物にも意識がある
草花に愛情を掛けた育て方をすれば、生き生きと大輪の花を咲かせることは、良く知られている事実でありましょう。でもそれは、草花、植物だけでしょうか? 物言わぬ、見た目には成長もしない“物たち”には意識はないのでしょうか?
高橋信次先生は生命を三つに分けておられます。一つは動的生命、これは言うまでもなく動物であります。二つ目は準動的生命としての植物。そして最後が、不動的生命としての鉱物を示され、「全ての物に意識がある」とお教え下さっています。動植物だけでなく、母なる地球という大地にも、家にも、鉛筆一本にも、水の一滴にも、そしてお金にも意識があるとお教え下さっています。
意識があるということは当然、私たちと同じように、好き・嫌い、合う・合わないという思いを持っているということになります。私たちが自分に合う人と一緒に行動するように、気心の合う人同士が自然と寄り集まるように、お金もお金に合う人の所に自ずと集まっていくようです。類は友を呼ぶ、これは大自然の法則で曲げることは出来ないものでしょう。
さて、私たちは普段、お金に対してどんな思いを放っているでしょうか?
前回も書きましたが、精神世界に足を踏み入れられた方は、一種独特の思いを持たれている方も多いようです。
「贅沢をしなくても食べて行けたらいい」とか、「生活に困らない程度にあればいい」とか、いつの時代かに地球がユートピアになったときは物々交換になると聞かされている人は「早く物々交換の時代になったらいいのに」とか、お金の支払いに苦しんでいる方は「早くお金のない時代になればいいのに」などと思っておられる方もおられるようです。
このような思いには、お金に対する感謝は全く、ありません。無意識にこのようなことを思い描いているのでしょうが、お金に対する愛情のひとかけらもありません。意識あるお金があなたに好意を持ち、貴方に近寄っていきたいとは、微塵も思うことはないでしょう。
もし貴方が今、お金に困っているとしたら、それは誰のせいでしょうか?
もし貴方が今、お金に困っているとしたら・・・、お金が貴方に集まって来ないのはお金のせいですか? 社会のシステムのせいですか? 会社のせいですか? 経済のせいですか? いいえ、一切は自分、私たち一人一人の発する思いが原因なのです。
感謝するどころか、お金の存在を否定したり、嫌いだ嫌いだとエネルギーを発しているのですから、そういう人の所にお金が集うはずがありません。
私たちの住む家、毎日の食事、今着ている下着、洋服、その他の生活必需品など、全てはお金が形を変えた物です。全て全て、無かったら困る物ばかりです。家に感謝する方はいらっしゃるでしょう。食事や着る物に感謝する方もいらっしゃるでしょう。でもそれらを手に入れるために用いたお金、一番の根本になったお金に感謝しておられる方は、どれだけいらっしゃるでしょうか?
「よし、これから感謝しよう」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、いくら口先で感謝しても、それだけで集まってくるものではありません。意識の世界ですから、表面だけ繕っても、何の意味もないことはお分かりでしょう?
お金への思いを変える
考えてみて下さい。例えば、あなたに嫌われて嫌われていた方が、あなたにとってかけがえのない人だと分かったとき、あなたはどういう態度を取るでしょうか? 口先の感謝で終わるでしょうか? それとも、今までの思いを反省し、許しを乞い、そしてその上で感謝の言葉、愛の言葉を心から発するでしょうか?
あなたがお金が大事だと思われるなら、お金を物だ(意識など持っているはずがない)などと思わず、自分の愛する子供のように、支払をするときには学校へ送り出す子供のように「行ってらっしゃい」と、そしてお金が入ってきたときやおつりを貰ったときは、学校から帰ってきた子供のように「お帰り」と、心の中で言葉を掛ける、そのような思いこそが意識を持ったお金に通じるものでありましょう。
いたずらにお金がない、少ない等という否定的な言葉を発していないか、そのような言葉は間違いなく実現力を持っており、今のお金がない状態を継続する大きな力となります。あなたが望もうと、望まぬまいと、です。これが法則というものです。
自分が常々発している言葉を見つめ、特に否定的言葉を感謝の思い、愛の言葉に代えていくことによって、貴方とお金の関係は、本当の親子のように、仲の良い関係になっていくことでしょう。
それがあなたとお金を引き合わせる第一歩ではないでしょうか?