石油ストーブの芯が上がらないので、新品を購入したが、その芯も上がらなくなってしまった

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寒い最中に、石油ストーブが故障したので、新品を購入したが、初期不良か?

 今月初めに、古い石油ストーブが故障したので、新品を購入しました。ファンヒーターは、古い灯油を使うと目詰まりを起こしてしまうので、駄目ということは認識していましたが、普通の反射式石油ストーブは、芯で灯油を吸い上げるので、灯油の新旧は余り関係ないと思っていました。

 去年の残りの灯油があったので、それを使用して、暖を取っていましたが、数日して、芯の上下が極端に硬くなり、ついに点火の芯を上に上げることが出来ず、点火が出来なくなってしまいました。

 これはストーブの初期不良だろう、購入した店に持って行こうと思いました。

 暫くすると、ふと、取扱説明書に、まさか、古い灯油は不可とは書いてないだろうな・・・という気がしましたので、詳しく読むと、バッチリと書いてありました。

 持って行ったときお店から、「古い灯油は使ってませんね?」と聞かれたら、『使ってません』と答えようと、自分中心の、お金第一の考えが浮かんできます。お店のことなど全く考えていません。

 心が悶々としています。思いが右に左に、千々に乱れます。
 やっと善なる心が決断をします、「イヤ、それは駄目だ」と。

 『じゃあ、聞かれなかったら何も話さないでいよう。もしも、そう聞かれたら、プイと気分を害したように、心外であると言わんばかりにストーブを持って引き上げよう』と、自我意識がたたみかけます。

 「そんなびくびくするような心で、自分の心が落ち着く筈がないでしょう?」と、善なる心も負けてはいません。

 自我が苦渋の決断をします。『じゃあ、仕様がないね。古い灯油を使ってしまいました。何とか直りますでしょうか?」と、真っ正直に話をしようか、と。

 「それで決まりだね」と、善意識も納得をしました。

この故障、自分で直せないのかな?

 暫くすると、ふと、「自分で直せないの?」という思いが湧き上がってきました。

 説明書を詳細に読むと、「古い灯油を使ってしまい、芯が上がらないようになったときは、古い灯油を抜き取り、新しい灯油で2~3回洗浄し、空だきをして下さい」と書いてある。

 これを自分でやってみようという思いになり、説明書に従って、古い灯油を抜いて洗浄をしました。

 次は空だきですが、芯が上がらないんです。説明書を良く読むと、「コールタール等が付着して芯の上下が重くなったり、上がらなくなることがある」と書いてあります。

 コールタールが付着しているのなら、カッターナイフで芯と芯の外枠の間の付着を解消すればいいのではないかというアイディアが湧き、上からのぞき込むと、芯と外枠がへばり付いているような感じです。

 「よし、これならカッターナイフで剥がせるはずだ」と、外周にカッターナイフを差し込みました。案の定、2~3カ所が強くくっついているところがありましたが、剥がすとスッとナイフが入るようになりました。

 そうしますと簡単に芯を点火準備の状態に引き上げることが出来るようになりました。これで点火が出来ます。タンクの灯油をごく少量にして、点火。

 消えるまで数十分。消えてから芯の上下を試すと、購入初期の感じが回復しました。

 芯の上からのぞき込むと、芯の周囲や上に白い燃えかすのような物が見えました。これが芯の上下を妨げていた正体(コールタールや不純物)だったのだと思いました。念のため、もう一回、空だきを実施しました。

 今度は灯油をタンク一杯にして点火。購入初期のイメージが完全に回復しました。

 これにて一件落着。大岡越前守も真っ青なぐらい見事に解決しました。というのは、表面だけの話。心の中は、『自分の心は、まだまだこんなレベルなんだ』という慚愧の思いでいっぱいです。

髙橋信次先生のみ教えは・・・

 高橋信次先生は、次のようにお教え下さっています。

 『私たちは普通、他人の問題については比較的正確な判断が下せます。ところが、自分の問題となり、利害関係が伴ってくると、是非の判断がつかなくなり、しばしば悔いが残るような結果になるようです。

 これは、自分の問題になると、知らぬ間に自己保存が働き、我欲に左右されるからです。正しい判断、正しい見方は、自分を切り離し、いわば第三者の立場でモノを見ることから始まるのです』

 恐らく人様からこんな問題の相談を受けると、「そんなズッコイことをしては駄目!」と、たしなめることは目に見えていますのに、まだまだ自分の利害が絡んでくると、正しくない思いが公然と大手を振ってのさばり出します。

 でも、その誘惑を退け、自分の心を正しい方向に持って行ったとき、天からのお導き(今回の場合は自力で修理が出来るというアイディアをいただいたこと)をいただけるということ、それを実感させていただいたように思いました。

 感謝以外、何ものもありません。有り難うございます。

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