求めよ、さらば与えられん・・・求めて与えられるのは、意識の世界でのこと。それを如何に現実世界に持ち来すか?・・・フリマでの出来事を通じて、「与えられる」プロセスについての一考察

聖書の言葉、高橋信次先生のお言葉

 聖書の一節に、有名な下記の言葉があります。

 『求めよ、さらば与えられん。尋ねよ、さらば見出さん。門を叩け、さらば開かれん。
 ・・・あなたがたのうちで、自分の子がパンを求めるのに、石を与える者があろうか。?
 魚を求めるのに、へびを与える者があろうか?
 このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天にいますあなたがたの父はなおさら、求めてくる者に良いものを下さらないことがあろうか?
 だから、何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ』

 この文言は、聖書のマタイ伝に書かれています。

 ルカ伝には、魚に対しての蛇、卵に対してのサソリと、少し異なった例えとして書かれていますが、言わんとする意味は同じことでありましょう。

 最後の一文、『だから、何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ』は、ルカ伝にはありませんが、天の父から望むものをいただく為の人間の在り方が書かれているのでしょうが、あまりに広範(自分がして欲しいことを人にせよ)で、具体的に何をどうすればいいのかが、良く理解しにくい面があります。

 この、『求めよ、さらば、与えられん』というお言葉に関しては、キリスト教会の方を初め、たくさんの方がネット上でも色んな見解を述べておられますが、残念ながら、心に響くものは少ないような気がします。

 高橋信次先生は、次のように言っておられます。
 『神はいつでも人類に全て平等に慈愛の光を与えているにもかかわらず、それを受け取らないのは、その人々の心と行いの不調和にあるのです』

 このお言葉を逆に考えますと、我々の心と行いを調和の方向に持っていけば、神は望むものをお与え下さる、と。

 いえ、そうではないでしょう。

 既にお与え下さっている心の世界、意識の世界のモノを、高橋信次先生は、心と行いを調和させれば、その全てのモノを、この現象世界のモノとして受け取ることが出来る、と仰っておられるのだと理解いたしました。

メルカリというフリマでのある体験

 ヤフオクで代表されるオークションではなく、最近はネット上でのフリーマーケットが盛況なようです。

 その先鞭をつけたのがメルカリというサイトで、後を追うように楽天がラクマというフリーマーケットを開いているようです。

 ヤフオクも、オークションの陰に隠れていますが、オークションに併設してフリマを開催しています。

 更には、ジモティという地元で直接会って売買するサイトや、他にももっとあるのかも知れません。

 フリーマーケットは、オークションのように〆切まで待たなくても良いし、入札=落札(即決)なので、欲しいと思ったらすぐに購入できるし、サイトによっては値切り交渉も出来るようになっているようです。

 私は先日の『タブレットとハンドセット(SBH52)で、電話、メール、ラインを使いこなす一つの方法』という記事で書きましたハンドセットのバッテリーが、三日ぐらいもつときがあったり、一日でなくなってしまったりと不安定なため、ハンドセット2台持ちを画策しました。

 上述したサイトの全てを調べ、SBH52とその上位機種のSBH54を探しました。

 すると、メルカリで、約半年前の出品のSBH54が、5,500円で見つかりました。
 (ヤフーオークションは、期限が最長一週間で、入札がない時は、三回まで自動再出品ができるようになっていますが、メルカリは、出品者が削除しない限り、永遠に出品したままになるようです)

 2台持ちなので、高い買い物をするつもりはなく、少々傷物であっても、安い物を買うつもりでいましたので、この5,500円の商品を、かなり乱暴な価格設定でしたが、長い間塩漬けにされているようなので、3,000円にしてくれないかとコメントを書き込みました。

 この出品者は、半年も前の出品なので、余り注意を向けなかったのか、何日も返答がありませんでした。

 先ず断られるだろうという気持ちはあったのですが、ひょっとするとという淡い期待もあったので、毎日回答がないかを注意しました。

 六日目、やっと、コメントが書き込まれていました。『3,300円で如何ですか?』と。

 「やったー」と思い、早速、購入手続きをしようと思いましたら、“SOLD(売り切れ)”となっているではありませんか!! そして金額は、5,500円ではなく、3,300円になっているではありませんか!!

事実の確認をする

 私が価格交渉をして、私がその値段に合意すれば、私が購入して然るべきだという思いがあり、このSOLDとはどういうことなんだろうと、事実確認をしようと思いました。

 しかし乍ら、当該商品を見ますと、「売り切れのため、コメントできません」と書かれていました。

 こんな理不尽なことがあって然るべきではないと思い、何か手がないかを思案しましたところ、この出品者が、他にも商品を出品していたので、その商品にかこつけてであればコメント(質問)できるということが判明しました。

 そこで、別の出品商品に対して、こういう質問をしました。
 『ソニーSBH54の質問をした○○です。3300円で購入しようとしたら、売り切れになっています。他の人に売ったということでしょうか?』

 この質問に対し、次のような回答が来ました。
 『この度大変ご迷惑をお掛けしました。○○様と取引する為に値段下げしたところで、他の方が購入してしまった。申し訳ございませんでした』

 「それはないだろう」という思いが湧いてきました。

 このメルカリというサイトは、『コメントなしの直接購入お断り』という注釈をつけている出品者が結構いて、直接購入をすると購入を断られるケースがあるし、そういうことが出来るようなので、その購入者を断ってくれないかという思いが湧いてきました。

 しかし、たかが小さな部品一つで、そこまですることもなかろうという思いも湧いてきました。

 そして、この二つの思いを第三者的に味わっていますと、これは天のお試し、心の学科試験ではないか、「まだまだお金を得した損したという観念に縛られていないか?」「それによって心に波風を立てていないか?」と、言われているのではないかという思いが湧いてきました。

 これがちょっと止まって観る、止観、想念観察の素晴らしいところなんでありましょう。

高橋信次先生のみ教えに即して考える

 冒頭に書きましたように、高橋信次先生は、
 『神はいつでも人類に全て平等に慈愛の光を与えているにもかかわらず、それを受け取らないのはその人々の心と行いの不調和にあるのです』
 『神はすでに、すべてのものに、平等の慈愛と光りを与えてくれている。それを受けないのは、私達一人一人の、自分の心と行ないが拒絶しているということなのである
 とお教え下さっています。

 イエス様は、
 『ああなたがたのうちで、自分の子がパンを求めるのに、石を与える者があろうか。?
 魚を求めるのに、へびを与える者があろうか。?
 ・・・天にいますあなたがたの父はなおさら、求めてくる者に良いものを下さらないことがあろうか』
 と仰っておられます。

 私は、SBH52の二台持ちを希望しました。

 イエス様のお言葉を信じれば、SBH52の代わりに、悲しみや苦しみや怒りをお与えされるはずがないのであります。

 しかし、お前の心は、それを受け取る準備が出来ているかと、試されているのかも知れません。「心と行いが不調和であれば、いくら天に求めても受け取ることは出来ないよ」と。「ほんの少し、自分の思いと異なる出来事が起こったら、怒りや非難に陥らないか? それではダメだよ」と。

 そして、「この出来事を平静に受け止めることが出来るのであれば、天は更に良きことを、既にというか、元からというか、準備して下さっているのだから、この商品は自分の手元に来なかったのだと思うことが真に出来たとき、本当に天が準備して下さった物がこの現象界に姿を現す」のではないかと思わせていただきました。

 私たちの望みが叶うプロセスは、当然、千差万別でありましょうが、イエスさまが仰るように、正しい望みであれば、望めば必ずお与え下さる筈であります。

 しかしそれは、意識の世界のことであって、その意識の世界で実現していることを、この現象の世界に持ち来すのは、高橋信次先生が仰っておられる、心と行いが調和されている必要がある、即ちこの現象界の人間の思いと行いにかかっている、ということになるのでありましょう。

 少なくとも、目の前の出来事に対して、怒りや愚痴や批判・非難の思い、場合によってはすぐに実現しないが故の不安や恐怖などを持つようでは、既に準備して下さっている望みのモノを、この現象の世界に持ち来すことは出来ないのでありましょう。天の道先案内を、心で受け止めることが出来ないのですから。

私の兄がフィリピンから帰国し、望み通りの賃貸のアパートを与えられました

 私のだいぶ年の離れた長兄は、フィリピン人の若い奥さんと再婚し、フィリピンでこの肉体人生を終えるつもりでいたようです。

 しかし40歳近く年の離れている奥さんのたっての頼み、「日本での永住ビザを取りたい」という希望を叶える為、数年前に日本に帰ってくる決意を固めました。

 フィリピンであれば、月々6万円ほど貰う年金で夫婦二人が不自由なく暮らせるのでありますが、日本ではとても無理で、日本語がほとんど喋れない奥さんの働いた給料と合算して生活をするつもりでいたようです。

 日本に帰ってきたときは、全財産がわずか20万円程度で、前の奥さんとの間に出来た息子も、親の面倒を見るつもりはないという状況で、定住地が決まるまでの取りあえずの宿を、私が世話させていただきました。

 毎日毎日、住む為の賃貸アパートと奥さんの働き口を、足を棒のようにして探していました。

 20日ほどして、奥さんのビザが下りればパートで雇ってくれる会社が見つかりました。間もなく3年ビザがおり、併行して探していたアパートも契約間近になってきました。

 このアパートに関しては、次のような条件を、兄が出していました。
・家賃は32,000円以下であること
・間取りは2K若しくは1DK以上であること
・保証人が要らないこと

 家賃と保証人の問題を抱えているので、なかなか見つからず、やっと条件に合致する物件を一週間以上もかけて交渉を進め、最終審査という段階になりました。しかしながら、結果的には仲介業者から、最終審査に通らなかった旨の連絡があったそうです。

 理由は聞かなかったと兄は言いましたが、保証人なしで、収入の目処の立たない人間に貸すのは心配だ、ということに落ち着いたのだと、容易に推測できました。

 兄は、その仲介業者の人に怒りをぶちまけるようなことはなかったそうで、「仕方ないですね」と引き下がったそうです。

 兄は落ち込んでいましたが、まさしく仕方がないことなので、私は、明日からまた探し始めようと、元気づけました。

 それから二日経った時、当該の仲介業者の人から、良い案件が見つかったと連絡がありました。2LDKなので前の物件より一部屋多く、家賃も35,000円を、この仲介業者が値切って、兄の要望通りの32,000円にしてくれたとのことでした。

 しかし、一つ難題があって、保証人を立ててくれという条件だそうです。

 兄は、自分の息子に頼むしかないと思い、連絡したそうですが、息子さんからはむげに断られてしまったそうです。こういうところに、親子であっても、今までの生き方、家族間の助け合い、そんなものが如実に表れてしまうのでしょう。

 しょげている兄、そして私には頼みづらいと思っているであろう兄に、私が自主的に申し出た形で、保証人になってあげることにしました。

 高額の借金の保証人ではなく、月32,000円の家賃の保証人なので、いくら膨れあがっても、私の生活が破綻することなかろうという算段でおりました。

 その結果、とんとん拍子に話が進み、数日後には契約をすませることができ、約三年経った今も、そのアパートに住んでいます。当然、家賃の滞納などはないようです。

 はしょった書き方をしましたが、言いたいことは一つです。

 兄が帰国して、32000円のアパートを借りたいという希望を天に上げた時、もちろん兄は天に上げるなどと意識はしていないでしょうが、天は間違いなく受け取って下さいます。地上の人間の必要な願いなんですから。

 そして直ぐさま、兄の心根を見て、必要な物であるとして、「これだ!」と希望を叶えて下さいました。しかし、兄の条件があった為、ダイレクトに条件を叶えてくれる物件は、この現象世界にはなかったようです。

 即ち、ワンステップを踏んで、最初の物件が断られ、仲介業者の方が兄の状況に身につまされて、家主と値引き交渉をするという手順が必要になっていました。

 保証人の問題は、私がOKするということは、天は、遠っくの昔に分かっていたことでしょう。

 ここで、高橋信次先生の仰る、「受け取らないのはその人々の心と行いの不調和にある」ということが、大きな意味合いを持ってくることになります。

 兄が仲介業者の方に、「断られたのは保証人の問題でしょう? あれだけ保証人はなしと念を押して、事前の了解いただいていたのに、今更おかしいでしょう!」などと詰め寄っていたとしたら、この方は、恐らく次の物件を探す気持ちにならなかったことでしょう。

 高橋信次先生が仰る、「あなたが、その思いと行いによって、受け取らなかったのである」ということになっていたことでしょう。

 兄の思いと行いが、不調和でなかった、お金にもならない物件を探してくれた業者の方をねぎらった、その心根こそ大事なことなのであり、天が最初から見つけてくれていた物件にたどり着く、というよりは、自動的にそこに導いていただくことができたのでありましょう。

 まさしく、天が与えて下さらないのではなく、思いと行いが不調和であれば、既にお与え下さっているものを、自分で受け取らない、拒否するということになるのでありましょう。
 

メルカリで購入できなかったSBH52の2台持ちはどうなったのか?

 出品者の不手際?によって購入できなかった私は、仕方がないと思うとともに、天は、もっと良い物を準備してくれているのではないか、いや、キットそうだという思いになりました。

 「お前が心を汚さなければ、最初から予定していたモノにたどり着けるはずだ」「天の声を聞き逃さないはずだ」と言っておられるのではないかと思うようになりました。

 然らば、オークションやメルカリに、この製品が出品されるのではないかと思い、2~3日、探しましたが、出品される気配がありません。

 どうしたモノだろうと思いあぐねていますと、メルカリには、半年も一年も前の出品が残されているので、古い出品物にSBH52があるのではないかという思いが湧いてきました。

 SBH52というキーワードで検索すると、数件しか該当しません。そこで、思い浮かんだ「SONY Bluetooth ハンドセット」で検索すると、全く型式が記載されていない、しかし写真を見る限り間違いなくSBH52が、3500円で出品されていました。直前の人のコメントが半年前なので、半年間塩漬けにされていたということになります。

 「常識外れの値引きお断り」と書かれていましたが、ギリギリかなと思いながら、「2000円になりませんか?」とお願いすると、「2500円なら」との返事でしたので、その金額で購入させていただきました。

 この製品、中古であれば、5000~6000円程度なら、暫く待てば、どこかに出品されて購入が出来ます。

 1円でも安いモノを、と拘っているわけではありませんが、無駄なお金は使いたくないと思っているので、安く買える物は安く購入させていただこうと思っていますが、今回も、もし最初の出品者に対して怒りをぶつけていたら、恐らくここにはたどり着けなかったのではないかという気がいたします。
 

まとめ

 人間が望むもの、そしてそれが必要な物であれば、天は瞬時にそれを与えて下さるのではないかと思っています。そう信じています。

 しかしそれは、三次元・物質世界の出来事ではなく、意識の世界・四次元以降の世界で実現していることであって、この物質世界にそれを持ち来すのは人間の役割、天の導きを素直に受け取って行動に移すことが必要なのでありましょう。

 そしてそのために必要なことは、その時点で自分の心と行いが正しいモノであること、心がキレイであること、心に曇りがないことが、必須条件なのでありましょう

 少なくとも、怒り、愚痴、そねみ、ねたみの思いを持たないこと、足ることを知らぬ欲望に翻弄されないこと、望みが実現しないことに不安や恐怖を持たないこと、できれば感謝の思いと慈悲と愛の心で満たすこと、そうすれば、望んだモノをこの世に持ち来す術を、天は私達の心に響かせて下さることでしょう。

 しかし私達は、眼に見える世界しか認識できない為、意識の世界で実現している望むモノを手に入れるのは、あたかも細い迷路を手探りで行くようなもので、不調和な怒りの思いなどを持ってしまい、この迷路を一度間違えると、ヒョッとするとその目的にたどり着けないで、似たようなもので妥協してしまうかもしれません。

 このことは、物を望むときだけではなく、例えば仕事、例えば住み家を探す等々、我々が必要とするモノ全てに対して言えることではないでしょうか。

 そしてその望みは、私の兄が描いたように具体性を持てば持つほど、実現しやすいということになるのでしょう。

 更に、そのような心境になるべく努力するのは、何かを望んだ時に付け焼き刃のようにやっても、なかなか難しいモノで、常に常に、そういう努力をするのが、真の人間の姿ではないでしょうか。

 さすれば天は、本当に必要な物は、常にお与え下さるのではないでしょうか。

 イエスさまは、こうも言っておられます。
 『まず、神の国と神の義を求めよ。その余のモノは汝らに加えらるべし』と。

 神の国と神の義を求めよとは、神の御心のままに生きよ、邪な思いを持たず、慈悲と愛に生きよ、と言っておられるのだと理解しております。

 このような生き方を目指したいと思わせていただきました







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