この人生における大旅行である、あの世への旅立ちの計画を誰も立てようとしない

私たちは必ず、あの世へ旅立ちます

 先月の投稿に書きましたが、私と一年近く一緒に過ごした小さな亀があの世に旅立ちました(一匹の亀が死んでしまいました・・・無情と無常)。

 この亀とは数奇な巡り合わせで、昨年の初夏、私の家の庭の小さな池に、ヒョッコリ現れたのであります。この池には金魚を飼っていたのですが、その金魚と突然の同居を始めたのです。

 近くに川や池はないし、ご近所で飼われていた亀が逃げ出してきたのかもしれません。身体の大きさからして、恐らくその年に生まれたばかりの亀ではないかと思われました。

 何となく不思議な縁を感じる亀であった所為か、あの世への旅立ちにも、心に感じるものがありました。

 ペットのあの世への旅立ちは、ワンちゃんもそうでした。このワンちゃんは、前にも書きましたが、死後硬直が全く起こらず、生きているときそのままで、「おいで!」と声を掛けたら起き上がってきそうな気になるくらいでした。

 私たちは早い遅いにかかわらず、必ずあの世に旅立ちます。いくら遅くても精々100歳。

あの世への旅立ちの計画を立てる人は、まず居ない

 私たちは、生きているときは、色んなところに旅をします。今、義母を近くの温泉宿にでも連れて行って上げようかと、計画を練っています。

 先ず、泊まるところはどんな種類の温泉であって、間取りは十分に広いか、食べ物はどんな料理が出されるのか、交通手段は車にしようとか、行きの観光地はどこにしようとか、帰りはどこに寄って帰ってこようかとか、微に入り、細に入り調べて、そして最低限、泊まるところだけは予約をしてから出発します。

 希に、行き当たりばったりが好きな方もおられるようですが・・・。

 過去に行ったことのあるところであれば、大体のことが分かっていますので、ポイントさえ押さえれば計画は立てやすいのですが、行ったことのないところは、やはり詳細に、一カ所からの情報だけでなく、他からの情報も参考にするなど、かなりの時間を費やすことでしょう。

 ところが人生最後で最大の大旅行とも言うべきあの世への旅立ちは、皆さん、ほとんど下調べもせず、旅立たれます。行き着くところの予約もせず、どんなところへ行くのか調べもせず、どんな交通手段で行くのかも考えず、100%行き当たりばったりで出発されます。

 どうしてなんでしょう?

私の弟は、死んだら終わりと思っている

死んだら終わりだから、何も調べる必要はないということなんでしょうか?

 聞いても誰も教えてくれないと思っているのでしょうか?

 実際問題として、調べようと思われたり、実際に調べたり、人様に聞いたり、お坊さんに尋ねたり、そんな素振りすら見せられない方が、私の周りにも多いようです。

 死んだら終わりだと思っている人が多いから、人に聞くことが恥ずかしいのでしょうか? 人生の一大事だというのに・・・。

 私の弟は、人間は死んだら終わりだと思っているようです。

 実母が死んだとき、私は次のように言いました。
 「もし、あの世が無くて、本当に死んだら終わりなら、何もないわけだから何の問題もないよね」と。
 「でももし、あの世があったら、困ったことになってしまうよね。何の準備もしていないわけだから、何をしたらいいのか、どうしたらいいのか、何も分からないで、戸惑ってしまうよね」、と。

 弟は無言のままでしたが、恐らく今も、死んだら「な~んもない」と思っていることでしょう。

死んだらどうなるのか?

 高橋信次先生は、次のようにお教え下さっています。

 『死は肉体舟が人生航路に耐えられなくなった時であり、・・・船頭を失った肉体舟は次第に朽ち果て、大自然界に還っていく。
 一方、肉体を離れた魂は、四次元の乗り舟である光子体ともいうべき精妙なボディーを持っている。
 生前における私達の原子肉体は、この光子体と共に生活しているのであるから、死は両者の訣別といってもいいわけだ』

 さー、大変です。

 肉体と決別してしまった自分は、動かなくなった肉体のすぐ傍で、キット途方に暮れることでしょう。何が起こっているのかも分からず、混乱しているかもしれませんね。

 でも、その日の晩にはもう坊さんが来ます。祭壇がありますので、自分は死んだのかと思うのでしょうか?

 翌日は、葬儀です。そして火葬場で、動かなくなってしまった肉体の焼却作業が始まってしまいます。肉体と離れても意識(魂)は、肉体と共にあったときと同じ状態の意識でありますから、焼却されると熱いと思ってしまうそうです。

 でも、意識(魂)は燃えませんし、死にませんから、火葬場に居続け、遺骨が出てくるときに一緒に出てくるのでしょうか? この頃になると、混乱の極に陥っているかもしれませんね? 自分の身体が無くなってしまった、でも自分はここに生きている、親に、子に、兄弟に話しかけても誰も振り向いてくれません。

 ちょっと落ち着いて、どうも死んでしまったようだと思っても、死んだらどうしたらいいのか、どこへ行ったらいいのか、何も考えたり準備してこなかったのですから、どうしていいか分からずに、俗に言う幽霊(地獄霊、地縛霊)になってしまうそうです。

 人間として生まれた限りは、どんな人でも必ず死がやってきます。アメリカの大統領であろうと、日本の天皇陛下だろうと、泥棒であろうと乞食であろうと。どんな人であろうとも、この摂理から逸脱することは不可能であります。

 そうであるなら、年が行っているいないにかかわらず、死とは何か? 否応なく旅立ちが始まってしまう死の瞬間までに、その死とは何かということぐらいは最低限、知識として理解を深めておかないと、旅立ちは明日かもしれません。

 旅が始まったら、もう調べることは出来ません。

 もし、正しい知識が得られたならば、自ずと、旅の事前準備としての、この人生で為さねばならないことも見えてくることでしょう。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする