あけましておめでとうございます。遅くなりましたが、まだ、松の内ということでお許しいただきたいと存じます。
正月はお年玉の時期で、たくさんの方がお年玉をお受け取りになったり、お年玉を差し上げられたことと存じます。そういう意味合いからして、新年は、「お金」・・・「お金さん」がよく動く時期でもありますね。
今月は、その「お金さん」について、教えていただいたことを書かせていただきます。3回ぐらいの連載にして、1月中に完結を迎えたいと思っております。
さて、私たち、精神世界に足を踏み入れている人の多くは、お金に対してちょっと特殊な思いを持っておられる方が多いのではないでしょうか? お金の亡者にはとてもなれないけれど、お金に対する執着もなかなか手放せない、そんな人が多いのではないでしょうか?
高橋信次先生はご本の中で、次のようにお説き下さっています。
『ところで、ときおり、こういう質問をうけます。
「思うことは現われる、念ずるとその通りになるというが、私は金が欲しいと日頃から思い念じているが、さっぱり、金が貯まらない、これはどういうわけか」というのです。
お金が欲しい、金を貯めたいという欲望は大抵の人がそれを思い念じています。念は人によって強弱がありますが、みんなが同じ物を念じますと、その念はぶつかり合い、交錯してゆきます。そうして、やがて交錯した念は、強い念に弱い念が吸収され、強く念じた人に集まります。つまり、それを望む念の強いところに金は集まってくることになります』
このご説明を読みますと、心優しい私たち、特に精神世界に足を踏み入れている私たちには、とても他人様を押しのけてでもお金を我が物にしたいなどというような、強い念を持つことは出来そうにありません。この世の経済界は弱肉強食の世界であり、まさしく他社を蹴落として自分の会社が優位に立とうと、しのぎを削っている世界でありましょう。このような世界に生きている人々の念は、強いというよりは熾烈なものと言うことが出来るでしょう。
しかし論理的に考えれば、他人様を押しのけてなどという思いを持たなくても、「お金が欲しい」という強い念を持つことは出来るはずですが、そこまで心のコントロールが出来るのであれば、お金が欲しいなどという強い思いを持つ必要もなく、悠然とこの世の人生を楽しんでいることでしょう。
では、お金は、強い念を持たない限り、自分には集まってこないのでしょうか?
確かに念は物を引き寄せるでしょう。しかし、私たちはマイクロソフトにいたビル・ゲイツ氏やソフトバンクの孫社長のような何十億、何百億というような大きなお金を欲しているわけではありません。こういうお金は、確かに念の強さが引きつけるしかないのかもしれません。
でも、普通に生活をして、月末や月初の支払に困らない程度のお金、貯金も少しは出来て、老後もそんなに心配しなくても良いくらいのお金が欲しいときは、きっと、普段の思い、即ち、自分がどんな思いを発しているか、どんな言葉を発しているか、が関係しているのではないでしょうか?
お金に対してどんな思いを持っているのか、お金が巡って来やすい思いを持っているか、お金の巡りをストップさせるような思いを持っていないか、そんなことに係っているのではないでしょうか。
高橋信次先生は、『偶然というものは一つとしてない。全て原因があるから、今の結果が出ているのである。そしてその原因は想念という思いである』とお教えいただいております。そういうことから考えますと、もし今、お金が不足して困っていたり、いつもいつもお金で苦労しているということは、その原因は日々発している想念・思いによって自分が創っているということになります。
先月のブログで、時間に縛られるということを書きましたが、止観、とどまって自分の思いを観ることが出来ない(orしない)ので、縛られていることの自覚もないのが我々人間の哀れさかもしれませんが、このお金に関しても、止観が出来ていないから、普段、自分がお金に対してどんな思いを出しているのか、お金の出入りに対してどんな言葉を発しているのか、全くと言っていいほど、自覚していないのではないでしょうか?
次回以降は、お金にも意識があるということ、お金はどんな性格か、お金はどんな人が好きか等、また、教えていただいたことを思いつくままに書いてみたいと思います。