を灯すために、再び肉体を持っているのです。

 あなた達は悔いのない自己を作り、悔いのない環境を作るために努力しなさい。
 勇気を持ちなさい。
 その時に、あなた達の心の窓は、光明に満たされていくでしょう。

 お願いします。

 ・・・

 私はこの地上界に肉体を持ったのは、今生が初めです。

 イエス、モーゼ、ゴーダマの説かれたモノ自身を基盤として、最終的な道を説くために、いま肉体を持っているのです。

 そなた達はその使命を果たしなさい。

 上に立てば立つほど、自己の確立に目覚めよ。

 面を上げなさい」

 (以下略)

1976-03-22】

 『ミカエルでございます。

 私はサタンが、もうここに来る前に、一週間ほど前に、サタンの様子を見つけました。そして、その者に、「そなたは気をつけなさい、サタンが側に来ています」、そう告げました。

 しかし、その者は、菩薩とはいえ、この地上界に肉体を持ってしまえば、ただの人間でございます。

 そのために、そのときのその忠告は、この者の心では理解することができないようになってしまったのでございます。

 昨日の夜、サタンを連れた者が先生、ブッダの部屋に来ました。

 そしてそこで、その者からサタンは離れて行きました。

 そしてその者も、サタンの恐ろしさを知っていったのでございます。

 しかしその後サタンは、部屋の隅に残っていたのでございます。

 そしてブッダとこの方が寝静まったときに、この方の身体を支配しようと、傍に寄って参りました。

 そして傍でその方に告げだします。

 「私は大如来だ。そなたの使命を今、告げに来た。
 そなたは今からこのようなことをしなければならない。
 そなたは先ず、力をつけなさい。そして光を多く出しなさい。そして正法を説いて行きなさい」

 ここまでは正しいのでございます。

 しかし、一生懸命、一生懸命、この者に増長慢にさせるような言葉を伝えます。

 その者は、「おかしいな、おかしいな」と思いだし、やっとその如来という者の姿を見ました。

 そのときに、頭からは角が生え、身体は黒い着物に覆われた、真っ黒な姿が見えたのでございます。

 そして如来という顔の裏には、すえた笑い、そして、人を疑う心を起こさせる、また増長慢であり、信頼もなく、そのような心を起こさせようとしていたのでございます。

 しかしその者が、「そなたサタンよ、私はそなたを見破った」、そう言った途端にサタンは、「見破られたか」と言って、その者の所から去ってしまいました。

 そのようにして、人それぞれ違った方法でサタンは、その者の心の隅に忍び寄ってくるのでございます。

 かつてわたくしが、昔のことです、今からとても前のことになりますが、地上界を去り、そして天上界に向かって、大天使長になった頃でございます。

 天使サタンは地獄に堕ち、そして地獄の多くの者を従わせて、天へと向かって参ったのでございます。

 この地上界で起こった出来事でございます。

 そしてそれらの者は、自分の身体を誇示して、多くの魔王を従えて、サタンを先頭とし、私たち天上界の者に、闘いを挑んできたのでございます。

 わたくしたちは地上界の者にそのような悪魔をつけてはなりません。
 それ故に、そしてまた混乱を巻き起こさせないために、わたくしたちは地上界に降りて参り、そしてそこでわたくしたちはサタンと闘ったのでございます。

 多くの天使は傷つき、ガブリエルも、また多くの偉大な天使達も傷つき、倒れてしまいました。

 わたくし一人しか残っておりません。
 相手はサタンでございます。

 かつては私の天上界の弟子だとはいえ、地獄に堕ちてしまったあの方には、わたくしの心を理解する力は、もう持ってはいなかったのでございます。

 かつて地獄のない頃には、あの者は心安らかな天使でございました。
 しかし、あの者もこの世に生まれてしまえばただの人間、多くの悪魔に惑わされて地獄に堕ちたのでございます。

 そして、私一人残りサタンに、「サタンよ、わたくしはそなたとは闘いたくない」、そう言いました。

 サタンはその言葉に息もつかずに、私に矢を射ってきたのでございます。

 わたくしは、私の身体から出ているオーラーがそれらの矢を、矢が飛んできてもそれらの矢がそのために、光のために光の中に入ることが出来ず、光によって消滅してしまうのでございます。

 しかし、わたくしは、一人しか残ってはおりませんでした。
 多くの天使は傷つき、天上界にまで忍び込もうとしているのでございます。

 そのときでございます。
 わたくしの体が光り輝く、光の強さが偉大に大きいモノになってきたのでございます。
 天上界のわたくしたちの主が、わたくしの身体に光を仰せつけたのでございます。

 サタンはその光に目がくらみ、地獄へと堕ちていったのでございます。

 また、モーゼ様がこの世に出たときにも、そして肉体を去ってあの世に帰られたときにも、サタンはその抜け殻を、モーゼ様の抜け殻を、わたくしに寄こせと申し出たのでございます。

 わたくしは、そのようなことをさせるわけにはいきません。

 しかしサタンは又、前と同じようにわたくしに刃向かってきたのでございます。
 その為にわたくしはサタンを、
 「そなたは何故このようなことをする。
そなたもかつては神の子、何故そのように己を知らないような行為を行う。
 かつてそなたがアラン?様によって聞いたその教えは何になっているのだ?

 そなたは何故気がつかない」
 と言ったところ彼は、『何故そなた達神の子は、我ら悪魔を忌み嫌う』、そう、わたくしに言ったのでございます。

 わたくしたちは、地獄に堕ちている悪魔とて神の子、皆同じように愛しているつもりでございます。

 しかし彼には、人間として生まれたときの、悪魔に対する恐怖感が、そのような概念を作ってしまったのでございます。

 その為に彼は、モーゼ様の肉体を自分の物にして、そしてそれをどのように利用するかと、考えていたところでございます。

 そしてわたくしはその時でございます、前と同じように、わたくしの身体は燦然と輝き、多くの天使は光をサタンに浴びせたのでございます。

 サタンはその為に、身体はみるみる小さくなり、地獄へと帰って行ってしまいました。

 又わたくしがこの世に、マルチン・ルーテルとして肉体を持ったとき、わたくしが書斎で反省をしておりました。

 わたくしが、今日はこのようないけない所があった、こういう所を直さなければならない、又こういう所もいけなかったんだ、と反省しておりました。

 そのとき、どこからか、天の声のように、わたくしに言うのです。
 「そうだ、そなたはそういう所がいけない。
 気をつけよ。
 そういう所もいけない。
 そうだ、そうなんだ。
 そなたは力がないんだ。
 そなたは何も出来ないんだ」
 そう言うのでございます。

 その時わたくしの心に、魔だ、魔だと呼びかけるのでございます。

 わたくしは部屋の隅を見ました。
 部屋の隅には、白い○○、頭から角が出た、大きなまるで怪物のような物がうずくまっているのでございます。

 わたくしはすぐ近くにあるインク壺を、「魔よ、去れ」と言って魔に、サタンに投げつけた覚えがございます。

 そしてわたくしは、サタンや、多くのサタンに惑わされた者たちによって宗教裁判をされ、死んでいったのでございます。

 このようにして、モーゼに於いても、またイスラエルの地、イエス・キリスト、イマニエルに於いても、ブッダに於いても、皆多くの魔が、正法が発揮されるときに近づき、人の心にあたかも忍び寄るかのように入っていくのでございます。

 それはまるで自分が考えたように、己が思ったように思わせるのでございます。

 自分の心に隙があるから、そして地盤が固くはなっていないから、魔は入り易いのでございます。

 ブッダにそのまま近づくことは難しいことでございます。
 それが故に、まだサタンの力を受けられない者達の所に、力を現すのでございます。

 それは巧妙な手口でございます。そして皆は惑わされていくのです。

 これは何万年も、何千年も昔からサタンが同じように、神理を説く者の側に、又はその足元に気をつけるのは、サタンの繰り返しでございます。

 そなた達は過去に於いて、同じような繰り返しを何度も受けているはずです。

 再び同じ間違いをしないためには、まず己の心に、信ずる心と愛と調和と慈悲を持つことが、サタンの手をまぬがれる一番の心の防壁なのです。

 それを知らなければ又、同じ目に会わせられることになるのです。

 サタンは巧妙な手口を使い、自分の姿は見せないように行うのでございます。

 心の隅に自分の念を送り、一遍に多くの人間を狂わせることなど、あの者に取ったらとても容易いことだということを知らなければなりません。

 (黒板にサタンの絵を描きながら)

 このように角が生え、目は吊り上がり、人には、心はまるで自分は天使のように顔を皆に向けるのでございます。
 その為にわたくしたちはその姿を、正しくその姿を、その者の後に見なければなりません。

 自分はまるであたかも、天使のような、そして観音のような、ボサタのような、そんな顔をして現れるということでございます。

 身体は白い着物に覆われ、まるで顔は仮面に覆われているような・・・。

 一見みると、ある時には観音のような美しい着物を着てくることもあります。

 しかしその時その者が神理を説けるかどうか、正しいことを言っているかどうか、それを見て、まず、その者がどのような、そしてその者が来たことによって自分の心が安まりがあるか、調和があるか、それによって見ることが出来ます。

 そしてその者の姿を見たときに、さてこれは正しいモノだろうか、自分の心を落ち着けて、このような者が来たときには、自分の心が感情的になってくるわけです。

 イライラしたり怒ったり、人を疑ったり、足ることを知らない欲望が湧いてきたり、そうしたときには魔が、サタンが来ていることを忘れてはいけません。

 しかし、わたくしたちは毎日の生活をしている上に、それを忘れてしまいます。

 菩薩といえども、この世に生まれてしまえばただの人間。自分が狂わされてしまうのです。

 これは人間として生まれたからには、五官、煩悩、それがあるために、自分の偉大なる智慧が正しい力を出さないようになってしまうわけです。

 だからまず、このような素晴らしい顔をして現れても、その者を正しく見ること。
 そうして見れば、その者がどんな姿をしているかは、皆さんでも分かる筈なんです。

 だから皆さんを信じさせるために、わたくしは何とか如来だとか、私はブッダだとか、日蓮だとか、そのようなことを言って皆さんの前に、これからも現れるかも知れません。

 そしてサタンはいつも皆さんの心の中に、隙が出来るのを、小さな隙が出来るのを待っているのです。

 そして隙が出来たところから彼らは、上手に、そして安易に、入ってくるのです。

 その時に皆さんは、あゝこれは八正道のことだな、何でこんなにイライラしたんだろう、おかしい、まずそれに気がついて下さい。

 正しい天使というものは、その者の心に安らぎと調和を与えるものなんです。

 魔というものは、増長慢と、そして人を裏切る心、その心を皆さんの心に起こそうとしていることを今、自分の胸の中に刻んでおいて下さい。

 そしてサタンは正法がこの地上界に立つときに必ず現れ、そして人の心を、また多くの大天使の心を狂わそうとしていることを、いま忘れないで自分の心に。

 そしてそのような者が来たとき、「あっ、いま来ているのじゃないか、私はチョットおかしい、自分で正しい観念を持とう、そして私は正しく念じていこう」、そう思うときでも皆さんが・・・悪いことを念じれば、これらの者はそなた達の心に入って来るということ、忍び込んでくるということ。

 念じるということは、正しく念じなければ、自分の心に恨み辛みを念じたときには、このような者が入ってくるということ、そして念じられた者は、やはり同じ心が募っていれば、それは多くの者はその身体に入ってしまうということ。

 いいですか、自分が念じたものが、やはり同じように悪い心、調和してない丸い心を持っていない場合は、その者には悪霊が、サタンが乗り移ってしまうということを、いま心に入れておいて下さい。

 自分が正しくまぁるい心を持っていればこそ、そのようなものは、自分の身体には入ってくることは出來なのです。

 力がある、力がない、それは関係ありません。
 皆さんが愛の心で、調和の心とそして信じる心、それがあるときに皆さんの心は救われるということを、いま心に入れておいて下さい』

 (高橋信次先生)
 「このように、わたくしたちのこの地球上というところは、善悪、善も悪もミックスされているだけに修行が出来るのです。

 その悪を通してまた善を知り、善を通して悪の恐ろしさを知るのです。

 そして常に自分というものの心の物差しは、正道以外にありません。
 勇気を持って自分自身がその正道を実践したときに、我々はいま生きている真実の悦びを、皆さんは知ることが出来ます。

 まず、いまから家へ帰って、生活を、この研修会で習った自分の思念と行為というものを正しながら、一ヶ月でも二ヶ月でもまず、実践してみて下さい。

 その結果、自分自身の心の中に、本当の人間の、自分自身の本性を知ることが出来ます。

 その本性とは、神の子としての、偉大なる安らぎと調和です。

 好むと好まざるに関わらず私たちは、いつの日かこの地上界を去らねばならないのです。

 我々は、天国に行くために修行しているのではないのです。

 今を如何に正しく、調和された、安らぎの人生を送るかということです。

 それを送れば、黙っていても天国に行けるのです。

 そして我々は、神の身体であるこの地球にユートピアを作ることが大事なのです。

 真の、普遍的な神理を根幹とし、有意義に物質を使っていかなければ、ユートピアは完成されません。

 人がやるのではなく、私たちひとり一人が、それに自覚することが大事だということです。

 どうも有り難うございました」

1976-04-11 心の中に内在されたる英知 七周年記念講演会より

【ある宣教師の方の質問(要旨)に答えて】

 「すべてのキリスト教会とは申しませんけれども、多くのキリスト教会は、神は愛であると言いながら、イエス・キリストを信じ、教会に行き洗礼を受け、忠実に礼拝を払い、そして収入の十分の一を献金として捧げ、教会にとって誠に都合の良い愛の行為を為さなければ、神の国に入ることは出来ない。
 そしてもしそれを信じないならば、永遠の滅びに至るのだと、そのような教えを致します。
 果たして、イエス・キリストはそのようなことを言ったのだろうか?
 これが長い間の、聖書を説き、多くの人々に伝えようとしてきた私の心の中にある苦しみである。
 具体的に教えていただけたら非常に有り難いと思います」

 『わたくしはミカエルでございます。

 イエス・キリスト、イマネールはこの地上界に出たのは、モーゼがヤーベの教えを多くの者に伝えたが、それが余りにも戒律的になり、一週間の内に一日とある安息日が、まるで戒律的に定められ、何もしてはいけない、食べることも少ししか食べられないと、余りにも戒律的になってしまったために、すべてを正しく元の中道の位置に戻し、また多くの者に愛を説くために、天上界から神の使いとして、この地上界に現れた者でございます。

 イエスは、多くの者に愛の心を説き、慈悲、またヤーベがモーゼに伝えましたように、「汝、人を愛せよ」「汝、追従するなかれ」、そのようなこともイエスは多くの者に説いたはずでございます。

 イエスは後に、サタンの手先により、十字架にかかり、天上界へと帰ってゆきました。

 その後、彼の弟子が、多くの者を救い、七つの教会を建てました。

 その教会といえども、初めは○○で、多くの者に説法をしてゆき、また他の者の家を借りて、そこの家で正法を流布しておりましたところ、多くの宣教師を信じる者が、初めて建物を造ったのでございます。

 それがいつか、あのような戒律的な教会となったのでございます。

 その後、イエス・キリストの伝えた教えを書物にされた物が・・・の前に、許可されたのでございます。書物では恰も・・・でございますが、あれはローマ政府が許可したのでございます。

 イエスの教えを・・・、「信じる者よ、汝は救われる」とイエスが説いた真の教えがいつか、「疑ってはならない。疑うこと、汝を滅ぼす」と、変えてしまったのでございます。

 権力者と、法王とまた牧師は手を組んで、封建的な政治をするために、キリスト教の教えを変えていったのでございます。

 今のキリスト教サイドは、聖書を研究しなさい、聖書を読みなさい、教会へ来なさい、でなければ汝の魂は救われないと教えているはずでございます。

 しかしそれはモーゼも、イエス・キリスト、イマネールも、それ自体を望んだのではございません。

 律法よりも、戒律よりも、彼らが望んだモノは、神が教えた愛と、自分自身が神我なる自分の心に持っている愛を、多くの者に、自分以外の者に分け与えること自体を教えたのであって、形式化した教会を、また教会組織を教えたのではないのでございます。

 人間という者は、いつの世に於いても、形というモノに囚われ、肉に翻弄され、己自身の心を忘れてしまいます。
 形ではないのでございます。

 イエス・キリストもモーゼも、またインドの地におけるゴーダマ・ブッダも、今の仏教もキリスト教も形式化されているだけで、彼らがわたくしたちに教えた法は、自分の心を、我が身を振り返り、多くの者に愛を与えよということなのでございます。

 教会など作れとは教えてはおりません。ただ集会の場所がいつしか人間の手によって形作られ、今の教会と、また仏教に於けるお寺となったのでございます』

【クリスチャンの大学生の質問に答えて】

 「旧約聖書を読んでいて、旧約聖書の神が、怒りの神、戒律の神と捉えられることに疑問を持っております。
 モーゼはヤーベの命ずるままに、40万人の民を引き連れ、40年かかってカナンの地に行ったが、その間に無数の人々を戦いによって殺したことになっています。そしてそれは神の命令であったと書かれています。
 古代に於いては、神の人モーゼでも人を殺すことは許されたのでしょうか?
 また、安息日について、イエスの時代に於いてすら病気の人を癒してはならないとか、厳しい戒律になっておりました。安息日の本当の意味はどういうことだったのでしょうか?
 この二点についてお答えいただければ幸いと存じます」

 『それは、モーゼが多くの者を殺したように聖書には書いてあり、またヤーベがそれを命じたと書いてあります。しかし書物というものは、その耳に、言葉が耳に、また次の者に伝えられていった物です。不確かな物なのでございます。

 あの時はモーゼがカナンの地に行くまでに、40年間かけました。
 カナンに行く間、そのような多くの年月は、距離的にいって不必要なはずでございます。

 なぜ、40年間かけたか?
それはお互いに調和を取りながら、少しずつカナンの地に入っていったのでございます。

 天上界に於いてヤーベは、モーゼに絶大な力を与え、天変地変を起こす力も与えました。
 当時、凶作を得ていたあの地方に於いて、モーゼはヤーベに頼み、豊作になるために、雨を降らせていただきました。

 ヤーベは、人を殺せとは、一度も仰ったことはございません。

 一人の命も百人の命も同じだと、いつも仰っているのでございます。

 モーゼは40年間の長い月日をかけ、少しずつ少しずつ、多くの民に食糧を供給しながら、またカナンの地に於いて、先住から居た民族に対しても、心の教えを多くの時間をかけ、少しずつ少しずつ浸透させていったのでございます。

 もしモーゼが人を殺し、多くの人を殺めたとしたら、天上界からの使いではなく、地獄の主のサタンです。

 天上界の者は、そして神の使いである、真の使いであるヤーベは、そのようなことは申してはおりませんでした。

 それは天上界にいたわたくしたちが、一番知っております。

 少しずつ時間をかけ、相手の心を考え、また地理的な位置を、また住むところを、食物を、衣食住をすべて考えた上でモーゼは、多くの民族を調和的に進めていったのでございます。

 また安息日について、モーゼはヤーベから聞いた、一週間に一日だけ心を安定させる、一週間の反省をするよう、一日を人々に持たせようと、ヤーベはモーゼに申したのでございます。

 何もするなとか、病める者を助けるなとか、商売はするなとか、そのようなことは申してはおりません。

 ただ、そういう一日だけ定めて、その日に於いて心を浄化せよと、一週間の反省をせよと申したのでございます。

 先ほどもわたくしが申しましたように、人間はすべて、形式化、戒律化したがると申しました。

 イエスの当時に於いても、今と同じようなことが行われていたために、天上界の命を持って生まれたイエスは、それを打開し、真のヤーベの言葉を再び再現するために、この地上界に生まれたのでございます。

 またイエス・キリストが亡くなり、同じような封建的なキリスト教に、封建的な宗教に、再び人間の心、肉に囚われる心に、それ自体が作られてしまうのでございます。

 モーゼは人を殺めもしなければ、人を憎みも致しませんでした。
 それが天上界の心なのでございます。

 それだからこそヤーベが、あのような力をお与えになったのでございます。

 そして多くの民族はカナンの地に、幸せをもたらすために参りました。

 今の、正しく伝えられていない教えは、多くの者を狂わし、日常の生活をも狂わせている地域がございます。
 それは正しい教えではなく、人間の手と、またその人間の意識によって作り替えられたキリスト教になってしまったことを知って下さい。

 ユダヤ教も同じことでございます』

1976-05-02 正法の流転 青年部研修会より

 『わたくしは、ミカエルでございます。

 わたくしたちが初めてこの地上界に参りました時は、今から三億四千六百年前でございました。

 わたくしたちが参りました星は、デルタという星でございました。

 デルタの星は調和され、もうわたくしたちの力は不要となるために、そこで魂が分かれたのでございます。

 そしてわたくしたちは、新しい綠に萌えた地球、再び神の力による世界だということを知らしめるために、神のお選びになったこの地球に参ったのでございます。

 その時、わたくしたちの主で在られるエル・ランティと共に、わたくしたち七大天使を、わたくしとガブリエルとラファエル、そしてその他の天使達を共に連れて、この地に参りました。

 初めてこの地に円盤が発着したのは、ナイルの三角州にございますエル・カンタラという土地でございました。

 初め、わたくしたちの主であるエル・ランティは、エデンという名前をお付けになりました。エデンというのは、調和された土地、安らぎの土地という意味でございます。

 わたくしたちは、天上界の世界とはコンタクトを続けておりましたが、いつしかこの地球という土地に於いても、物質的な存在に心を囚われる者たちが多く出てきました。

 初めはガブリエルが、「そなた達、心を物に囚われ、動かされてはいけない。いつも己を慎み、心を中道に持ってきなさい。物は移り変わり、不変ではないのだ」ということを、多くの者に伝えました。

 アダムとイブというのは、男性と女性の象徴として、そのような名前が持ち上げられたのでございます。

 しかしガブリエルの忠告にも聞かず、とうとうわたくしが、この地球に来た天使の長として、忠告しなければならない悲しい事態が起きたのでございます。

 わたくしはその者たちに、「そなた達はここにいても、己を悟ることは出来ない。少しは遠くの地に離れて、己を見つめて、もう一度わたくしたちのところに帰ってきて欲しい」と、わたくしは遠くへと手放しました。

 しかしその者たちは、己を悟るべきことも出来ずに、とうとう??の人間と、物質に囚われた人間として、この地球の虜になってしまいました。

 その為に、通信は全く途絶えてしまいました。

 わたくしたちの肉体もいつかは疲れ果て、天上界へ帰る時が参りました。

 エル・ランティがわたくしたちより一足先に、天上界に帰り、天上界を纏めておいでになられました。

 そしてわたくしたちが、次々と天上の世界へ帰って参ったのでございます。

 それから後に、わたくしはギリシャの地に於いて、アポロとして生命を持ち、その使命を知り、オリンポスの山の地で、多くの者に正法を説き、ヴェルギの町に於いて天上界とのコンタクトをし、町を平和に導いていきました。

 それがいつの間にか、神話のようにされてしまったのでございます。

 また、モーゼさまがエジプトの地に生まれ、わたくしたちの師であられるエル・ランティの??を受け、エル・ランティはこの世に於いて、??として現れになり、ヤーベとして、ご自分のことをお名乗りになられました。

 モーゼはシナイの山におき、十戒という教えを、エル・ランティ様からいただきました。

 それが後の世の中になり、いつしか狂った信仰に神が移ってゆき、人間という者は物質に囚われて、形に囚われてゆくものでございます。

 その頃、バールという神を祀っている王が、アハブという王がでられました。

 その時、エル・ランティがわたくしに「そなた、ミカエルよ、済まないが地上界に出て、わたくしの手助けをして欲しい」と仰られたがために、エリヤとして地上界に、わたくしは生まれました。

 その後、イスラエルの地に於いて、またはインドの地に於いて、ギリシャのアポロの教えがいつか、ギリシャから東方に於けるインドに、流れていったのでございます。

 そこにはゴーダマ・シッタルダと申される、光の大大天使が出られておりました。

 わたくしはバフラマンとして、多くの手助けをいたしましたが、ゴーダマ・ブッダは、わたくしがミカエルであるということまでは、お知りに、又はお悟りになることは出来ませんでした。

 しかし、多くの衆生を救い、慈悲?の心を皆に教えていられたのがゴーダマ・ブッダでございます。

 その後、イエス・キリスト、イマネールがイスラエルの地に肉体を持たれた時には、ガブリエルと共に、受胎を告知に参りました。

 それから後、いつしかイエス・キリスト、イマネールさまがお育ちになって、バプテスマのヨハネに会った時に、わたくしはエリヤとして、バプテスマのヨハネの指導霊をしながら、イエス・キリストを洗礼したのでございます』

 「その時のバプテスマのヨハネが、関先生です」(高橋信次先生)

 (関先生:ヨハネさま)
 「わたくしがモーゼさまの教えを正しく人々に伝えるために、人々のその時の汚れた心を清らかにするために、人々に己の心の汚れを落とす道を教えました。
 そうして、人々がその心の汚れを落とし、神のみ声を自らの心の中に受けることが、少しでもできるようにと、慈悲を頼みました。
 その時に、わたくしの元に、偉大なる光の大大天使がおいでになったのです。
 それは、今わたくしたちがイエスとお呼び申し上げているイマネール様でございます。
 わたくしはその方のお心を受けて、その方に心を開かせていただく、素晴らしいその光栄あるお仕事をさせていただきました。
 わたくし如きに、そのような大それたことが出来ようはずはありませんでしたが、わたくしの心の中に、ミカエル様がわたくしの心を??、そして「いまあなたの為すべきはこのことなり。そのことのためにあなたは生まれてあるのだ」と、わたくしを励まして下さいました。
 そしてわたくしは勇気を持ち、神の心を心とし、その心を持ち、神のみ光をイエスさまのみ心にかざして差し上げたのでございます。
 そのとき天より、大いなる清き黄金(こがね)の翼持ち、天使が舞い降りられました。
 それがミカエル様であります。
 そしてそのミカエル様のみ心により、イエスさまの心は開かれ、そしてイエスさまは自らの心の中に、神の子としての確証を掴まれたのでございました」

 (ミカエル様)
 『そなたはあの時はよく己を知り、厳しい生活に耐えてくれました。

 あなたの努力をわたくしたちは、良くやってくれたと、あなたが天上界に帰ってきた時に、苦しい最後を遂げましたが、誉めておりました。

 その後、イエス・キリストの教えは、間違ったものに帰して行きました。

 初め作られた、最後の弟子達によって作られた教会というものは、今の教会のように絢爛豪華でも、形作られたものでもなく、宗教的な存在ではございませんでした。

 初めは馬小屋を与えられ、それを自分が好きなように、又は多くの者が聞きやすいように変えていったものが、教会の始まりでございます。

 その後に、??や??というのが行われ、国の調子の良いように、文章は燃やされ、変えられていったのでございます。

 そしてその後に、15世紀の時にわたくしは、マルティン・ルーテルとしてドイツに生まれました。

 そこで再び、主の教えに帰させるために、エル・ランティがわたくしを、この地上界にお出し下さったのでございます。

 わたくしの弟子というか弟のような存在でございますガブリエルは、カルビンとして肉体を持ちました。

 また同じ頃に、ラファエルという天使がラファエロとしてこの地上界に生まれ、天上界を、絵という技術によって表したのでございます。

 また、インドの釈迦、ゴーダマ・シッタルダが、仏の道というものは、中国に渡り、天台智顗により再び蘇らせたのですが、いつか哲学的、学問的に、中国によって帰されてしまいました。

 そして今、この地に、日本の地に、全てが結集したのでございます。

 ゴーダマ・ブッダが説かれた仏教も、またイエス・キリスト、イマネールが説かれたキリスト教も、再びこの地に合流した訳でございます。

 今、この地に於ける、そなた達の使命というのは、今から何千年も前から、己が望み、この地上界に出てきたということです。

 この日のためにわたくしたちは、いま天上界におり肉体を持っていないわたくしたちの天使の仲間は、基礎を作るために、この地上界に何度も転生輪廻をして参りました。

 しかし、いまこの日が、転生輪廻というよりも、大きな転生輪廻ということを知って欲しいのでございます。

 大きな転生輪廻とは、真のメシアが降臨され、そして再びわたくしたちがこの地に肉体を持って現れた時のように、全てがエデンになるということでございます。

 地獄が無くならなければ、ユートピアとは言えません。

 三次元的に言うユートピアと宇宙観的に言うユートピアでは、ユートピアの大きさが余りにも違いすぎます。

 わたくしたちはこの地に肉体を持ち、選ばれた人間である、この地のために今まで努力してきたということを、あなた方に知って欲しいのでございます。

 それはそれは、長い時を経たものでございます。

 今のわたくしたちが肉体を持ち、1回の転生というのは、わずか百年の年月でございます。

 36億年からなる地球に於いて、その百年というものは、一点にしか過ぎず、夢だということでございます。

 この地球上の全てのものは、粗雑な波動で出来た光であるということです。

 本当の姿は鏡にも映らない自分の心であり、嘘のつけない心であるということです。

 これからも、わたくしたちの転生は続いて行きます。

 しかし今、やり残したことを行ったなら、あなた方は何億年の間に分けて、後悔することになるでしょう(編者注:「しかし今、やり残したことがあったなら、あなた方は何億年の間にかけて、後悔することになるでしょう)の意と思われます)。

 そして、ついてこない者はついてこなくても宜しいです。

 わたくしたち天上界の者は、出来る限りのことを、この地上界に出ているあなた方に、援助して行くつもりでございます。

 時は長く続きます。

 終わりもなければ始めもございません。

 これからも続くこの長い時の中に於き、わたくしたちのこの天上界も、この地上界も、同じだということです。

 どの世界にいようと、一生懸命努力して、そして法灯を心に灯している人間こそ、人を許し、愛し、感謝の心を持っている人間こそ、一番幸せな人間なのでございます。

 わたくしたちは気の遠くなるほど何億年も何兆年も、そして人間の国の言葉でもないほど長い間、主を信じて参りました。

 これからも主を信じてわたくしは生きて行きます。

 ついてくる者はついてきなさい。

 自分の意にそぐわない者は、自分の心に調和することはないのです。去って行きなさい。

 ついてくる者、汝はいま、扉が開かれん。

 そして汝らが犯した罪は、いま許されたということを、わたくしはここに告げ、長い転生輪廻に於けるあなた方の行動を、例え間違った道に進んでも、元の??に基づく生活に戻ることを、わたくしが何億年もの間信じてきたように、これからも信じて行きます』

 (高橋信次先生)「どうも有り難うございました」

 『わたくしはとても幸せでございます。

 自分の使命をここまで到達してきて、尚・・・の間もわたくしは、己の使命に忠実に生きてきたことを誇りに思っております。

 有り難うございました』



 (高橋信次先生)「エー、やがて皆さんの心の中にも、真実の普遍的な灯火が灯されていくでしょう。
 それは、皆さん自身が実行することです。
 そして私たちの本を通し、皆さんは一行一行の、自分の10%の毎日の生活の積み重ね、それによって道は開かれていきます。
 一つ、こういうことを機会にして、もう一度、前進して下さい。
 わたくしは八年間、仏教の道を説いてきました。
 そしていよいよ今度は、イスラエルのイエスさまの説かれた諸々?の修正にかかっております。
 そして私の生きている限り、宗教の間違いを修正して帰らなければなりません。
 それが私の使命です。
 皆さんもどうぞ頑張って、そして自分自身を知って、ついてこれる者はついてきて下さい。
 どうも有り難うございました」

1976-06-06 太陽系の天使達 GLA東北研修会

 (高橋信次先生)
 「・・・ちょうど、東北の研修会では、初めてですか、天上界の、昨日皆さんに説明したミカエルと言われる大天使長、この方にチョット色々なことを話をして貰いたいと思います」


 『わたくしは、ミカエルでございます。

 先程からこちらに来て、皆さまの心の状態を、ここで見ておりました。

 わたくしたちは今、この地上界に肉体を持って生まれました。

 しかし、あなた達は、この地球上に、今世、生まれて出てきたということは、ひとり一人それぞれ、偉大な使命を持って出てきたということを思い起こしなさい。

 あなた達の兄弟である五人の兄弟は、天上の世界に於いて、あなた方一人を送るために、今世のために、長い苦労と汗を流してきました。

 それなのにそなた達は、道を迷い、苦しみ、経済という中で己をなくしたこともあったことと思います。

 しかしあなた達は今、真のメシアの教えを聞き、心を、もう一度あなた達が天上界から出てきたときの心へと、持って行くことが、いま可能になってきました。

 あなた達は選ばれた偉大な生命であり、天上界から送り出されてきた上級霊団であるということを悟りなさい。

 今から七十有余年前、天上の世界に於き、今世、この地球上に生まれる、特に日本に生まれる者を集めて、私はそなた達と約束したはずでございます。

 「この地球上に生まれても、私達は決して神の教えを、真我なる自分を忘れません」、そう、そなた達は、わたくしに誓ってくれた筈でございます。

 時は流れ、そなた達は肉体を持ち、苦しみをも共に持って参りました。
 しかしそなた達は、神の子であるということに自覚せねばなりません。

 一人たりとも、神の子でないという者はいないのです。
 何故なら、そなた達の心には、永遠なる偉大なる仏智があると共に、偉大なる、人を愛せる慈悲と愛の心が、そなた達の胸にあるではないですか。

 その偉大な心を忘れて、何故苦しみを持ち続けたのですか?

 あの時に、あなた達は、一時たりとも、神を疑ってはいなかったではないですか。

 それは、あなた達の長い転生に於ける偉大なる心の産物であるということを、再び心の中に描かなければなりません。
 偉大な神の子であるならば、責任と自覚を持ちなさい。

 責任と自覚は、そなた達の心の中で、今は10%の意識の、確かに苦しい段階でございます。
 100%の意識の、10%しか出ていない意識です。
 それで悟れということは、私達も天上界から見ていて、とても辛く、あなた達よりも苦しんでいるはずでございます。

 しかし、可愛い子供達よ、むげに出すわけにはいきません。
 そのためには、あなた達の守護・指導霊達は、あなた達が悲しめば、その何千倍も共に悲しみ、悦び、悟りの境地に参ったときには、どれだけあなた達より反復して嬉しいかということを、あなた達は今、思い出さなければなりません。

 あなた達はそれぞれ、七つの天使、特に三つの天使、私の子供達、光の子供達のようなラグエルやラファエルやガブリエルや、又その他の天使達の元からそれぞれ出てきた者たちです。
 それぞれ個性を持ち、それぞれ偉大な、一人とて神の光を、天使に持たぬものはありません。
 心偉大、心軽やかな者たちです。

 そしてこの何十億年も何兆億年も過ぎてきた時の中で、私達天上界のものは、エル・ランティを主とするわたくし達は、あなた方がたとえ間違えて、神を裏切ったとしても、一度とて疑ったことはございません。

 いつまでもあなた達が、再び自分の善我なる自分に目覚める時まで、私達はあなた達を見てきました。

 早く善我なる自分を呼び起こして行きなさい。

 道はもう開かれました。

 あなた達の主であられる方は今、偉大なお悟りを開かれたことを知らなければなりません。

 あなた達はその道を、ただ何の苦労もなく歩むだけではありませんか。

 主が通り過ぎられて道が開かれた今、あなた達は何のためにこの地上界に生まれてきたか、今悟らなければ、永久にそなた達は、喰わなければならないということを知らなければなりません。

 時は過ぎて行きます。
 人の心はしかし、意識がどのように変わろうと、あなた達の心は永遠に、神と慈悲と愛で作られているということを知らなければなりません

 肉体は粗悪な光の密集にして、真の肉体ではありません。
 あなた達の真の肉体は目に見えないものであり、目に見えないものこそ、あなた達が今、一番大切にしなければならない、永遠なる生命であるということを自覚せねばなりません。

 今、時は熟しました。
 道は黄金に輝き、多くの者たちが汗を流し、涙を流し、血を流してきました。

 しかし、その慈悲が今再び再現され、真の調和へと目指すときが来たのです。

 それを知ったならば、今からでも遅くはありません。
 今、正法を知ったならば、あなた達は今、目覚めなさい。
 再びこの地上界が、私達が初めてこの地球上に降りたエル・カンタラの時のように、素晴らしい調和されたエデンになることを、わたくしは3億5千年もの間、信じてきました。

 そしてあなた達もそのために再び、この地上界に生まれて行けたということを今、悟らなければなりません。

 主は目覚めました。あなた達も早く目覚めねばなりません。

 焦ることはないのです。己の心に、善我なる自分の心に忠実になることが、あなた達の一番の愛の教えであり、他人に対して、家庭に対して、子供に、夫に、そして妻に対して、母に対し、父に対して寛容な心を、愛の心を持つことが、私達の一番の使命であり、私達自身であり、心の根本であるということを、今知りなさい。

 神はわたくし達に大いなる祝福をしております。
 神はわたくし達の自覚を悦ばれると共に、大いなる、私達の幸せという時間を下さったはずでございます。

 長い年月が過ぎ、気が遠くなるような時を経て、私達は今ここに又集いました。
 ここは天上界ではございません。
 苦しみと汗と水と皆さんの心が分かち合った、善と悪が混在された地上界でございます。

 しかし、この地上界に出てきたからには、己の使命を全うし、今ここで私は、異次元から来た者として、あなた達と語り合えることが出来ることを、嬉しく思います。

 私の子らよ、そしてエルランティ様よ、私達は今、道が解けました。
 それを知ったからには、あなた達は道を、日々精進していくことを、わたくしに誓って下さい。

 長い時を経て、あなた達の心が永遠不滅であるということを、今自覚することを、私に誓って下さい。

 これからも、どんなに苦しいことがあるかも知れません。
 しかしそれは、あなた達ひとり一人が自分で望んで出てきたということを知って、生活して行きなさい。

 今出てきた、あなた達が出てきた環境は、あなた達自身が自分で選んで出てきたということを、出てきたからには、それぞれ素晴らしい自覚と、責任を持って行くということを知らなければなりません。

 あなた達が出てきたそれぞれの天上界の段階では、この地上界に出てこられなく、天上界で待っている者たちが沢山いるのです。
 あなた達は、出てこられただけでも感謝しなければなりません。

 感謝をしたなら先ず、行動をしなさい。
 己に目覚めなさい。
 何も難しいことではないのです。
 再び、善我なる自分の心に正直になれということなのでございます。

 あなた達は今悟ったことを、そしてあなた達ひとり一人が今まで間違えて進んできた道も、再び今まで犯した罪も、あなた達の今流した涙によって、謝罪の気持ちによって、全てあなた達の罪は許されたということを、わたくしはここで告げて帰ります。

 早く己を悟って下さい。ユートピア・仏国土を早く建設して下さい。

 その日が来ることを、一日も早く、天上界代表として、あなた達が再び又この地上界を終えて天上界に帰ってきたときに、両手を広げて待っていて上げられるような私達で待っております。

 早く自覚して下さい。
 天国の門は、あなた達の前で大きく広げてあるのでございます

 (異言)

 本当に有り難うございました。わたくしは幸せに思っております』

(聴講者(講師?)の方からの質問)

 「ミカエル様にチョット、質問をさせていただきます。
 私はご存じの方も多いかと思いますけれども、かつてこの山形の地で、キリスト教の伝道に励んでいましたものでございます。
 今日は、ここにご縁がありまして、キリスト教の教徒の方、また韓国からのキリストのしもべ、クリスチャンと自ら名乗る方もおいでになっておられます。

 それで一つ、どうしても教えていただきたいことを質問させていただきます」

 『あゝ、良いですよ』

 「私達は本当にキリストの教え、不思議を体験し、夫婦して、子供達も連れて、この山形の地でイエスさまのために、死ぬ覚悟でこの地にやって参りました。
 しかし、私の心の中に、どうしても疑問として残っているものがあります。
 それは、多くの救われない、心に救いを感じない人々がおります。
 そこに出掛けまして私達も一生懸命、救いに導きたいと祈りました。
 しかし、私の信仰が不足しているのかも知れませんけれども、いくら祈っても結果が出て参りません。
 例えば先ほど現象で出られた佐藤さんも教会に行って一生懸命イエスさまに祈っておられる方の一人だったんですね。
 例えばイエスさまにお祈りしましょうと言っても、いま苦しんでいる原因がどこにあるかということが分からないかぎり、いくら祈っても救われるものではないということを、先生の教えに触れて分かるわけです。
 イエスさまは決して私を拝め、私を礼拝しなさい、そうすればあなた方は救われるだろうということを、言っていなかったと思うんです。
 私はかつて、自分はそういうことを学ばなかったと思ったんです。
 例えば私は、高橋信次先生を通して救われました。
 もし、高橋先生にお会いすることがなかったならば、私も、私の妻も、恐らく、この地上を居られなくなって去っていったと、思うんです。
 先日、先生にお会いしまして、救われて二年目のお礼を申し上げましたら、もしあのまま走り続けていたら、まずあなたの奥さんはこの地上にもう既にいないでしょうと、そう言われました。
 私はいくら先生から救われてもですね、先生を礼拝の対象として、先生、神様、イエスさまと言ってですね、先生を礼拝の対象には出来ません。
 先生の教えて下さっているところの法に従って、先生を本当に信じるんだったら、先生の教えて下さる法に従って生きていくのが、弟子の本当の姿だと思うんです。
 恐らくイエスさまもですね、イエス・キリストを通して救われたという人たちが、イエス・キリストを礼拝の対象にして拝めとか、あるいは賛美歌をあげよとかですね、そういうことは言いなさらないと思うのです。
 何故か、メシア信仰が何故どこから発生してしまったのか、イエス様にも何かお間違いがあったのか、あるいはモーゼの時代に間違いが既にあったのか、それらについてお教え願いたいと存じます」


 『確かに今のキリスト教というのは、戒律的に、形式的に変化してしまいました。

 モーゼがこの地上界に出ているときには、形式的なものは初めはありませんでしたが、モーゼも肉体を持ってしまえば只の人間でございます。

 サタンという者がこの地上界に生まれておりました。
 地上界にサタンという名前で生まれ、地獄に堕ちて帝王になったと、エルランティが語られましたが、正にその通りでございます。

 そのサタンは、あたかもモーゼに神の声の如く、現象を見せ、声を聞かせ、また祭り上げろと、神がそのようなことを申しはしないのに、自分自身でそのように、再び肉体的な、形的な、というものをサタンが持って行ったのでございます。

 それをモーゼは肉体を持っているばかりに、眼耳鼻舌身意によって、それを信じてしまいました。

 それが、初めの、そのようなものを祀った根源でございました。

 それまでも、何人かそのようなサタンの言葉に惑わされて、モノを祀ることはございました。

 昔、私たちがエル・カンタラの土地に円盤を持って着陸したときには、本当に美しい、綠にあふれる地球でございました。

 私たちはこの地球上に初めて一歩足を踏み出したときに、地球の美しさに、新しく躍動する生命に感動いたしました。地球の鼓動が、足から、手から、私たちの身体全体から脈々と伝わってきたのでございます。

 その頃は、私たちは、そのような形式的、お祭り的なモノは、何一つ行ってはおりませんでした。ただ神を信じ、主を信じ、そして己を信じて日々、暮らしておりました。

 それが、私たちが天上界に帰り、幾世もの人々が何世も何世も繰り返して行く内に、段々サタンの力が強くなり、肉体的な快楽や物質的快楽や、快楽へと、足ることを知らない欲望へと、走るようになったのでございます。

 そのために神は、または我らのエルランティが、この地上界に天変地変を幾度か起こされました。

 しかし人々は、また一旦新しく己を悟ると、再び幾度かその気持ちは失われ、元の木阿弥に戻ってしまうのでございます。

 イエス・キリストはこの地上界に生まれる前、多くの予言者がこの地上界に出ました。

 モーゼが間違った教えを一部したところを、又はその教えが後に変えられてしまったときに、エリア、わたくしがエリアとしてこの地上界に生まれたときにも、私はモノを祀れということは言いませんでした。

 そして、エルジオ、また多くの予言者達がこの地上界に出る内に、予言者は、次に出る方を、この地球上に救い主、メシアが出ることを予言しなければ、自分の使命を果たしたとは言えません。

 そのために、イエス・キリスト、イマヌエルがこの地上に出ることを予言いたしました。

 それがいつの間にか、誰が教えたか、メシア、そのメシア自体を人々はまた、目によって、物質によって、肉によって、囚われた捉え方をして、あたかもイエス・キリストが神であるかのように、モーゼが神であるかのように、ブッダが神の如くに思ってしまったのです。

 人間は、五官、煩悩、持っていますから、その五官によって苦しみも多く生じるはずです。
 わたくしはその目によって、イエス・キリストが神ではないかと、彼の説いた教えが余りにも素晴らしいために、彼は神ではないかと、後の者たちは己の10%の表面意識、偉大なる仏智があることを忘れて、もう天上の世界とは全くコンタクトできなくなって、盲目の人間が、それらに囚われてしまったのでございます。

 昔は教会もございませんでした。そなたもよく知っているはずでございます。
 フィラデルフィアの教会は、初めてそなたがパウロによって作ったときには、教会というようなものではなかったはずです。

 フィラデルフィアにおける、馬小屋、大地主の馬小屋の中を限って、そこで人々に説法したはずでございます。

 そのようにして、初めは形ではなかったのです。
 教会などというものはなかったのです。
 それが後に人々は、肉体という物質を持ってしまったために、物質を求めます。
 さわれないモノはないと思います。

 教会というモノはさわれます。
 物質です。
 肉体と同じ物質です。

 物質の目には、10%の目には、真の姿は映らなくなってしまったということです。

 いま多くキリスト者は、苦しんでいるかも知れません。
 苦しんでいることも、長い年月に於いて悲しみ、または、多くの者が犠牲になっていったということも私は、ひとり一人よく知っております。

 しかし、その者たちは、地球に於いて不幸せであったかも知れません。
 しかし努力をし、心自体が正常な者ならば、澄んでいる者ならば、私は天上界へと、全て、皆幸せな天上界へと連れてきたはずでございます。

 人々よ、良く聞きなさい。

 この地上界だけが全てではないのです。
 あなた達の肉体は、果たして何十年もつものでしょうか?

 100年もてばいいとこです。
 しかし、100年もったら、身体はもう使いモノにはなりません。

 その使いモノにはならない、永遠なモノではない目で、口で、鼻で、感じているモノです。
 何が確定されるモノでしょうか?
 人間は肉体を持ってから、物質を欲しがり、欲するのです。

 しかし、そなた達の偉大なる心は、偉大なる90%仏智は、あなた達の見えない所に存在しているのでございます。

 教会でいくら今、拝んでも、一生懸命唱えても、それは効き目はございません。

 どこでも同じ、家(うち)でも一緒です。今ここでも同じです。今あなた達は、間違っていた自分に気付き、反省し、悔い改めたときに、そこが、あなた達の心が教会であるということです。

 形式的なモノは、イエス・キリストの時代に、果たして教会がありましたか?
それは宗教でありましたか?
 釈迦が説いた教えは、そのときに宗教と言われたものでしたか? 

 いいえ、違います。
 それは、偉大なる心の教えという、皆の心の中に蓄積された愛と慈悲の光の他、何でもなかった、光であったということです。

 それがとどめてあるのは、どんな素晴らしい聖書ではなく、あなた達の善我なる、90%偉大な智慧の中に、克明に記されているはずでございます。

 聖書が全て正しいとは限りません。
 後の世に、どのようにも自分に調子のいいように、権力者の上手い口車に乗せて変えられてしまいました。

 そして、そこにいる講師たちよ、そなた達もいま再び、己の使命を悟り、出てきたはずです。
 それを早く、正しい元のモノに戻すように努力して下さい。
 それがあなた達の使命です。

 また、ここにいる多くの者たちよ、そなた達もその、そなた達も偉大な心を持ち、そなた達の心が、そなた達の90%が聖書であり、仏典であるということを知らなければならないのです。

 お寺に行って拝むことや、教会に行って手を合わせ祈ることが、神への本当の本当の志ではないのです。

 日々いつも神を信じ主を信じること、法に従うことが、物質によって物を作るのではなく、肉体と同じモノを作るのではなく、本当の光子体、光として物を見て下さい。

 偉大な魂達よ、あなた達の心には、それが分かるはずだと私は信じております。

 宜しいですか?』

 「有り難うございました」

 『幸せの道は、あなた達の目の前で、もう用意されて、絨毯まで、黄金の道は敷かれているのです。
 それを前へ踏み出すか、そこで立ち止まるか、足踏みするか、遠ざかるかは、あなた達の心にかかっているということです。

 何人(なんぴと)も、あなた達の心を侵すことは出来ないのです。

 門は開かれました。いざ、進まん。

 そなた達の心がその道を通して天上へ繋がるような光となりて、全ての人民が一つの光となり、一つの方向を向いて進んで行くことを、私はあなた達の中で、それが出来ることを信じております』


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