ゴミ拾いの途中で出会った思いがけない猫の死骸
前にも書いたと思いますが、月に何日か、早朝にゴミ拾いをしております。1月中旬に行ったゴミ拾いは、家から駅に続く公園の中の道でした。
スーパーの買い物袋の大き目ぐらいのポリ袋を持って出かけるのですが、日によって違いますが、半分より多めからほぼ一杯という感じの日が続いています。
一回り小さな袋はビン、缶、ペットボトル用の袋ですが、これも大体一杯近くになります。
この日は途中で、何と猫の死骸に出会いました。体長50cmぐらい、最初は寝ているのかなと思いましたが、懐中電灯で照らしてもビクともしないので、ゴミハサミで少し突くと、完全に硬直しているのが感じられました。
本来、野生動物は、自分の死に場所というか、死を自覚すると自分でその場所に赴くそうです。そしてこの考えは私の私見ですが、死後硬直はしないだろうと思っています。死後硬直は、人間世界特有のものではないかと思っています。
人間に飼われていた動物たちは、人間の意識の影響をもろに受けてしまうようです。従って、飼われていた人間の意識のそのままに、死後硬直しない意識レベルの人に飼われていたペットは死後硬直をせず、死後硬直する意識レベルの人に飼われていたペットは死後硬直してしまうようです。だから、ほとんどのペットは死後硬直をしてしまうようです。
死後硬直する、しないについて
高橋信次先生は、生まれ変わりや魂の存在を信じない人は、その魂が肉体に執着する、その姿が死後硬直で、肉体は魂の乗り舟だと悟っている人は肉体に執着しないので、死後硬直は起こらないと、お教え下さっています。医者や生物学者が色んな説で、死後硬直しない理由を述べていますが、普遍的な原因を見つけることは出来ていないようです。と言うより、物理的理由ではないので、発見することは出来ないのではないでしょうか。
私は過去に、犬を飼っておりました。その頃から高橋信次先生の教えを学び、人間の生き方は斯くあるべしと、信じ切っておりました。毎日ご本を声を出して読むそのすぐ脇に、この愛犬がじっと座っておりました。
何年か、そのような状況が続いた後にこの愛犬は死を迎えました。悲しいことは言うまでもありませんでしたが、この愛犬が、霊園の担当の方が驚くぐらいに、全く硬直をせず、ただ寝ているだけではないかと思い違えるほど、フニャフニャでしたので、この犬も来世があることを知ってと言うべきか、髙橋信次先生の教えを受けてと言うべきか、何れにしても肉体に執着せずにあの世に帰って行ったのだなと、嬉しく思わせていただきました。
先述の公園道に捨てられていた猫の死骸は、役場に連絡すれば回収に来てくれるであろうことは予想していましたが、私はこの猫の死骸を自分で包装してゴミ捨て場に持って行ってあげようと思いました。
猫の死骸の処理
私がお慕い申し上げている先生は、『道路のゴミ拾いをしているときに、誰かがポイとゴミを捨てたら、「有り難う御座います」と拾って上げたらいいんです』とお教え下さっています。また、別の先生からは、『自分の目の前にゴミがあったら、「私に捨ててちょうだいということね」と、拾って上げたらいいんです』とお教えいただいております。
この猫は、どんな経緯でここに捨てられていたのか、推測の域を出ませんが、3枚ほどのポリ袋を敷いた上に捨てられていたことから、飼い猫か、野良猫ながらも親しい人がいたので、その人の近くで亡くなったのだろうと思われます。
何れにしましても、信頼していた人に捨てられた猫も哀れではありますが、この猫を捨ててしまった人の心根を考えると、この人も人の心を忘れてしまった哀れな人と、思わざるを得ませんでした。
実は長年ゴミ拾いのようなことをしていますと、猫の死骸に出会うことがたびたびあります。犬の死骸は一度として出会いはありませんでしたが、猫の死骸は今回が恐らく4~5回目ではないかという気がしております。そういう意味では、犬に比べると、猫はまだまだ人間との絆が弱いのかもしれませんね?
この猫を、私が持っている予備のビニール袋に入れようとしましたが、ビニール袋は精々30cmくらい。取っ手の部分を入れても40cm程度。猫は体長が50cmぐらいで、硬直して後ろ足を後に伸ばしているので、55cmか60cm位になり、ビニール袋に入れると上半身が袋から飛び出すことになってしまいます。
仕方がないので、猫の下に敷いてあったビニール袋を頭から被せ、一応、全身が隠れるようにしましたが、乱暴に扱うと頭が飛び出しそうなので、そうろっと近くのマンションのゴミ捨て場に運びました。
その後、予定のゴミ拾いをしていると、『あのままでは駄目だ。ゴミ回収の人が取っ手を持つと、猫の頭が露出してしまうだろう。それでも回収をしてくれると思うが、キチンと分からないようにしてあげないと駄目だ』という思いがわき上がってきました。
過去にも、ある道で猫の死骸に出会ったとき、どうしようと考えあぐねて周囲を見回すと、道路脇に毛布が捨ててあります。この毛布に包んで捨てて上げてと言わんばかりに、毛布が語りかけてくるようでした。当然、その毛布にぐるぐる巻きにして、近くの大きな共同ゴミ箱に入れました。
そういう経験があったので、この猫を入れる袋か何かがあるはずだと信じて、ゴミ拾いを続けました。復路で、猫を捨てたゴミ捨て場に戻ってきましたが、道端には、適当な袋のようなものは落ちていたりすることはありませんでした。
キチンと処理をしてあげる道具が準備されているはずと信じて
どうしたんだろう、私の心が見つけることが出来ないレベルなんだろうか、と思いながら、ゴミ捨て場の中に捨ててあるゴミ袋に一緒に入れることが出来るかもしれないと思い、ゴミ捨て場のドアを開けて調べてみることにしました。
しかし、残念ながら、二つ三つ捨ててあるゴミ袋はどれも一杯で、大きな猫の死骸を同居させる余裕はとてもないように思えました。
猫の死骸を入れる大きな袋を取りに家まで帰るには10分くらいかかる、往復で20分、出来るならそんなことはしたくないなと思いあぐねているとき、ふとそのゴミ捨て場の片隅に小さなポリ袋が吊り下げてあることに気がつきました。
ひょっとすると、この中に大きなゴミ袋が入っているのでは、という気がして興奮して開けると、まさしく、大きな黒いゴミ袋が数枚、入っていました。
これぞお導きと、感謝の心で、小さなポリ袋に包まれた猫をそのまま大きなポリ袋に入れました。ついでに、近くにあった小さなゴミ袋も、カモフラージュのために、一緒に入れておきました。ゴミ収集員の方に気づかれずに運ばれることが、最善と考えたからです。
もしこの大きな袋が見つからなかったら、忸怩たる思いかもしれませんが、自宅まで取りに帰ったことでしょう。それも、『自己中心に考えずに、猫のため、ゴミ収集員のためにという思いで事が運べるか?』という、天のお試しかもしれないなどと思いながら、家までの道を往復したことでしょう。
でも、このようなとき、即ち正しい思い、愛のある思いの時には必ず、天のお導きがあるという思いを更に強く持たせていただいた出来事でありました。
関係した全ての方、全てのもの達に感謝、です。